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カトリック田園調布教会のバザーがありました11月最終日曜。
聖体訪問もしてきました。
ロザリオ持参で行ったのが幸いして、聖堂でロザリオの祈りが出来た事は
とても幸いな事でした。
祭壇全景
祭壇の横に立つ聖書を持つアシジの聖フランシスコ
祭壇横にある聖母マリア
パイプオルガン方面全景
パイプオルガン
信徒会館にある、イエスのステンドグラスと、聖母マリア
修道院入り口に立つ御心のイエス
修道院内の小聖堂
修道院小聖堂にある【勝利の聖母】
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教会のこと
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教会に行った時の事や、教会の祝日などカトリック教会に関係する記事を書いています。
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人はね、、弱い、、 自分を守るために嘘をつく、。 自分自身にも人に対しても、、 偽りに満ちた自分を造り出す。 なぜ、、本来の自分自身でいれないのだろう、。 肩に力を入れて、踏ん張り続けないといけないような生き方、、大変でしょうに、、 造り出した自分。 在りのままでない自分。 自分の理想の姿、。 背伸びして必死に生きる自分。 出来もしないことでも、してるつもり、 やれてないことでもやってるつもり、 したくないことでもしてるつもり、 我慢してなくても我慢してるつもり、、、 自分ではしているつもりだから、、、 少しでも違うと言われたり、そういう態度とられると、、、 こんなこと言われた、、こんな酷いことされたって、、叫んでしまう。。 でも、、、その叫びは、、、神様にではなく、人へ向けて叫ばれたもの、。 神様を御覧、、、。 神様は、、どんな時でも、見捨てず見つめておいでで、、、 人に頼るだけの、貴方を、じっと悲しい目で見つめている、。 人に頼らないで生きて御覧、。 自分の足で歩いて御覧、 自分一人で自力で歩く事がどんなに辛いことか解るから、。 人の温かな手は、、いつも与えて貰えるとは限らない。 人はね、、皆同じ神様から頂く命を魂として持っている、 だから、心の中で思って隠してる事も、、ふとした事から観えてしまって、 怖い、気味が悪いと思えば避けられてしまうよ、。 使う言葉って影響大きい、。 言葉ひとつで癒される。 言葉ひとつで愛される。 そして 言葉ひとつで憎まれる。 言葉ひとつで恨まれる。 言葉ひとつで恐怖される。 人は脆い、恐怖の想いを抱く存在を愛そうとはしない、。 支配しようとする者を愛そうとはしない。 脅す者を愛そうとはしない、。 人は、、、、、 愛し愛され癒し癒される人と傍に居たいと望む、。 人は些細な言葉からでも、その人の真意を読みとる事が出来る。 信頼しているうちは、そういうことは解らない。 でも、その人が信頼を壊すような事をしたら、、そういう能力は自然と目覚める。 誰でも持っているのよ。 同じ神様の魂を身に宿している、いわば、全ての人は兄弟姉妹であるから。 人というものは自分自身の少しだけ違う部分を持つもう一人の自分なのよ。 もう一人の自分を騙して御覧、 もう一人の自分を自分を傷つけて御覧、 もう一人の自分を自分を憎んで御覧、、 苦しくて痛いのは自分自身となり、実際に自分自身が苦しい目にばかり逢う。 もう一人の自分を愛して御覧、 もう一人の自分を大事にして御覧、 もう一人の自分を祝福して御覧、。 そうしたら、祝福され愛されて嬉しいことが起こるのは自分自身となり、実際的に自分自身に良いことが起きてくる。 イエス様は隣人を自分自身のように愛しなさいと仰った。 それは犯罪者でも同じ、、。 その人がもし、優しさを受けたら立ち直れるかも知れない。 今まで、どれだけ酷い目にあってきたか、ここまで性格が悪くなったってことはそれだけ全然愛されていなかったのね、、、と愛してあげれると言うなら、、 そうしてあげれたら罪人を一人救うことが出来る。 そんなの無理というなら、、 その人が救われるように祈るだけでもいい、、。 テレビでやっていた番組に出てた アメリカで、自分を人質にして、騒いだら殺そうとした強盗を許した女性は、 自分が人質にされて銃を突きつけれれても子供に面会に行きたくて解放してと言い続け強盗に殺されそうになっても、そう言った。 