花徒然

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平和の祈り

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世界の平和を祈りつつ出来る事から家庭内の事まで
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宗派超え平和願う 延暦寺で「祈りの集い」│京都府 

宗派を超えて国内外の宗教指導者が集まり、平和への祈りをささげる
「世界平和祈りの集い」が8月4日、大津市の比叡山延暦寺で開かれた。
1987(昭和62)年に開かれた「比叡山宗教サミット」を記念し、
毎年開催している。
 
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 宗派を超えて国内外の宗教指導者が集まり、平和への祈りをささげる
「世界平和祈りの集い」が4日、大津市の比叡山延暦寺で開かれた。
 1987(昭和62)年に開かれた「比叡山宗教サミット」を記念し、
毎年開催している。
仏教、キリスト教、イスラム教、神道など
世界各国の宗教関係者や市民ら計800人が参加した。
 半田孝淳天台座主は平和祈願文で、東日本大震災について
「被災者が励まし合い、世界中から支援が提供されるなど、
助け合いが実践されていることをうれしく思っております」と述べた。
 続いて、境内にある「世界平和の鐘」を合図に
延暦寺全体の鐘が一斉に鳴り響く中、
今年は東日本大震災の犠牲者への冥福の祈りも込め、
計2回の黙とうがささげられた。
 
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神の名の元に集い、平和を祈る事はとても尊く想います。
信じてる神の名前が違うだけで争う事ほど悲しい事はありません。
世界の人々に愛と希望、そして平和が注がれますように。
 

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<広島>6日は66回目の原爆の日

広島は6日、66回目の原爆の日を迎える。
広島市中区の平和記念公園で午前8時から平和記念式典があり、
松井一実市長は平和宣言で、核兵器廃絶の訴えに加え、
福島第1原発事故で原発に対する国民の信頼が失われたと指摘し、
政府にエネルギー政策の早急な見直しを求める。

爆者の故森滝市郎・広島大名誉教授の言葉「核と人類は共存できない」
を引用するが「脱原発を主張する人々がいる」との言及にとどめる。
公募で選んだ2人の被爆体験談も盛り込む。
式典には過去2番目に多い66カ国の代表が出席する。
原爆投下国の米国の出席は2年連続となる。

 被爆者健康手帳の所持者数は昨年比8155人減の21万9410人
(3月末現在)、平均年齢は77.44歳になった。

 5日夜、広島市の原爆ドーム前の元安川に
メッセージを映す上映会があった。
「命を守る」思いを再確認しようと「命」の文字を大きく映し出した。

 
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この青い空と蒼い地球が核によって破壊され
青い空、海、緑、平凡で尊い日々の生活や命を
人が壊してはならないのです。
絶対に・・・
 
もう、核兵器で誰かが何の罪も無い人々が
一瞬にして地球から消え去る事ほど悲しい事はありません…
二度と同じ過ちを繰り返してはならないと
唯一の被爆国である日本はより一層、世界に平和を叫ぼうではありませんか。
 
『戦争は人の仕業です』 前教皇、ヨハネパウロ二世
 
姥桜拝
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https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/bc/dc/takefumistay77/folder/31790/img_31790_20957245_0?20110803102356

長崎からはるばる、お越しくださいます。
http://blogs.yahoo.co.jp/takefumistay77/20889993.html

「戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命の破壊です。
戦争は死です。」
 

 戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。この広島の町、この平和記念堂ほど強烈に、この真理を世界に訴えている場所はほかにありません。
 もはや切っても切れない対をなしている2つの町、日本の2つの町、広島と長崎は、「人間は信じられないほどの破壊ができる」ということの証として、存在する悲運を担った、世界に類のない町です。
 この2つの町は、「戦争こそ、平和な世界をつくろうとする人間の努力を、いっさい無にする」と、将来の世代に向かって警告しつづける、現代にまたとない町として、永久にその名をとどめることでしょう。

