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今朝のブログで、猟奇的、残虐な犯罪は何も現在の社会の病巣ではなく昔からあった。というのが掲載されていた。確かにそういう事件はあった。1938年(昭和8年)岡山県津山市で起こった「作州津山事件」は、都井睦男という青年が猟銃で村民30名を銃殺して回った。頭に鉢巻をして左右に懐中電灯を挟み込み、胸にカンテラを下げ、腰に日本刀と鉈をぶち込んだ異様な姿で深夜の近隣の農家に押し込んで熟睡している家族に銃を放って殺害した。
この事件は溝口正史の「八つ墓村」のモデルとなったし、1988年には事件そのものが古尾谷雅人主演で映画にもなっている。
終戦直後には小平義男の婦女暴行と連続殺人事件が起きている。毒ぶどう酒事件もあった。しかし、時代背景が違う。いずれの事件も、日本は貧しく、戦争の時代若しくは終戦直後の混乱した世相の中で起きた事件であった。更に日常茶飯事には起きていない。何年かに一度起きる程度であった。
現在、生活は豊かにになり民主主義の世の中である。飢えも戦争もない、平穏な時勢である。なのに何故連日のように残虐、猟奇的な事件が相継ぐ?しかも犯罪者は普通の大人しい青年が多い。子供時代は優等生であった。
あの江東区のバラバラ殺人事件の犯人も優秀なプログラマーというし、父親は岡山の税理士であり、地元の有力者であったと報道されている。
しかしよくもまー若い女性がコロコロ殺される。今朝の新聞でも、那須かどこかで発見されたトランクの中から女性の白骨死体が発見されたと報道があった。発見されていない遺体は日本国中で一体どのくらいの数があるのであろうか?
女性の社会進出と性の解放が、女性の犯罪被害を生み出している。紛れもない事実だ。都会のコンクリートジャングルでの一人住まい。あ〜怖い。男は皆オオカミなんだよ。かろうじて自制心がオスとしての本能を押さえているに過ぎない。この自制心が失われた状態を「魔が差す」という。こうなると裁判官であろうと校長であろうと教頭であろうとスケートのコーチであろうと警察官であろうと野獣に変身してしまう。優しくて愛情の豊かな男なんていないんだよ。
でも最近は親父の姿が見えない。酒臭く、ヤニ臭く、無精ひげをはやし、口を一文字に結んでドテラを着た親父がどこの家庭にもいない。地震、カミナリ、火事、オヤジのあのオヤジの姿が見えない。無臭の、中性的な父親しか存在しない。子にとって、怖くも何ともない父親なんか必要ないんだよ。男の子は母親には教育できない。溺愛してしまうからだ。
離婚すると母親が男の子も取ってしまう。母親にキャッチボールもサッカーもキャンピングも魚釣りも出来はしないのに。だから子供はテレビゲームや携帯に夢中になるしかない。こんな男の子が成人すると一体どんな青年になるのであろうか?考えただけでもゾッとする。もっとも子育てしない無能な父親がいても同じことだけどね。
子共を贅沢なサイパンやグアム、ハワイ旅行に連れ出す馬鹿父もやたらと多い。風景の単調な海に連れていって教育が出来るのか?親が遊びたいから道連れにするだけの話だ。近くのキャンプ場に行って飯盒で飯を炊くことを教えろよ。テントの張り方も災害のときに役に立つんだよ。
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