日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

宗像大社・大島

以前福岡県宗像大社に参拝した時にできた歌を少々掲載したいと思います。
 
イメージ 1
宗像大社は、散在する三神社(辺津宮・中津宮・沖津宮)の総称です。
それぞれ別の女神を祀っています(宗像三神)。
辺津宮(へつみや)のみ陸にあり、あとは辺津宮近辺の沖に浮かぶ小島に鎮座しています(地図参照)。
普通一般に宗像大社といえば、辺津宮の事をさします(図1)。
中津宮(なかつみや)は(図3)、大島(図2)という有人島に所在していて、定期船も出ていて普通に上陸する事ができます。
しかし沖津宮(おきつみや)の鎮座する田島は、大島より沖の島で、立ち入りが厳しく制限されていて、容易には参拝できません。今でも女性は上陸不可です。
従って、沖津宮は大島にある遥拝所から遥拝する事になるわけですが、今回はこの沖津宮遥拝所でできた歌を載せたいと思います。
 
イメージ 2
図1.宗像大社辺津宮本殿
 
 
 
イメージ 3
図2. 神湊から見る大島
 
 
イメージ 4
図3. 大島鎮座の中津宮
 
 
 
大島にある中津宮は、港のすぐ近く、すなわち南西側に鎮座しています。
遥拝所は当然沖津宮の方向を向いているわけで、島の北西側にありますから、中津宮から歩かなければいけません。
中津宮を参拝し終えたのが、三時前だったでしょうか。真夏の本当に暑い日でした。
距離としては3kmほどですが、炎天下の中山道を30分も歩かなければいけません。
道路は舗装されていて多少は歩きやすいわけですが、逆に太陽をさえぎるものがないので、夏の日差しが本当に厳しかったです。
とはいうものの、トンビ(?)の鳴き声や、真夏にも関わらずツクツクボウシ(私の地元では夏の終わりに鳴くものですが・・)の声が聞こえてきて、それはそれで心地よかったのですが、遥拝所に近づくにつれて、次第に海が視界に広がってきて(図4)、と同時に波音が序々に大きくなっていきました。
遥拝所についた頃には(図5)、あたりは静かな波音ばかりになりました。
不思議なものです。 当然鳥や蝉が鳴いていたはずなのでしょうが、聞こえるものといえば浪音、しかも静かな波音です。
 
イメージ 5
図4. 大島、遥拝所への道。
 
 
イメージ 6
図5. 沖津島遥拝所
 
視界は海と、かすかに見える田島のみです。 私以外だれもいません。
遥拝所で参拝した後、しばらく座り込んでしまいました。
以下その時にできた歌です。
 
 
1) この旅もわが旅路しも果てななむ
    波音ばかり聞こゆる宮にて
   〇わが旅路 つまり人生の事です。
   〇しも 強意の助詞。
   〇果てななむ おわってしまえばいいのに。「な」完了の助動詞「ぬ」の未然形。「なむ」は希求の助詞。
 
 
2) 今しこに死ぬれどものは悔いざらむ
   み親につげよ大島つひと
   〇こに ここに。
   〇ものはくいざらむ 何も悔いる事はない。
   〇み 丁寧の意の接頭語。御。親に対する尊敬。
   〇つ の。
 
 
人生はなかなか自分の思い通りにはなりません。
死すらその例に漏れず、自分がいかに死ぬかについて思いを致す人がいる一方で、なかなか自分の思い通りに最後を迎えられないのは、古来から変わらないようです。
かの有名な歌人、西行がどのような死を迎えたのか、定かではありませんが、西行の次の歌は有名です。
  願わくはさくらのしたにて春死なむ 
   そのきさらぎの望月のころ
全くなんて要望の多い死の迎え方でしょう・・・・(笑)
本当にこんな状況下で死を迎えられたら、これほど幸せな事はないと私などは思ってしまいます。
さて、沖津宮遥拝所は、こんなきらびやかな情景ではないのですが、
詳しく説明する事はできないのですけれど、ふと、ここでなら自分の人生は終わってもいいんじゃないかと、思ったのです。
まだまだやりたい事はたくさんあります。
西行のように理想的な死について考えた事もありますが、まさかこんな波打ち際で死のうとはつゆ思った事もありません。
(1)(2)は、そんなような気持ちを歌に詠んだわけです。
 