 広島市長をはじめ、ここに集まられた友人の皆さん、私の声に耳を傾けているすべてのかたがた、私のメッセージが届くすべてのかたがたに申します。

1.本日、わたしは深い気持ちに駆られ、「平和の巡礼者」として、この地にまいり、非常な感動を覚えています。わたしがこの広島平和記念公園への訪問を希望したのは、過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことだ、という強い確信を持っているからです。
 この地上のありとあらゆるところに、戦争のもたらした惨事と苦しみのゆえに、その名の知られている場所が数多く、あまりにも数多く、存在しています。それは、人類の犯した悲しむべき行為だといわねばなりません。戦勝記念碑−− それは一方の側の勝利の碑であると同時に、数多くの人々の苦しみと死を物語るものです。国のために命を落とした人々、崇高な目的に命をささげた人々が横たわる墓地があります。同時に、戦争のもたらす破壊の嵐の中で命を失った、罪のない一般の人々が横たわる墓地もあります。強制収容所や死体処理場の跡−− そこでは、人間と侵すべからざる人権とがいやしめられ、野卑と残酷とが最も強く表されたところでした。戦場−− そこでは、自然が慈悲深く地上の傷をいやしていますが、人間の憎悪と敵意の歴史を消し去ることはできません。こうした数多くの場所や記念碑の中でも、特に広島、長崎は、核戦争の最初の被災地として、その名を知られています。
 あの陰惨な一瞬に生命を奪われた、数多くの男女や子供たちのことを考えるとき、私は頭をたれざるをえません。また、身体と精神とに死の種を宿しながら、長い間生き延び、ついに破滅へと向った人々のことを思うときにも、同様の気持ちに打たれるのであります。この地で始まった人間の苦しみは、まだ終わっていません。人間として失ったものが、全部数え尽くされたわけではありません。人間の考えやものの見方、ないし人間の文明に対して、核戦争がもたらした実害を目のあたりにし、将来の危険性を考えるとき、特にそうした想いに駆られるのであります。

2.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。広島市の皆さんは、最初の原子爆弾投下の記念碑を、賢明にも平和の記念碑とされました。わたしは、この英断に敬意を表し、その考えに賛同します。平和記念碑を造ることにより、広島市と日本国民は、「自分たちは平和な世界を希求し、人間は戦争もできるが、平和を打ち立てることもできるのだ」という信念を力強く表明しました。この広島でのできごとの中から、「戦争に反対する新たな世界的な意識」が生まれました。そして平和への努力へ向けて新たな決意がなされました。
 核戦争の恐怖と、その陰惨な結末については、考えたくないという人がいます。当地でのできごとを体験しつつも、よく生きてこられた人々の中にさえ、そう考える人がいます。また、国家が武器を取って戦い合うということを、実際に経験したことのない人々の中には、核戦争は起こりえないと考えたがる人もいます。さらに、核兵器は力の均衡を保ち、恐怖の均衡を保つため、いたし方のないものだとする人もいます。しかし、戦争と核兵器の脅威にさらされながら、それを防ぐための、各国家の果たすべき役割、個々人の役割を考えないですますことは許されません。

3.過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。1945年8月6日のことをここで語るのは、われわれがいだく「現代の課題」の意味を、よりよく理解したいからです。あの悲劇の日以来、世界の核兵器はますますふえ、破壊力をも増大しています。

 核兵器は依然として製造され、実験され、配備されつづけています。全面的な核戦争の結果がいかなるものであるか、想像だにできませんが、核兵器のごく一部だけが使われたとしても、戦争は悲惨なものとなり、その結果、人類の滅亡が現実のものとなることが考えられます。わたしが国連総会で述べたことを、ここに再び繰り返します。「各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争へ向けての準備が絶え間なく進められています。それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備がととのうということは戦争開始が可能だということを意味し、さらにそれは、あるとき、どこかで、なんらかの形で、だれかが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険を冒すということです。」

4.過去をふり返ることは、将来に対する責任を担うことです。広島を考えることは、核戦争を拒否することです。広島を考えることは、平和に対しての責任をとることです。この町の人々の苦しみを思い返すことは、人間への信頼の回復、人間の善の行為の能力、人間の正義に関する自由な選択、廃虚を新たな出発点に転換する人間の決意を信じることにつながります。戦争という人間がつくり出す災害の前で、「戦争は不可避なものでも必然でもない」ということをわれわれはみずからに言い聞かせ、繰り返し考えてゆかねばなりません。人類は、自己破壊という運命のもとにあるものではありません。イデオロギー、国家目的の差や、求めるもののくい違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です。文化、社会、経済、政治の面で、さまざまな発展段階にある諸国は、多種多様の問題をかかえており、そのために、国家間の緊張や対立が生じています。こうした問題は、国家間の正当な協定や、国際機関のよって立つ、平等と正義という倫理原理に添って、解決されねばなりません。それは、人類にとって肝要なことです。国内秩序を守るために法が制定されるように、世界の国々には、国際関係を円滑にし、平和を維持するための法制度が作り上げられなくてはなりません。

5.この地上の生命を尊ぶ者は、政府や、経済・社会の指導者たちが下す各種の決定が、自己の利益という狭い観点からではなく、「平和のために何が必要かが考慮してなされる」よう、要請しなくてはなりません。目標は、常に平和でなければなりません。すべてをさしおいて、平和が追求され、平和が保持されねばなりません。過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。

