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【ロンドン11日AFP時事】英ロンドンのナショナルギャラリーは11日、
イタリア・ルネッサンス期の巨匠、
レオナルド・ダビンチが1500年ごろにキリストを描いた
2億ドル(約160億円)の価値があるとされる油絵が見つかり、
同ギャラリーで11月から展示されると発表した。
この絵は「サルバトール・ムンディ」(救世主)で、 左手に球体を持ったキリストが描かれている。
かつてイングランド王チャールズ1世が所有していた。
その後、行方不明になっていたが、現在は米国の美術商組合が所有している。筆のタッチや絵の具の顔料などから本物と鑑定された。
同組合のニューヨークの美術商、ロバート・サイモンさんは、 展示会には出すが絵を売却するつもりはないと語っている。
レオナルド・ダビンチと言うと私は最後の晩餐とモナリザの微笑みですが
見つかっていない絵もまだあるんでしょうね。
でも私も絵画や美術品は軽々しく売って欲しくないです。
最後の晩餐
モナリザの微笑み |
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2011年07月12日
<東日本大震災>いわきの中学校、よみがえったピアノ歌声よ、もう一度響け−−。
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた 福島県いわき市立豊間中学校(桐生由久子校長、生徒数114人)の
体育館中央に、1台のグランドピアノが置かれている。
5月初旬、体育館を片づけた自衛隊が表面を磨きあげ、置いていったものだ。
ピアノ内部には数センチの砂がたまり、さびついてはいたが、音は出た。 5月22日に教職員、PTA、卒業生、
ボランティアら約400人が校舎を清掃した後、みんなでピアノを囲み、
涙を流しながら校歌を歌ったという。
震災のあった3月11日、卒業式が行われた体育館は 津波で1階の外壁が破壊され、時計は3時28分で止まったままだ。
現在、近隣の中学で授業を受ける生徒の半数は 自宅以外から通学している。
「ずっと豊間中が続いてほしい」と語る桐生校長。
このピアノの伴奏で生徒の歌声が再び体育館に響き渡る日が来るだろうか。
あの震災を生き延びたピアノ。
きっと美しく逞しい音で復興を導く音を響かせてくれるでしょう。
そうなるよう、お祈りしています。
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『楽園』
どんな音楽よりも どんな恋愛ドラマよりも
貴方の声が聞きたいです
貴方の名前を呼びたい…
わがままですか?
貴方が来て 私の名前を呼べば 私の心は春になったよう…
温かくて 陽だまりがさして 花が咲いて
私の名前はありきたり でも
貴方が呼ぶとそうじゃない
貴方の名前もありきたり
でも貴方の名前は私には特別
同じ名前を聴くと 振り向いてしまう…
馬鹿だなって 笑って
貴方の肩を貸して
わがままなのは解っているけど そんなゆるやかな時間が
最高のプレゼント
貴方がいつも元気でいることが
最高のサプライズギフト
貴方の笑顔は 私を楽園に導く
私の微笑みが貴方の心を楽園に導いていますように…
バラ京成バラ園『楽園』
未来予想図Ⅱ 作詞・作曲 吉田 美和歌 DREAMS COME TRUE 卒業してから もう三度目の春 あいかわらずそばにある 同じ笑顔 あの頃バイクで 飛ばした家までの道 今はルーフからの星を 見ながら走ってる 私を降ろした後 角を曲がるまで見送ると いつもブレーキランプ5回点滅 ア・イ・シ・テ・ルのサイン きっと何年たっても こうして変わらぬ気持ちで 過ごしてゆけるのね あなたとだから ずっと心に描く未来予想図は ほら思った通りにかなえられてく 時々2人で開いて見るアルバム まだやんちゃな 写真たちに笑いながら どれくらい同じ時間 2人でいたかしら こんなふうに さりげなく過ぎていく毎日も 2人でバイクのメット 5回ぶつけたあの合図 サイン変わった今も 同じ気持ちで素直に愛してる きっと何年たっても こうして変わらぬ思いを 持っていられるのも あなたとだから ずっと心に描く未来予想図は ほら思った通りにかなえられてく ほら思った通りにかなえられてく 花橘入院して手術前に描いた詩です。
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今日、花橘の彼より連絡があって調子はどうですかと聞いてくれました。
『流動食ではありますが、まぁ調子はいいのでは。』
『早く帰れるように頑張ります!』
これは何かあるな。。。
と想った私。フムフムもしや…
そう想い、花橘の父親に電話。『今日、花橘逢いたいって。』(←嘘)
二つ返事で『行きます!』
そして、聖書を読んでくれと言う花橘に『何処を読むの?』と聴くと
『愛の賛歌。』
こういう時は重なるんだねぇ。
そう想いつつ読みました。
また読むことになりそうです♪
コリント1−13章
たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、
やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
また、たとい私が預言の賜物を持っており、
またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、
山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、
愛がないなら、何の値うちもありません。
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、
また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、
何の役にも立ちません。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、 怒らず、人のした悪を思わず、
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、
すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。
知識ならばすたれます。
というのは、私たちの知っているところは一部分であり、
預言することも一部分だからです。
完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。
私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、
子どもとして論じましたが、おとなになったときには、
子どものことをやめました。
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、
その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。
今、私は一部分しか知りませんが、その時には
、私が完全に知られているのと同じように、
私も完全に知ることになります。
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。
バラ京成バラ園『ラブ』
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