 
(3) この波はかくもあはれに音をよす
    よせつかへしつ外(ほか)ならなくに
    〇よせつかへしつ 寄せては返して。
    〇外ならなくに 他でもないのに。
 
 
(4) 君きけばつゆしもわかで涙しぬ
    よしを教へよ島つ波音
    〇君 つまり、波音の事。擬人化した表現。
    〇つゆしもわかで 全くわけもわからず
    〇よし 理由。
    〇つ の。
 
 
以上の二首は、波音についての歌です。
 
 
(5) あはれしまよもし生まれせば物おもひ
    あはれとせむか今がごとくに
    〇もし生まれせば もし生まれたのであるならば。つまり、もし離島に生まれたのであるならば。
 
 
さて、私のように陸の人間からすると、離島は大変あこがれるわけです。
海の幸や、風光明媚な島の景色、聞いていて大変心地よい波音・・・。
そういった諸々の離島の良さは、もし私自身が離島に生を受けたとして、そこで育ったとして、今の私のように「あはれ」に思うでしょうか。
私は都会というべき場所で生きてきましたが、島にすんでいないからこそ、「あはれ」と思うのでしょうか。
普遍的で絶対的に美しい価値であるならば、島で生活しようと、都会で生活しようと、同じように「あはれ」と思う気がします。
そんな事を考えつつ詠みました。
 
以下おまけです。
家に帰る電車の中から景色を眺めていた時、大変空がきれいでした。
次の歌を詠みました。
 
 
(6) 見上ぐれば常にしあれど今日ぞ今
   えも言ひあへぬ空の青かな
    〇し 強意の助詞。
    〇えも言ひあへぬ とても表現する事ができない。
 
 
以上です。
最後まで読んでいただいてありがとう御座いました。

偶成 恋歌

ご無沙汰しています。
色々と身辺忙しく、更新を無沙汰にしていたら、いつのまにか夏が終わり秋が来ようとしていました。
最近できた歌をいくつか掲載します。
 
 つらくとも易(やす)きとはしる片こひは
  あいおもふことのただに難(かた)きに
 
 
 わがこひはならぬと知りぬ来る世のみ
  たのみて過ぐさむ残るいま世は
 
 
 かひもなきものとこそ知れあふごとに
  おもひはまさりもどるぞあへなき
 
 
 道すえの崖としりせばたれ行かむ
  かなひもあへぬ恋ひはしにけり
 
 
これからは週一ペースで更新できればなあと思います。

詠夏蝉

今年は割りと涼しいのでしょうか。はたまた梅雨が長引いているのでしょうか。
私のいる地域では先日ようやく蝉の声を聞きましたが、本格的には鳴くに至っておらず、夏好きの自分としては早く蝉の大合唱を聞きたいと思う、今日この頃です。
 
さて、初蝉の声を聞いた日、子供の頃蝉の幼虫を捕まえてきて、カーテンなどで脱皮させていた事を思い出し、二首詠みました。
 
イメージ 1
(画像はネットから拝借したものです)
 
   いくとせをつちにてまちけむあぶらぜみ
    ぬけいでつるみはなくとこそみれ
 (幾年を土にて待ちけむ油蝉 抜け出でつる身は泣くとこそみれ)
 
   ひとよのみぬけいでしみのいろまさる
    こをたませみとわれはなづけむ
 (一夜のみ抜け出でし身の色勝る 此を玉蝉と我は名づけむ)
 
女性の方はあまり虫は好きではないかもしれませんが、幼虫の蝉が脱皮してしばらくして羽が伸びた状態は、全体的に白っぽく、羽が透き通っていて、光りの当たり方によって所々青・緑に見え、子供の頃の私は大変きれいなものだと思ったものです。
油蝉にしても見た目はあまり褒めたものではありませんが、一夜のみ、乾いて成虫になるまでの間の姿は見事だと思います。
この状態の姿はなんて呼ぶのでしょうか。
私は、この蝉の美しい姿を「玉虫」ならぬ「玉蝉」と命名したいと思います。
そのような思いで二首目を詠みました。
また、図鑑等で蝉は地中で何年も過ごした後、地中で孵化をする事を知っていたのでしょうか、子供心に、「玉蝉」はなんとなく泣いているのではないかと思った事があります。
そのような気持ちで一首目を詠みました。
 