6.35年前、ちょうどこの場所で、数多くの人々の生命が、一瞬のうちに奪い去られました。そこで、わたしはこの地で、「人間性のため、全世界に向けて生命のためのアピール」を、人類の将来のためのアピールを、出したいと考えます。

各国の元首、政府首脳、政治・経済上の指導者に次のように申します。
 正義のもとでの平和を誓おうではありませんか。
 今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は、許されるべきではないというかたい決意をしようではありませんか。
 人類同胞に向って、軍備縮小とすべての核兵器の破棄とを約束しようではありませんか。
 暴力と憎しみにかえて、信頼と思いやりとを持とうではありませんか。

この国のすべての男女、全世界のすべての人々に次のように申します。
  国境や社会階級を超えて、お互いのことを思いやり、将来を考えようではありませんか。
 平和達成のために、みずからを啓蒙し、他人を啓発しようではありませんか。
 相対立する社会体制のもとで、人間性が犠牲になることがけっしてないようにしようではありませんか。
 再び戦争のないように力を尽くそうではありませんか。

全世界の若者たちに、次のように申します。
 ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。
 窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。
 あなたがたの若い精神は、善と愛を行なう大きな力を持っています。人類同胞のために、その精神をつかいなさい。

すべての人々に、私はここで預言者の言葉を繰り返します。
 「彼らはその剣を鋤に打ちかえ、その槍を鎌に打ちかえる。国は国に向かいて剣を上げず、戦闘のことを再び学ばない」(イザヤ2・4)。

神を信じる人々に申します。
 われわれの力をはるかに超える神の力によって勇気を持とうではありませんか。
 神がわれわれの一致を望まれていることを知って、団結しようではありませんか。
 愛を持ち自己を与えることは、かなたの理想ではなく、永遠の平和、神の平和への道だということに目覚めようではありませんか。

最後に、わたしは自然と人間、真理と美の創り主である神に祈ります。
 神よ、わたしの声を聞いてください。それは、個人の間、または国家の間でなされた、すべての戦争と暴力の犠牲者たちの声だからです。
 神よ、わたしの声を聞いてください。それは人々が武器と戦争に信頼をおくとき、いの一番に犠牲者として苦しみ、また苦しむであろうすべての子供たちの声だからです。
 神よ、わたしの声を聞いてください。わたしは、主がすべての人間の心の中に、平和の知恵と正義の力と兄弟愛の喜びを注いでくださるよう、祈ります。
 神よ、わたしの声を聞いてください。わたしはすべての国、またすべての時代において戦争を望まず、常に喜んで平和の道を歩む無数の人々にかわって、話しているからです。
 神よ、わたしの声を聞いてください。わたしたちがいつも憎しみには愛、不正には正義への全き献身、貧困には自分を分かち合い、戦争には平和をもってこたえることができるよう、英知と勇気をお与えください。
 おお、神よ、わたしの声を聞いてください。そして、この世にあなたの終わりなき平和をお与えください。


(広島にて 1981年2月25日)

転載元転載元: 祈り長崎・長崎浦上の松尾竹文が全世界・全国の皆さんに呼びかけます

あの日のこと

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この姥桜がまだ、幼い頃我が家は天照大神と天皇皇后陛下を神として
仰ぎ奉り、第二次世界大戦であちこちから朝目覚めると
『万歳!万歳!』が聴こえます。あぁ戦争に行くんだな…と思っていました。
送り出す人は『万歳』言いながら
泣くのを堪えていたり、出征する人のお母さんと
思われる人は下を向いていたり涙を流したり、大きな声で『うれし涙だから』
そんな光景がしょっちゅう見られました。
私は軍需工場に通っていたため、近くの飛行場に色々届けたりしていました。
いつも桜の木の下に暑さをよけていた将校さんがいました。
名前はわかりませんが、(当方から話す事を禁じられていたので)
世間話にこたえるくらいでしたが、いつも空を見ていたのを覚えています。
名前を聞かれて砂地に名前を書いてお教えしました。
にっこり笑って下さいまして『●●ちゃんのご両親や家族の方は元気かい』
と聞かれたので正直に
『とうちゃんかあちゃん、姉ちゃん二人は元気だけど妹の●ちゃんは
塩梅悪いんだ。咳がおさまんねくて。』
と言うと、飴を下さいまして内緒だよと言われたので
工場の人にもらったと
嘘をついて妹にあげました。これできっと治ると信じていました。
工場に行き、また届けて欲しいからと
飛行場に行くといつもの将校さんが
いつもの場所にいました。
そして私に敬礼をして『小生、お国の為に天皇陛下の神国を守る為に
明日出撃します。』
出撃とは特攻隊として出撃するので敵艦にぶつかり砕け散ってしまいます。
その体も命も…
ここでようやく『万歳』を言いながら泣いて『うれし涙だから』と言っていた
母と呼べる人の気持ちが解りました。
『ご家族は?』と聴くと『おりません、戦争で死にました。』
では、私が見送る人になるんだと想いましたら悲しくて辛くて泣いていました。
『万歳』を言いたく無いのにだれが見ているか解らないから
『万歳』を言いました。
そして私が着ていた割烹着をせめてもの『弾除け』としてお渡ししました。
妹御はお元気ですか?』私は嘘をつきました。
もう死んでしまったのにあの飴ですっかり良くなりました。』
『それは良かった。お見送りしてくれて感謝します。』
再度私に敬礼をして宿舎に戻られました。
 
