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31日、大晦日を広島で迎える事に感慨を覚えました。
こうして大晦日を平和に過ごせるなんて実は奇跡だって…
ともかく年越しそばは食べなきゃいけないようで(笑)
みんなでそごうで食べに行きました。
私はとろろそばを、夫も同じ。
お舅さんと、お姑さんは天ぷらそば。
「あのね、わたしゃあんたのそばがいいって言うほど、新婚さんには
お蕎麦、かかせないのよ〜♪」
「きいたことねえよ!」
「ね、蕎麦味噌頼んでいい?」と私が言うと(250¥)
「あ、いいよ。半分こし様か。」
この会話に目をキラキラさせているお姑さんが可愛くて笑顔。
結局蕎麦味噌を2つ頼んで、お父さん、お母さん半分こ、と相成りました。
この時お雛様の展示会が会って寄り道して「3月になったら買いましょうねぇ」と
お母さん。可愛いお雛様に女ふたり可愛いとか綺麗とか言っていたら
「男共!興味を示せ!」と言われて夫もお父さんも付き合ってくれました。
やっぱり当ってる。
「わたしゃあんたのそばがいい♪」
頂いたお蕎麦と蕎麦味噌。とても温まって美味しかったです。
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2012年01月13日
「ヒロシマ・ナガサキ広場」に改称=原爆投下命令の地−独ポツダム【ベルリン時事】広島と長崎への原爆投下命令が下された地とされる
ドイツ東部ポツダム市の市議会は7日夜、
市内の「ヒロシマ広場」を「ヒロシマ・ナガサキ広場」に改称する
決議を賛成多数で可決した。
投下命令は、1945年に米英とソ連がドイツの戦後処理や 日本の降伏条件を協議したポツダム会談の開催中に出された。
広場は当時のトルーマン米大統領が会談の際に滞在した邸宅に面しており、市議会は2005年、名称をヒロシマ広場とすることを決議。
昨年7月には広島と長崎の被爆石を使った原爆碑が設置された。
名称変更を推進してきた「ヒロシマ広場をつくる会」 のウーウェ・フレーリヒ会長は
「西側では原爆が長崎にも投下されたことは忘れられがち。
名称変更で長崎も被爆地であることを訴えたい」と話している。
私たちは広島・長崎に原子爆弾が落とされ、
沢山の命が一瞬にして消え去り、
苦渋を強いられた事を忘れてはならないのです。
水を求め、死を求め、発狂した人々、我が子をかばい死んだ方々
それらは全てと言っていい、『一般人』である事も忘れてはなりません…
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今日病院でした。いつも通うお店のおばさんとは顔なじみで、
お正月の話したら、
「実家が福島で。」 「大変じゃないですか!」と
日本茶頂きつつ話を聞くと
家は全壊したけど、避難・または至急対象の地域から
後3歩歩けば避難で保険の対象になるけど
その3歩で国からの保険や手当ての対象にならないとか。
ただ、その叔母さんはもう諦めてると口にしていました。
それって間違ってませんか?
日本が3歩で手当てが受けられる・受けられないと
思われ小さい国だと
思われるのはすごく嫌です。
政治家は国民の代表なんです。
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新年恒例の「歌会始の儀」が12日、皇居・宮殿「松の間」で行われた。
今年のお題は「岸」。天皇、皇后両陛下や皇族方のお歌のほか、
1万8830首の一般応募(選考対象)から入選した10人の歌が、
古式ゆかしい独特の節回しで披露された。
天皇陛下のお招きで歌を詠む召人は
詩人・小説家の堤清二さん(84)が務めた。
宮内庁によると、陛下は昨年5月6日に東日本大震災の
お見舞いで岩手県を訪れ、ヘリコプターで釜石から宮古まで移動した際に、
上空から見た被災地の印象を詠まれた。
皇后さまは、俳句の季語を集めた歳時記に「岸」の項目がないことをとらえ、季節を問わずに、あちこちの岸辺でだれかの帰りを待つ人たちに
思いを馳せられたという。
皇太子さまは中学3年の修学旅行で東北を訪れたときの光景を
題材にされた。雅子さまは東日本大震災の被害に心を痛め、
平成8年に福島市土湯温泉町のハイキングコースで見た美しい自然と
被災地の人々への思いを歌に込められたという。
雅子さまは体調を勘案し、儀式は欠席された。
歌会始のお歌天皇陛下
津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる
皇后さま
帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく岸とふ文字を歳時記に見ず
皇太子さま
朝まだき十和田湖岸におりたてばはるかに黒き八甲田見ゆ
皇太子妃雅子さま
春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く
秋篠宮さま
湧水(ゆうすい)の戻りし川の岸辺より
魚影(ぎょえい)を見つつ人ら嬉しむ
秋篠宮妃紀子さま
難(かた)き日々の思ひわかちて沿岸と内陸の人らたづさへ生くる
秋篠宮家長女眞子さま
人々の想ひ託されし遷宮の大木(たいぼく)岸にたどり着きけり
常陸宮さま
海草(うみくさ)は岸によせくる波にゆらぎ浮きては沈み流れ行くなり
常陸宮妃華子さま
被災地の復興ねがひ東北の岸べに花火はじまらむとす
三笠宮妃百合子さま
今宵(こよひ)揚(あ)ぐる花火の仕度(したく)始まりぬ
九頭竜川の岸の川原に
寛仁親王家長女彬子さま
大文字の頂に立ちて見る炎みたま送りの岸となりしか
高円宮妃久子さま
福寿草ゆきまだ残る斐伊川の岸辺に咲けり陽だまりの中
高円宮家長女承子さま
紅葉の美(は)しき赤坂の菖蒲池岸辺に輝く翡翠(かはせみ)の青
高円宮家次女典子さま
対岸の山肌覆ふもみぢ葉は水面の色をあかく染めたり
高円宮家三女絢子さま
海原をすすむ和船の遠き影岸に座りてしばし眺むる
花橘一首
秋津島 揺れて押し合う岸壁に
宮城人が今 手たむけん
意味・・・
日本が揺れてみなが不安になった時
まず手を差し伸べたのは、皇居におられる方々です。
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