ターニャのブログ

2005年1月から続けていたジオログから2014年4月に移行しました。あんまり更新しませんが。
遅れ馳せながらの記録になるけど、先月末に久々に行ったライブのセットリストを備忘録として記しておこう。

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席は1階の左端通路横のなかなかいい席だった。
昔は妻と行っていたので、今回も妻と行こうとしたのだけれど、価格的に遠慮されたんで、1枚の申し込みで抽選に入り込み易くなっていたのかもしれないと思った。隣は4〜5人で来ていたようだし。
2曲終わったところでPAのトラブルとかで、20分ほどインターバルができてしまい、MCは大変そうだった。(PAはもっと大変だっとろうけど)
セトリの3曲目は予定外の「unplugged」だったようだ。


参考サイトは「Live Fans (http://www.livefans.jp/events/803451)」

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レベッカ
REBECCA LIVE TOUR 2017
2017/07/25 (火)18:30 開演
フェスティバルホール (大阪市北区)

 1. MOTOR DRIVE
 2. 76th Star
 3. WHEN A WOMAN LOVES A MAN (unplugged)
 4. LONELY BUTTERFLY
 5. London Boy
 6. Cotton Time
 7. CHEAP HIPPIES
 8. MOON
 9. フレンズ
10. MAYBE TOMORROW
11. 光と影の誘惑
12. 恋に堕ちたら
13. MONOTONE BOY
14. 真夏の雨
15. OLIVE
16. プライベイト・ヒロイン
17. ラブ イズ Cash

アンコール:
18. Hot Spice
19. ヴァージニティ
20. RASPBERRY DREAM

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2017年5月28日(日)(日本時間29日の明け方5時ごろ)アメリカのインディアナポリスで行われた「101ST INDIANAPOLIS 500」レースにて佐藤琢磨選手が優勝した。
正直驚いた。この快挙は素晴らしい出来事だった。
佐藤選手といえば、毎年鈴鹿までF1を観に行ってた頃に活躍していた、自分にとって印象深い日本人選手の一人だ。
当時ブログとかFacebookとかなかった頃から別のサイトでF1観戦履歴を書いていたが、2012年に行って以来行かなくなったので近年はまったく更新なしで放置している。

いい機会なんで、観戦履歴を一通りおさらいしとこうかな。
F1日本グランプリに行けたのは1990年〜2012年の22年間で19回、ここ4年間は行けていない。

1990年 (セナとプロストが激突、ベネトンのピケ優勝、ラルースの鈴木亜久里3位、ティレルの
     中島悟6位)S2指定席にて鈴鹿初観戦。妻とN氏の友人の4人で観戦
     91年、92年は大ブームで抽選に漏れた。

1993年 (マクラーレンのセナ優勝、ティレルの片山右京、フットワークの鈴木亜久里、ラルースの
     鈴木利男参戦)この年デグナーの一般席N氏と2人で観戦。

1994年 (ウイリアムズのヒル優勝、ティレルの片山右京、シムテックの井上隆智穂、ラルースの
     野田秀樹参戦)デグナーの一般席にてN氏と2人で観戦

1995年 (ベネトンのシューマッハ優勝、ティレルの右京、リジェの亜久里、フットワークの
     井上参戦)F2指定席(今のC席)にてN氏と2人で観戦

1996年 (ウイリアムズのヒル優勝、ティレルの右京参戦)F2指定席(今のC席)にて
     N氏とKさんと3人で観戦

1997年 (フェラーリのシューマッハー優勝、プロスト中野信治、ミナルディの右京参戦)
     F2指定席(今のC席)にてN氏と2人で観戦

1998年 (マクラーランのハッキネン優勝、ティレルの高木虎之助参戦)F2指定席(今のC席)にて
     N氏と2人で観戦

1999年 (マクラーランのハッキネン優勝、アロウズの高木参戦)F2指定席(今のC席)にて
     N氏と2人で観戦

2000年 (フェラーリのシューマッハー優勝、日本人なし)F2指定席(今のC席)にて
     N氏と2人で観戦

2001年 (フェラーリのシューマッハー優勝、日本人なし)F2指定席(今のC席)にて
     1人で観戦(この年佐藤選手はイギリスF3でチャンピオンになりF1シートを得る)

2002年 (フェラーリのシューマッハー優勝、ジョーダンの佐藤琢磨参戦)F2指定席(今のC席)にて
     N氏と2人で観戦。佐藤選手初参戦で予選7位、決勝5位入賞を果たし大盛り上がり!