子供を愛し死をも恐れないで求める彼女に母としての強い愛を見て、強盗は彼女を殺せなくなった。 まるで、自分がちっぽけな存在に見えて、、彼はテレビを見ていいか?と彼女に聞いて、彼女は、そんな風にしていって来たのにびっくりしつつも、彼が肩を震わせながら自分のした3人も殺した強盗殺人のニュースを見ていたのを見て、彼女は、自分を殺そうとした人間であるのに、、彼を可哀想に想い、パンケーキを焼いてスクランブルエッグを作って出してあげた。 温かな心のこもった料理、。 彼は彼女を解放して娘に逢いに行っていいと言った。 彼女は、今なら一緒に警察に行くとまで言ったけれど、彼はそこに居させて欲しいと言って残った、、。 彼女は、、祈るように死んだらダメよ罪を償えば赦される、、。と聖書の箇所を読んだ。 彼は、、警察に囲まれて、静かに投降。彼の裁判の時、彼女は自分を殺そうとした彼を弁護する側で、、彼はやり直せると証言、、彼は死刑を求刑されていたけれど無期懲役となった、、。 彼は言った、、、彼女は、天使だと、、。 実際に犯罪者を愛せる大きな愛を持てる人は存在する。 彼女はこの後、素敵な男性と再婚し、子供とも一緒に暮らせるようになりました。 彼女は娘に向けていた無償愛を自分を殺そうとした人にも向けました。 彼を深く憐れんだのです。 自分が苦労してきたから、彼の苦しみが自分のことのように感じたのです。 人を憎んで赦さないままだと、、人を赦さない故に自分自身の罪を自分で赦せず、死後天国へすぐにはいけない。人の罪を赦すのは自分が赦される為でもある。 誰の為でもない、、、誰あろう自分自身の為なのです。 神様にごまかしは通じない。人には嘘を言って、この人はこうした、ああしたと言って悪く言ってこうされたから私は仕方なしにこうしました、、、と言おうが、、無駄。 人の持つ魂に真実はコンマ一秒の狂いもなく全て記憶されている、。 命の書と聖書に書かれているでしょう? あれ魂の事なの、命の書に名前が書かれているという言葉の真の意味は、、 知識ではなく、、、魂でイエス様と出会って、自らの罪を深く自覚し、悔い改め、神様を切に求め請い願って、、罪の赦しをイエス様から受けた者のこと。 イエス様をい信じて洗礼を受けたから命の書に書かれて救われる? そんな甘い救いはない。爆笑。 新生するのに産みの苦しみがないわけがない。 新生するのをそんなに容易く出来るわけがない、。 私は頑固者であったせいで40年もかかってしまった、。 洗礼を受けてからでも25年もかかって、、 やっと本当に知識ではなくて、本気で自分は救われていないから死んだ方がいいとまで悔いてなげいて、、そのどん底のなかで、イエス様と出会えた、、。 イエス様は重荷をおろしなさいと仰った。 でもそんな酷いこと出来ない、、と 赦しを拒否した私に、、 イエス様は、、それでもお前を愛してるとお声かけ下さった。 、、その時、、こんな罪深いままで愛されるなら、、 いままで、何と綺麗に見せようと下らない努力をしてきたのだろう、、 ただ、、一心に出来ることを行い、愛そうとするだけで良かった、。、。 良く見せよう。 救われているように見せよう、 信仰深く見せよう、 頑張っているように見せよう、、 こんな余計なことで頑張っていた自分がアホらしくなった。 ただ、、自分が神様の御心に従って出来る範囲でいいから出来ることで人を助けたり、祈ったり、想いを掛けたり、、それでいいのだと、。 後は、、神様に信頼して神様の御愛に感謝の想いを捧げていればいいのだと知った。 無理しなくていい、。 自分の出来る範囲で、出来ることで、、神様は出来ない事まで、やれなんて仰らない。 偽りなく、自分の出来る範囲で、一生懸命頑張ったら、その頑張った分だけで認めて下さる。 神様への絶対的な信頼、、それがないと、信仰なんて保ってられない。 すぐつまずく。こんなのあり???ってね、。 神様への絶対的信頼は、、魂から救われないと得られない。 神様の為なら死んでも、、、と言ってても、その実、それが自殺願望ではよろしくない、。 神様は、、全ての人が笑顔で幸せに生きることを望まれておいでなのですから。、 自殺願望でこの世を去っても、自殺扱いで、天国にはすぐにはいけない。 そんなのは神様悲しまれる生き方。 ちゃんと生きないとね、、頂いた寿命の最後まで。 嫌でもそのうち死ぬんだから、それに、人生は、今の正一度っきりなのに、、楽しんで生きないなら産まれてきた意味ないじゃない。 誰でも幸せになる権利はある。 幸せになれる法則はたった一つ、人を自分自身のように愛すること、それをしていたら、困ることは無くなる。 