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乙末事件

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明治28年10月17日未明。武装した一団が大韓帝国の皇居である景福宮の光化門から乱入してきた。一団は訓練隊(日本が訓練していた軍部隊。韓国軍は日本の手によって解散されていた)である。兎範善などの大隊長クラスが率いていたクーデーター部隊であった。

一団の中に日本人壮士が多数、日本刀を握りしめて参加していた。後の陸軍大臣楠瀬幸彦中佐や後に作家となり代議士となった柴 四郎そして何と与謝野鉄幹も参加していたという(後に無罪)。
 
彼らは高宗皇帝の父興宣大院君の密命を受けて決起したのであるが、裏には当時の駐韓公使三浦悟楼の影があった。日清戦争後衰弱した清国。韓国は、宗主国を失い、大韓帝国として自立したのであるが、高宗皇帝の妃(明成皇后)閔紫英は大の日本嫌いであったためロシアに急接近した。将来ロシアとの戦争は避けられないと判断していた日本は、閔皇后を危険視したのだ。このため予ねて皇后と権力闘争をしていた大院君と謀り、皇后暗殺に踏み切ったのである。

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