こういう感覚を詠んだ歌は過去にあるかもしれませんね。
詠歌する時は、極力オリジナリティーを出そうと思うのですが、ある事に対しての自分の思う感動(宣長風に言えば「もののあわれ」)は、過去の人間も恐らくは同じように感じていて、また歌にも詠まれていたであろう事は否めなぁとはいつも思います。

和漢朗詠  坂井虎山

今回は「和漢朗詠」という事で、漢詩と和歌を交えて書いてみたいと思います。
当方漢詩を作る事は到底叶いませんが、簡単なものなら読んで理解する事は可能です。

さて今回は坂井虎山という人の漢詩をまず挙げたあと、それに対して思った事を歌に詠みたいと思います。
坂井虎山は、江戸後期の儒学者です。
寛政10年(1798)生まれ。安芸(あき)広島藩儒坂井東派の子。父や頼春水にまなび,文政8年藩学問所教授。天保8年から江戸藩邸講学所教授。帰郷後は家塾百千堂をひらいた。嘉永3年 (1850)9月6日死去。53歳。名は華。字(あざな)は公実。通称は百太郎。別号に臥虎。著作に「杞憂(きゆう)策」「論語講義」(以上『日本人名大辞典』より)。

先日とある本で、彼の詩を見つけました。
赤穂浪士に関する詩です。
以下に記します。
(素人が読み下しおよび現代語訳をしています!ご注意ください。 より正確な註釈は『日本漢詩』(明治書院)または他のネット上の解説をご覧下さい)
 
   泉岳寺     坂井虎山
  山岳可崩海可翻   山岳崩(くず)るべく、海翻(ひるがえ)るべくも、
  不消四十七臣魂   消えざるは四十七臣の魂。
  墳前満地草苔湿   墳前、満地に草苔湿(うるお)い、
  尽是後人流涕痕   尽(ことごと)く是(これ)、後人流涕(るてい)の痕(あと)ならん。
  (約)険峻な山岳は(地震などで)崩れる事はありうる。
       広大な海も(嵐や地震など起これば)津波となってひっくり返ったりするだろう。
     しかし、どんな事が起こっても消滅しないのは四十七臣の志である。
     泉岳寺の赤穂浪士の墓の前では、草や苔が一面濡れている。
     これは全く後世の人が涙の跡ではなかろうか。
   〇魂 志。
   〇満地 一面に。
   〇後人 後世の人。
   〇流涕痕 涙を流した跡ではないか。
 
これは赤穂浪士に対する当時の人々が流した涙について詠んだものですが、この詩もなかなかに涙をそそるものがあります。
結句など、和歌的な要素があるように思います。
中国人には少し理解しがたい漢詩かもしれません。
 
もう一首虎山が赤穂浪士について詠んだ詩を挙げます。
これを漢詩と呼べるものなのか私にはわかりません。
 
   詠四十七士     坂井虎山
  若使無茲事   もし茲(こ)の事なからしめば、
  臣節何由立   臣節、何に由(よ)りてか立たん。
  若常有此事   もし常に此(こ)の事あらば、
  終將無王法   終に将に王法なからんとす。
  王法不可廢   王法、廃すべからず。
  臣節不可已   臣節、已(や)むべからず。
  茫茫天地古今間 茫茫たる天地に古今(ここん)の間、
  茲事獨許赤城士 茲(こ)の事、獨(ひと)り許さるるは、赤城の士のみ。
   〇使 使役ではなく仮定の意味です。
   〇茲事 赤穂浪士の討ち入りの事をさす。
   〇臣節 理想とすべき君臣関係。
   〇王法 王者の制した法。基本的に私的な戦闘を認めない。
   〇茫茫天地 広々とした世の中。
   〇赤城士 赤穂浪士の事でしょう。
 
この詩は有名な様で、ネット上でもいくつか解説が見られますので、そちらも参考にして下さい(例えば関西吟詩文化協会の解説など http://www.kangin.or.jp/what_kanshi/kanshi_C14_2.html)。
 