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2003年 (フェラーリのバリチェロ優勝、BARの琢磨参戦)F2指定席(今のC席)にて
     N氏と2人で観戦。佐藤選手予選13位から決勝6位入賞で盛り上がった。

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2004年 (フェラーリのシューマッハー優勝、BARの琢磨参戦)F2指定席(今のC席)にて
     N氏と2人で観戦。佐藤選手予選6位、決勝4位入賞で惜しくも表彰台は逃した。
     (この年のアメリカGPにて3位表彰台を得ていた)

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2005年 (マクラーレンのライコネン優勝、BARの佐藤参戦)B3指定席(今のG席)にて決勝日のみ
     N氏と2人で観戦。佐藤選手予選5位、決勝でトゥルーリと接触し失格となった。
     (写真は撮ってなかった)

2006年 (ルノーのアロンソ、スーパーAGURIの琢磨と左近参戦)B3指定席(今のG席)にて
     N氏と2人で観戦。佐藤選手はスーパーAGURIで復活参戦するも非力なマシンで低迷。

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2007年、2008年は富士スピードウエイで行われたので観戦なし。
     (2007年の佐藤選手はスーパーAGURIで参戦、2008年途中でチームが撤退)

2009年 (レッドブルのヴェッテル、トヨタの中島一貴参戦)E指定席にてN氏と2人で観戦

2010年 (レッドブルのヴェッテル、ザウバーの小林可夢偉参戦)E指定席にてN氏と2人で観戦
     (この年から佐藤選手はインディーカーシリーズに参戦)

2011年 (マクラーレンのバトン、ザウバーの可夢偉参戦)C指定席にて1人で観戦

2012年 (レッドブルのヴェッテル、ザウバーの可夢偉参戦)C指定席にて1人で観戦
     可夢偉選手が予選3位から決勝も3位表彰台になり大盛り上がりだった。

と、観戦履歴はこんな感じで、以後日本人選手の参戦もなくなり、自分にも用事が重なったりもして観戦に足を運んでいない。

ちなみに、2013年の佐藤選手はインディーカーシリーズの第3戦ロングビーチで優勝を果たした。

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twitterのタイムラインで見かけた
―――――――――――――――――――――
糸井 重里さんがリツイート
安田佳生‏ @yasuda_yoshio 2時間前

赤信号を渡る人は仕事が出来ない。数秒の我慢すら出来ないから。
赤信号を渡らない人は仕事が出来ない。臨機応変に行動出来ないから。
食べるのが遅い人は仕事が出来ない。早さという習慣がないから。
食べるのが早い人は仕事が出来ない。味わうという習慣がないから。
評価など解釈次第で逆転するのです。
―――――――――――――――――――――

これを読んで思った。
仕事が少なくなっていることはどういう状況なのか?
今、仕事の質を上げて効率を上げることに躍起になっていないか?
自社の仕事は質が高いのか?
私は思う。
自社の仕事は相対的に質が低くないか?
それは実質低い訳ではないけど、決して高くはないということ。
その状況で選り好みというか、取捨選択をする余裕があるのか?
やりたい仕事だけを選んでやる余裕があるのか?
昔、がむしゃらに安請け合いしてでも取って来ていた仕事は楽しくなかったのか?
確かにしんどかったし、効率が悪くて単価は低かっただろう。
でも、トータルで数字にはなっていたし、客はその値ごろ感に喜んでいたという事実。
それでは経営は成り立たないのか?
みんなは幸せになれないのか?

