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「国語と歴史は、勉強しなくても出来きました」
私が会社勤めをしていた頃、部下の中に、こんなふざけた事を言う大バカ者がおりました。
では、彼が、どれほど国語が出来ているのか? というと、からっきしで。 「後顧の憂い(こうこのうれい)」を「こうがんのゆうい」と読むし、「不朽(ふきゅう)」を「ふくち」と読む、
「三叉路(さんさろ)」は「二股に分かれている道だから、二叉路が正しい」という始末。 三叉路は、左右に加え来た道があり、三つの又(叉)があるから三叉路です。
「全然、国語出来てねーじゃん」
会社は、雑誌の編集と制作をしておりましたから、
この思い上がった国語力の低さは、笑い事ではありませんでした。 つらつら思うに、当時、彼のパソコンは、言葉を打ち込んでも、
漢字に変換されない事が、多かったのではないでしょうかね? 代わりに、あり得ない読みで変換される、漢字が多く登録されて行ったのではないでしょうか? 前述の 「後顧の憂い」 や 「不朽」等は、単純に知識の問題なので、 学ぶ事で解決できますが、良い年をして間違いが多いと言うことは、 それだけ 「国語に馴染んでこなかった」 という目安でもあります。 (多少の思い込み、間違いは誰でもありますが) 彼の場合、自分は日本人で日本で育ち、日本語はしゃべられるから、
「国語は勉強しなくても出来ている」と思い込んで居るタイプでした。 日本語は話す事は出来ても、国語を学ばないと、道筋を立てて話しをしたり、
得た情報に対して、矛盾や疑問を感じることも不得手になります。 問題だったのは、本人にその自覚が無い事で、
しかも、賢いと思われたい気持ちが、人一倍強いところでした。 他に、勉強しなくても出来たという歴史も、てんでなっていません。
聞きかじった話を、無責任に繋げているだけ。 国語や歴史は、取っ付きやすい印象もあるので、
出来ていると勘違いする人は、意外と多いものですけれど、 現実は、勉強しないで出来るほど甘くはありません。 算数や数学でも、読解力がないと、問題の意味が分からない。
まるで全てが、引っかけ問題の様に見えてしまいます。 実際、引っかけ問題もありますが、国語力が無いと理解できません。 かくいう私も、何日か前、倅の宿題を見ていて、
「あれ? どっちだっけ?」 直ぐには解らなかった事があります。 掛け算の復習問題で、
2×3
という式があって、どちらが「掛ける数」で、どちらが「掛けられる数」でしょう?
という設問でした。 答えは、2に3を掛ける訳ですから、2の方が「掛けられる数」で3が「掛ける数」なのですが、
一瞬迷いました。 ちなみに「掛ける数」「掛けられる数」を入れ替えても、答えは6に成りますが、
「何に対して、何を掛けるか」が理解出来ていないと、得られる答えの意味は全く違ったものになります。 「そんな、小さい事、どうでも良いじゃん」と思う人も居るようですが、この些細な事を放ったらかしにしていると、
積み重なって、筋道立って物事を考えられない人になって行き、ものの見方も、狭くなって行きます。 余談ですが、日本語はどのみち話せるようになるからと、幼児期に、家庭内語を英語にしてしまう考えがありますね。
でも、これって、下手をすると、母語が二つになって、
結果的に論理的思考が、低下するという、研究論文もあります。 どうしても、幼児期に英語漬けにしたいのであれば、
母語を英語にしてしまい。英語を国語として学ぶ方が良い。 脳化学的には、母語となる言葉の周りに、はべらすように外国語を学ぶ方が良いとされています。
まあ、英語を母語に選ぶのであれば、無理に日本国籍である必要もないと思いますけど。 何度もブログに書きましたが、国語力を養うには、読書が基本です。
加えて、やはり、学校の国語をしっかりとやる事も大切です。 国語の授業の中には、そこまで文法をやかましく言わなくても…
という所もありますが、これは、詰め込み世代の私達だけが感じている事なんですかね。 因みに、その思い上がった部下ですが、
国語が出来ていないだけに、ピタゴラスの定理や平方根、立方根程度も、理解出来ていませんでした。 基礎的な勉強を余りにも、おろそかにしているので、
「そんなに、賢いと思われたいのなら、きちんと基礎からやり直せって」 と言いました。 すると、彼は半日ほども経って、こう言い返してきました。
「僕は、小学校の頃、エリートで〝ああ、オレはこのままエリートの道を行くんだろうな〟と思ったらつまらなくなって、 あえて、ドロップアウトした観があるんです」 ウソみたいな話ですが、本当にこう言いました。 「…その話、余所ではするなよ。小学校であえて、ドロップアウトしたって威張っても、誰も恐れ入らんぞ、 あー、この人はプライドは高いが、勉強について行けなかったんだ。と笑われるだけだ」 と言いましたが、解って貰えてはなかったと思います。
私だって、決して国語が出来ているとは申しませんし、生涯勉強だと思っておりますが、
出来ると思い上がって、実は出来ていない事は、大変恥ずかしい事だと思います。 理数系の学者さんに、名文家が多いのを見ても、国語は基本中の基本である事は解ります。
呉々も、国語を軽く考えないようにして欲しいモノです |
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