 
さて、つたないものではありますが、この坂井虎山の漢詩(特に一首目)に対して歌を詠んでみたいと思います。
まずは赤穂浪士の気持ちになって、
 
   あかがほのおみになりせばいかにせまし
    たてむいさおとすてむいのちを
 (赤が穂の臣になりせば如何にせまし 立てむ勲と捨てむ命を)
   〇なりせば・・せまし いわゆる半実仮想ってやつです。
 
浪士達にとって、主君浅野内匠頭が倒れた以上、主君に報いる為に立つべき勲(いさお)は、吉良を倒す事しかありません。
とはいうものの、私戦は重罪で、死罪は覚悟せねばなりません。
浪士には妻子もいたはずで、そこのところはどのように考えていたのでしょうか。
そのような事を自分も浪士の身の上になって考えてみました。
・・・・ただ、だれにでも詠めそうな、そしてだれかは詠んでいそうな歌ですな、これは・・・。
 
次に浪士の母親の気持ちになって、
 
   みをいためちをもながしてうみしこの
    みはてづからにちしおそまるとは
 (身を傷め血をも流して生みし子の 身は手自らに血潮染まるとは)
   〇てづからに 直接自分の手を使って。自分の手で。
 
どんな子の母親もそうだと思いますが、腹を痛めて、或いは血をも流して苦しんで我が子を産んだはずです。
男の私はその苦しみを一生わからないのですが、世の母親はそんな身の苦しみをできればわが子(特に男)にはして欲しくないと思うでしょう。
にも関わらず、浪士たちは最終的に切腹となり、自らの手で自らの身を血潮で染めました。
その事を浪士の母達はどのように思ったのか。
そんな事を考えながら、この歌ができました。
 
次に泉岳寺の墓石についてです。
 
   とぎすまししいしもぞいつかはくちはてむ
    かたりはたえじのちのよまでも
 (研ぎ澄ましし石もぞいつかは朽ち果てむ 語りは絶えじ後の世までも)
 
   そでぬらすひとをうつししたまいしも
    くろみこけむしくちむいつかは
 (袖濡らす人を写しし玉石も 黒み苔むし朽ちむいつかは)
 
墓石は、できた当初は綺麗に鏡のように研ぎ澄まされ、浪士を偲んで墓に詣でた人の涙にくれる姿を或いは鏡のように写していたかもしれません。
しかし、時がたつにつれ、石といえども、黒み、苔むし、ひび割れていつかは刻み名もわからなくなり朽ちてしまうでしょう(補修をすれば別なんですが・・・)。
墓石が朽ちてしまっても、赤穂浪士の美談(もちろん人によってはただのテロリストという人もいるとは思います)は、人々に語り継がれ朽ちる事はないだろう。
そのような気持ちを歌にしました。
 
 
 
長い日記を読んでいただきありがとうございました。
和漢朗詠、初めての経験でしたが、また機会があればやってみたいと思います。
 

梅雨の夜虫

今年はあまり暑くはないようですね。
梅雨でジメジメはしてはいますが、気温はそこまで高くはないです。
私の住む所では蝉も未だ鳴きません。
例年ならもっと早くから鳴いてもおかしくないのに。
皆さんはいかがですか。
 
さて、一週間程前に台風が来ましたが、その次の日も涼しい日で、特に夜はさながら秋のようでした。
その日も家路へと、いつもの如く神社を通り抜けようと歩いていた時、夜虫の声が社叢いっぱいに響いていました。
思わず一首。
 
   すずしくもあきとまがうななくむしや
    なつこむとするにわびしくなさせそ
 (涼しくも秋と紛うな鳴く虫や 夏来むとするにわびしくなさせそ)
   〇なつこむとするに 今にも夏がこようというのに。
   〇なさせそ させてくれるな。「な・・・そ」で、否定の命令。
 
私は夏が好きです。
炎天下の中蝉が鳴いているところを、汗だくになって歩く事は苦ではありません。
もちろん、秋も大好きなのですが、これから夏が来て活動的になろうというこの時に、夜虫が鳴いて秋のような気分にさせてくれるなと、そういう思いを歌にしました。

最後まで読んで頂いてありがとう御座います。

.
三島
三島
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

標準グループ

登録されていません

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事