最近自分で商談に行ったり、見積書を書いたりするとき、自社の値ごろ感を折衝することがある。
「通常ならこれぐらいの値段を取るけどウチはこれぐらいでやらせていただきます」的な折衝が頭に浮かぶ。
客を喜ばせるということはそういうことやと思う。
客にとって「ええもんを安く買う」のが一番の幸せやとしたら、めっちゃええ訳でもないけど、値ごろ感で満足することを選ぶはずだ。
これってあかんことなんかな?
正直、自分がやりたい仕事は安くても取りたい。
自分がやりたくない仕事であっても、それを得意とする者にとっては普通のこと。
暇にさせるよりはいいに決まっている。
過去の業務で「忙しいときに取ってくるな」的な意見は日常茶飯事だった。
「貧乏暇無し」というのはそういうことを指す。
でも、実際には「金持ちの方がよっぽど忙しい」と聞く。
詐欺でもしない限り、いっぱい回さないといっぱい貯まらないのは当然なのではないのか?
それで社内の不協和音とかが生じるなら経営として良くない。
でも、数字が上がっていれば決して不幸ではないので改善はできる。

やりがいのある仕事はやっぱりお客さんに喜んでもらうことだと思う。
貧乏暇なしからくる「薄利多売」の反対語を調べたことがある。
ちゃんとしたものは見つからなかった。
ということは、やっぱり普通に値ごろ感で商売するしかないのだと思う。
一流のデザイナー、一流のコピーライターが高くても売れるのも値ごろ感だし、安くなきゃ売れないのもお客さんの満足とのバランスによるのだ。

以前、一連のプロジェクトなのにフライヤー的な印刷の仕事が他に回っているとき「なんで?」ってクライアントに聞いたことがある。
「自分とこ高いねん」と言われた。
社内では「安売りばっかりしているのを正していくように」と掲げながら、客には高いと思われている矛盾。
見積もりが通らないのを鑑みても思うことでもあるのだ。
明らかに客に喜んでもらっていない。
ウインウインにはなれていないのである。
方針転換して背伸びをせず、自社の「値ごろ感」で仕事をするべきではないのか?

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2017年4月1日(土)
(敬称略)
す・またんバンド(辛坊治郎、森たけし、虎谷温子、諸國沙代子、斉藤雪乃、武田訓佳、松ヶ下浩之)
とりころ〜る(中谷しのぶ、斉藤雪乃)
KK-CORE(菅沼孝三、広原かおり)
MSB(みんなす・またん、スタッフ・バンド)
MC(伏木パンマン部長)
ダンス(バヌーザ)
ゲスト(石井竜也・嘉門タツオ・橋本マナミ)

オープニング
1.す・またんスタイル(MSB/漢南スタイルの替歌)
2.時間旅行(す・またんバンド vo.武田訓佳)
3.フィーリング(す・またんバンド vo.虎谷温子)
4.負ける気せんね(す・またんバンド vo.森たけし・辛坊治郎)
5.ハイハイ敗(す・またんバンド vo.森たけし・辛坊治郎)
6.す・またん!めてお(とりころ〜る・伏木パンマン)
7.セ・シ・ボン(とりころ〜る・伏木パンマン)
8.ランニング ハイ ハイ(とりころ〜る・伏木パンマン)
9.インスト(KK-CORE)
(レポーター歌合戦)
10.学園天国(彼方茜香・KK-CORE)
11.大阪LOVER(赤松悠実・KK-CORE)
12.監獄ロック(国木田かっぱ・KK-CORE)
13.フレンズ(彩羽真矢・KK-CORE)
14.負けないで(木島由利香・KK-CORE)
15.君も出来るよ!(す・またんバンド vo.諸国沙代子)
16.時間旅行(石井竜也)
17.時事歌メドレー(嘉門タツオ)
18.晴れほれ(嘉門タツオ・KK-CORE)
19.曇っちゃうな(嘉門タツオ・KK-CORE)
20.いやし雨(嘉門タツオ・KK-CORE)
21.崎陽軒シウマイ弁当の歌(嘉門タツオ・森たけし・KK-CORE)
22.Everyone's Song(す・またんバンド vo.武田訓佳・虎谷温子)
(アンコール)
23.夏の扉(あべかすみ)
24.One Night Carnival(森たけし・MSB)
25.時間よとまれ(辛坊治郎)
26.止まらないHA〜HA(辛坊治郎)
(再アンコール)
27.君も出来るよ!(出演者全員)