全ての必要は満たされる。 まず神の国と神の義とを求めなさい。それらのものは添えて与えられるって御言葉あるでしょう? 神の国とは無償愛のこと 神の義も、、愛の神様から与えられた人の持つ本来の愛、、無償愛のこと 人はね、支配するような脅すことする愛のない人には命を預けたりしない。 でも、、自分を無条件で愛してくれる相手や無条件で愛してる人のためには、、命捨てることもへいちゃらで出来てしまう。 この限定的な愛の部分を少しだけでもいいから広げていくと、、他者を愛せるようになる。 何かの本で読んだことなのですが、、 ある時、バスが事故って横転した時、年老いた紳士は咄嗟に隣に座っていた女の子を庇って女の子は手足に怪我を負ったけれど死なないで済んだ、、 その紳士は、、頭を打って亡くなってしまった。 その紳士は、、自分の命のようにその少女を守りたいと思ったのです。 これから未来があるからと、、自分が犠牲になったのです。 その少女の親はその紳士に感謝したでしょうね、、。 紳士は、、人を自分のように愛した愛を持つ人であったから、、 勿論まっすぐ愛の国、天国へ召されたでしょう。 バスの運転手さんで、自分が死ぬと解っていてもバスの暴走をとめるために自ら壁側にぶつかっていったというニュース以前、観ました。 このバスの運転手さんも、、、自分の命より、人の命を思いやって守った、、、 きっと、いえ、絶対天国で安らいでおいでです。 生きている間の命は短いです。 はかない命です。 でもね、、儚いから、大切なんでしょ? 大事にしないといけないんでしょ? 人としての僅かな間に、愛を学んで、愛を実践して、 神様の元に愛を持った者、神の子として戻る。 それが、人が産まれてきている理由。 なのに、勝手に死んだらいかんでしょ? 責任放棄になるでしょ。 頑張って損はしないから、頑張りましょ。 皆、大変なんだから、お互い助け合って手を取り合って、、 人の心を踏みにじらないように、大事にし合って行きましょう。 人だから誤解すること、あるけれど、 それは、、あっち行ったら、真意はつたわるから自分自身がやましくないなら堂々としてたら良い。 やましいなら、悔い改めてお父さんに跪いた方がいいけど。 、、、いつのまにやら、、こんなに書いた、、。 長いのでこの辺でやめておきます。 自分に正直に、、愛有る人になりましょう❤ マグダラのマリア
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11/20日、横須賀に行く機会があり、近くの
カトリック横須賀大津教会<http://ootsu-cath.jimdo.com/>に
聖体訪問に行きました。
親切な信者さんが色々教会を案内してくださいました。
ペトロさんでしたね。有難うございます。
またお会い出来たらいいなと想います。
教会正面入り口
教会の鐘
入り口にある聖母子
祈る管理人。
聖母の足に手をあて、持参したロザリオに接吻して頂きました。
なんと麗しい時でしょう!!
聖堂全景
聖堂内ステンドグラス。聖モニカと聖アウグスチヌス
(大津教会の守護聖人が聖モニカなのです)
聖堂内の聖母マリアのステンドグラス
聖堂内にある【絶えざる御助けの聖母】
聖堂内の【イエスのみ心】画像
こじんまりとして温かな小聖堂
聖堂の復活のイエス
とても陽射しが心地良く、温かな温もりある教会でした。
短い時間ではありましたが、黙想とロザリオの祈りの時はとても
心が癒されましたし、洗われました。神に感謝。
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修道院に行く坂道にある聖母像
院内にある鐘
会堂外にある聖母子像
聖堂入り口
別角度より
聖堂全景
聖堂内 聖母子
聖堂内 ステンドグラス
聖堂内十字架
聖堂付近にある聖母子と十字架
会堂にある聖十字架
裏庭にあるルルドの聖母とベルナデッタ
ルルドの聖母
聖堂内の初代女子パウロ修道院総長
【尊者・テクラ・メルロ】
聖堂の中でロザリオを唱え、自然の中でのんびりとしつつ黙想が出来ました。
私にとっても大きなお恵みでした。神に感謝です。 |
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せっかく教会に来たんですから、聖堂内を見学させて頂きました。
祭壇
聖堂全景
最後の晩餐
聖十字架
聖堂内の聖母子
教会入り口付近の聖母子
ここでゆっくりとお祈りすると心が穏やかになって微笑みになって行きます…
神に感謝… |





