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そのすぐ上に新阪堺の「敷津浦変電所」らしき建物が写っています。
新阪堺は「敷津浦変電所」で受電・降圧の後、架線へと送っていました。
新阪堺に電力を送っていたのは「宇治川電気」で
木津川対岸(?)の木津川発電所から送電されていました。
それを、「敷津浦変電所」で受電していたのです。
その「敷津浦変電所」のすぐ近くに、宇治電の「敷津変電所」がありました。
今の関西電力「敷津変電所」です。
よく、「昔は新阪堺の変電所だった」と間違われるのですが
新阪堺の変電所跡は「加賀屋天満宮」の場所です。
また、新阪堺は電灯電力の配電事業も手がけていたかも知れません。
新阪堺は、阪急に習い「経営地」なる住宅地を開発していました。
昭和の御代ですから、もう「電気が来ていて当たり前」です。
事実、「墨江経営地」にあった我が家にも、最初から電気は来ていました。
また、電気動力の鉄・軌道が配電事業を兼業しているのが
当たり前の時代ですから、新阪堺が行っていても不思議ではありません。
「敷津浦変電所」が、いつまで稼働していたのかは不明ですが
三宝車庫内に新変電所が完成するまでは、間違いなく稼働していたはずです。
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新阪堺電車
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海水浴場で有名だった浜寺へは、3つの鉄路が向かっていました。
1つは「南海鉄道」、今の南海電車です。
もう1つが「阪堺電軌」、そして最後の1つが「新阪堺」でした。
その新阪堺の浜寺停留場、どこにあったのかは謎で
「阪堺の海道端停留所の海側の松林の中」ぐらいしか分かっていませんでした。
しかし、この写真で分かるかもしれません。
毎度お馴染みの、国土地理院所蔵の航空写真です。
撮影されたのは1946(昭和21)年の6月6日
米軍によって接収されたばかりの頃だと思われます。
これで見ると、公園の北東角から入っておらず
しばらくの間、公園の横を走ってから入っていたのがわかります。
この、昭和14年に書かれた「浜寺公園平面図」よりも
実際は「南寄り」で公園内に入っていたのか
「整備払下地」の一部が公園になっていた事になりますね。
浜寺公園は、この後「進駐軍(つまり米軍)」に接収され
「キャンプ・ハマデラ」になります。
この数年後に撮された「キャンプ・ハマデラ」時代の航空写真では
既に、新阪堺の痕跡を見つける事が出来ませんでした。
どうも、米軍の手でキレイさっぱり“撤去”されてしまったようですね。
さらに、道路の拡張時に、公園の一部が削られてるようですから
跡地の特定には「公園の形状」が変わっている事も
考慮しなくてはなりませんね。
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新阪堺こと「阪堺電鐵」の本社は幾度か移転し
最終期には、自らの経営する「墨江経営地」にありました。
これは、おなじみの国土地理院所蔵の航空写真
撮影されたのは1948(昭和23)年の2月20日
中央の黄色い枠で過去ってある場所が、新阪堺の“三代目”本社です。
今の、市バス「西加賀屋四丁目」バス停の北側付近ですね。
木造二階建ての比較的大きな建物で
新阪堺が大阪市電網に組み込まれた以降は「新阪堺線運輸事務所」に
「運輸事務所」が三宝車庫内に移転後は、職員寮として使われ
昭和30年代まで現存していたそうです。
建物が撤去された以降は、なぜか長い間空き地となっており
幼少時の私を含めた「悪ガキ軍団」の良い遊び場でした。
少し離れた、住吉川縁の赤枠で囲ってある所には
新阪堺の保線区がありました。
おそらく保線事務所であろう、木造の大きな建物が建っていたとか。
遠い親戚に三宝車庫所属の運転士がおり
まだ生家に風呂がなかった頃には
この、保線区にあった浴室を銭湯替わりに使わせてもらっていたそうです。
この保線区が何時頃まで存在していたかはわかりませんが
私が幼少の頃には、既に二棟の市営住宅となっていました。
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わが住吉区のお隣、東住吉区の鷹合と言う所に一件の幼稚園がありました。
ここに大阪市電801形が引き取られた事はよく知られていました。
しかし、幼稚園が廃園となり、時と共に園内は荒れ果て
市電も伸び放題のつる草に覆われて見えなくなっていました。 しかし、ある日の夕暮れに見に行くと、なんと!
あれだけ茂っていたつる草がきれいに刈り取られて車両が丸見えの状態に!
まだ、デジカメや携帯にカメラ機能などなかった頃ですから
あわてて近くのコンビニに駆け込みレンズ付きフィルムを購入
戻って写したのがこの写真です。
こうして見ると、この幼稚園がなぜ801形を引き取ったのか良くわかります。
この敷地ではこれが精一杯の大きさだったのです。
3001形などの大型車ではここに入りきれなかったでしょうね。
車体を覆い尽くしていた、あの“つる草のカーテン”が功を奏したのか
ガラスの割れも無く、車体は比較的きれいに残っています。
市電を模したらしい塗装も色褪せながら残っていますね。
公園などで放置同然となっている車両よりきれいかもしれませんねぇ。 しかし、数日後に再度見に行くとその姿は無く見事な更地に・・・
今ではそんな過去など無かったかの如くマンションが建っています。
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