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父親が亡くなった

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先週の月曜日朝。
(平成27年9月28日午前6時半頃)
篠山で入院していた父が亡くなった。

父は昭和3年3月30日生まれの満87歳だった。
直接の死因は慢性腎不全。
間接的には糖尿病によるものだったらしい。
ここ数年で覚悟はしてたんで、驚くとかショックとかはなかった。

告別式は9月30日、篠山市営斎場。
喪主は長男(私は三男)

親戚や友人からは良い葬式だったと言ってもらえた。
通夜はしなかったんだけど、葬儀の前夜から明け方にかけて兄弟3人と私の妻と母(母は途中リタイヤやけど)で考えた挨拶が良かったんかな?
編集しながらテキストにしてプリントして、時間を計りながら読んでを数回繰り返した。
詰まりながらでもなんとか読みあげたのは長男だった。

内容は
・父の生い立ちから若い頃(終戦当時)のエピソードを聞かされていた記憶の話を一件。
・我々が子どもの頃の父親の印象とか、父の経歴紹介をさらっと。
・そして、近年になって孫(私の娘)が覚えていたじいじのエピソードを一件。
・最後に、兄が新聞でたまたま見つけた「人は二度死ぬ」話。
で、延べ約4分程度にまとめた。

親父は、篠山農業高校(現在の篠山産業高校)に在学中に、「予科練」という戦争に行くための練習学校に志願して行っていたらしい事、戦場に出る前に終戦を迎えた事は、私たちが子どもの頃に武勇伝として毎年終戦記念日になる夏に聞かされていた。この「聞かされた」という表現で我々が子どもの頃は何度も聞いた面倒くさい話として印象に残っているというエピソード。

その後、家業の林業と農業を継いで母と結婚して我々が誕生した事をさらっと通し。
また、選挙に出て町議会議員を三期務めた事をさらっと流し。
そのタイミングで教育行政を携わったとき好きな郷土の歴史の研究ができ、郷土史の書籍の編集委員として本に名を残した事もさらっと触り。

次のエピソードは、長年の酒好きから糖尿病になって緑内障を併発して目を悪わるくした父に孫(私の娘)ができ、我々が毎年盆と正月とGWに大阪から家族で篠山に帰った時、虫眼鏡を使ってでも好きな歴史書を読んでいるじいじ印象が孫には強く残っていたこと。(虫眼鏡は棺に入れられないので娘が描いた虫眼鏡の絵を入れた)

最後の「人は二度死ぬ」話。これは朝日新聞で言う「天声人語」にあたるコラムが神戸新聞にもあって、そこに載っていた詩の話。「一度目の死は本人が死ぬ事、二度目の死はその人を覚えている人が死ぬ事」なので、故人を偲んで来ていただいた皆さんには長生きしてもらって父の二度目の死をなるべく先にしてもらいたい。というメッセージ。

ここまでは美談で済み、葬儀は何となくいい印象で終わった。
はずだった。
でも、その夜三兄弟で反省会をしたとき事件は起こった。。(続く)

有名音楽プロデューサーさんが、こちらで書かれてるFacebookは、他ならん父の葬儀の記事。
ありがたいこです。
https://www.facebook.com/tkgmskt/posts/894581027287844?__mref=message_bubble

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