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この姥桜がまだ、幼い頃我が家は天照大神と天皇皇后陛下を神として
仰ぎ奉り、第二次世界大戦であちこちから朝目覚めると
『万歳!万歳!』が聴こえます。あぁ戦争に行くんだな…と思っていました。
送り出す人は『万歳』言いながら
泣くのを堪えていたり、出征する人のお母さんと
思われる人は下を向いていたり涙を流したり、大きな声で『うれし涙だから』と
そんな光景がしょっちゅう見られました。
私は軍需工場に通っていたため、近くの飛行場に色々届けたりしていました。
いつも桜の木の下に暑さをよけていた将校さんがいました。
名前はわかりませんが、(当方から話す事を禁じられていたので)
世間話にこたえるくらいでしたが、いつも空を見ていたのを覚えています。
名前を聞かれて砂地に名前を書いてお教えしました。
にっこり笑って下さいまして『●●ちゃんのご両親や家族の方は元気かい』
と聞かれたので正直に
『とうちゃんかあちゃん、姉ちゃん二人は元気だけど妹の●ちゃんは
塩梅悪いんだ。咳がおさまんねくて。』
と言うと、飴を下さいまして内緒だよと言われたので
工場の人にもらったと
嘘をついて妹にあげました。これできっと治ると信じていました。
工場に行き、また届けて欲しいからと
飛行場に行くといつもの将校さんが
いつもの場所にいました。
そして私に敬礼をして『小生、お国の為に天皇陛下の神国を守る為に
明日出撃します。』
出撃とは特攻隊として出撃するので敵艦にぶつかり砕け散ってしまいます。
その体も命も…
ここでようやく『万歳』を言いながら泣いて『うれし涙だから』と言っていた
母と呼べる人の気持ちが解りました。
『ご家族は?』と聴くと『おりません、戦争で死にました。』
では、私が見送る人になるんだと想いましたら悲しくて辛くて泣いていました。
『万歳』を言いたく無いのにだれが見ているか解らないから
『万歳』を言いました。
そして私が着ていた割烹着をせめてもの『弾除け』としてお渡ししました。
『妹御はお元気ですか?』私は嘘をつきました。
もう死んでしまったのに『あの飴ですっかり良くなりました。』
『それは良かった。お見送りしてくれて感謝します。』と
再度私に敬礼をして宿舎に戻られました。
名前も知らない将校さんの出撃を送った時の事です。
もう誰かを戦地に送りたくは無い。
戦争の為に行く人に安心して欲しくてと、うそなんかつきたくもない。
自分の心を偽りながら涙を流したくも無い…
遠い異国の地で果てて欲しくは無い。
畳の上で笑顔で生を送り寿命を迎えて欲しい。
その後、軍需工場から飛行機所に届け物をした際、いつもの桜の木の下に
あの将校さんを見かけることはありませんでした。
届けにいった際『●●さんと話していた人ですね。●●さんは見事、
敵艦に激突して…』と教わりました。
『見事なんかじゃない!』と叫びたくても声が出ない。
せめて『割烹着は役に立ちませんでした』と言い、その場を立ち去りましたが、
それからも同じように名も知らぬ方々が空に、海に散っていったのです。
私より年上の方も年下の方も。
戦争は悲惨と悲劇を生み出すだけです。
もう止めて下さい。ありとあらゆる戦争は。 http://www.269rank.com/
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