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本日、数秒ですが目を開け、言葉を発した花橘ですが、
ようやくICUを明日出て、個室に行く事ができます。
これも私たち家族だけでも花橘本人の力だけでも適う事ではありません。
祈って下さった、心に留めてくださった、記事を読んで下さった多くの方の
おかげだと信じております。
本当に有り難うございます。
個室に行ってもまた新たな事態が待ってはいますが
皆様の思いやりと花橘の回復を信じて下さる祈りを励みに
これからも心を一つにして歩んで回復への道を行こうと思っています。
お礼をどのように言い表しても足りない思いではありますが、
ひとまずICUを出るにあたり、心より御礼と御報告致します。
有り難うございました。これからもお祈り頂ければ幸いです。
また皆様のご健康を心よりお祈りしています。
7月7日七夕 祖母筆
バラ 『はまみらい』京成バラ園 |
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その時、ICUはばたばたと騒がしくなった。
脳波が認識を確認したのである。
それを聞いて私も興奮した。
花橘の目が開いた。眠そうな寝惚け眼の目で数秒開いていた。
私には何時間と感じた。そして『互いに…愛し合い…』としゃべって
大きなため息を吐いたのだ。
『あなたの名前は?』医師が問いかける。『○○○…』と
眠そうに答えた。
医師は脳波を見て『質問を認識して答えています。』と言われた。
明日からは個室に行きましょうねと言われた時、緊張の糸がほぐれた。
あぁ…目覚めようとしているんだ。それだけしか解らなくて
後から脱力したように涙腺が止まらない。
『○○さんも頑張られましたけれど、
ご家族の方特におばあ様、頑張られましたね。』
看護師の方に声をかけていただいた。
私は何をどう、頑張っていたのかは解らないが
この数日、動かない、反応が無い花橘を見てきた。
なのに
花橘に影響を受けて人が動いている。
花であり、私であり嫁であり、彼であり。
そしてブログの中であり…
意識も無く声も無いのにこんな影響を持つのかと驚いたもので
彼はまぎれもなく見舞いに来ると『会話』を楽しんでいた。
生きていて良かった。花橘の口癖では無いが
『神はおられる』心からそう想った…
本当に良かった。
個室に行ってからまた、新たな戦いが待っているから
今はゆっくり眠りなさい…
花橘の洗礼名で敬愛する小さき花のテレジア(リジューのテレーズ) バラ 京成バラ園にて『スール・テレーズ』
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陛下が絹織物の展覧会ご覧に 三の丸尚蔵館天皇陛下は7日、皇居内の三の丸尚蔵館で、
展覧会「美術染織の精華−織・染・繍による明治の室内装飾」
をご覧になった。皇后さまは頚椎(けいつい)症性神経根症の
お痛みのため取りやめられた。
陛下は明治時代に宮殿などで
室内装飾に使われた絹織物の数々を見て回り、
「ビロードですか?」「絵みたいに見えますね」などと
質問や感想を述べられた。
陛下がまだ皇太子殿下であられた頃、一度お目にかかりました。
そのときの爽やかさと逞しさと誠実さを今も覚えております。
国民と苦難を共にしたいと言う陛下のお言葉に
見習うべき所がありすぎていますが
どうぞお体のご無理だけはお控え願いたく想います。
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『わたしが一番きれいだったとき』 作詞茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆発っていった わたしが一番きれいだったとき わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた わたしが一番きれいだったとき ラジオからはジャズが溢れた 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった だから決めた できれば長生きすることに 年とってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのように ね 今日は七夕で浴衣を着て散歩する方も多いはず。
でも昔は『贅沢は敵』でしたからおしゃれなんてとんでもない事でした。
でも今の若人さん達には選択肢がある。
だから質の良い青春を輝いて送って欲しい。
そして少し空を見上げて、戦争で亡くなられた人の事を
思い出して、日本の復興と世界人類の尊い平和を
祈って欲しい…
今日だけではなく。
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