名前も知らない将校さんの出撃を送った時の事です。
もう誰かを戦地に送りたくは無い。
戦争の為に行く人に安心して欲しくてと、うそなんかつきたくもない。
自分の心を偽りながら涙を流したくも無い…
 
遠い異国の地で果てて欲しくは無い。
 
畳の上で笑顔で生を送り寿命を迎えて欲しい。
 
その後、軍需工場から飛行機所に届け物をした際、いつもの桜の木の下に
あの将校さんを見かけることはありませんでした。
届けにいった際『●●さんと話していた人ですね。●●さんは見事、
敵艦に激突して…』と教わりました。
 
『見事なんかじゃない!』と叫びたくても声が出ない。
せめて『割烹着は役に立ちませんでした』と言い、その場を立ち去りましたが、
それからも同じように名も知らぬ方々が空に、海に散っていったのです。
 
私より年上の方も年下の方も。
 
戦争は悲惨と悲劇を生み出すだけです。
もう止めて下さい。ありとあらゆる戦争は。  http://www.269rank.com/
 
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僕も学生の頃読みました。
心の中の葛藤は凄かったでしょうね。
でも、今語り継がなければという思いに突き動かされたのでしょうね。
医師の目で、こくめいに書かれています。
あの日の惨状を、核の恐ろしさを語り継いでいきたいものです。
 
原爆投下56日間の惨状
医師の目で 「ヒロシマ日記」
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被爆後56日間の惨状を医師の立場から記録した「ヒロシマ日記」の著者、
蜂谷道彦氏
 
■故 蜂谷氏の顕彰碑 出身地・岡山に
 広島の原爆投下直後からの惨状や医師としての活動を「ヒロシマ日記」として残した蜂谷道彦(はちや・みちひこ)氏(1903〜80年)の顕彰碑が「原爆の日」の6日、岡山市北区の生家近くに建立される。関係者は「蜂谷氏の尊い活動を後世に語り継いでいきたい。」と話している。

 建立するのは平成21年7月に市民ら有志約40人で結成した「蜂谷道彦を顕彰する会」(西崎繁治会長)。
 蜂谷氏は岡山医科大学(当時)を卒業し、昭和17年から広島逓信病院(広島市)の院長。病院から約300m離れた自宅で被爆し負傷したが、病院に駆けつけて苦しむ被爆者たちの治療に奔走。その後は原爆症の研究にも尽力した。
 被爆直後の病院や患者の様子などを56日間にわたって医師の目で記録した「ヒロシマ日記」は世界18カ国で出版され、原爆の悲惨さ、恐ろしさを伝える貴重な手記として知られる。

 だが、岡山県内では蜂谷氏の活動を知る人が少なく、県内に顕彰碑もないことから、同会が生家に近い富原公民館前に設置することを計画。昨年末から募金活動を行い、地元の造形作家、金谷哲郎氏に制作を依頼した。
 顕彰碑は岡山産の万成石(まんなりいし)製で、高さ1.5m、幅1.1m、奥行き0.6m。上部はステンレスを使い、原爆投下直後の広島市内の様子をモチーフに仕上げているという。また、顕彰碑の隣に蜂谷氏の業績を記した石碑も設置する。
 6日は、同会のメンバーや地元住民ら約100人で除幕式を行う予定。同会の森暢子事務局長は「蜂谷氏の平和への願いを風化させてはいけない。顕彰碑を見て平和について考えてほしい。」と話している。

転載元転載元: 日々燦々 − はぁ〜、のんびり のんびり -


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