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1970(昭和45)年、千里丘陵で「大阪万国博覧会」が開催されました。
当時の日本の人口の半分が来場したと言われる大博覧会で
「月の石」が展示された「アメリカ館」が6時間待ちとなったのは有名です。
その「大阪万博」の頃に書かれた、当時の注意書きが
おおさか東線の下に、今でも残されています。
「万国博準備」とあるので、書かれたのは1969年頃でしょうか。
築堤部のボックスカルバートなので、風雨に晒される事も無く
半世紀経った今でも、文字がきれいに残っています。
きっと、2025年の「大阪万博」も迎える事でしょうね。
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昭和
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みんなで守ろう!昭和の文化遺産!
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西宮北口と言えば「ダイアモンドクロス」に「西宮球場」
最近なら「涼宮ハルヒの憂鬱」ですね。
その西宮北口に「西宮航空園」と言う施設があったのを御存じでしょうか。
阪急今津線の右に「西宮球場」、左にあるのが「西宮航空園」です。
撮影が1948(昭和23)年なので、「跡地」と言う方が正解ですね。
この「西宮航空園」は、太平洋戦争真っ只中の1943(昭和18)年に
陸軍航空本部の協力の元、京阪神急行電鉄によって建設され
大日本飛行協会の手で運営された「日本初の総合航空施設」でした。
開場時の名称は「関西国民航空練成場」と言う、当時らしい名称で
開場3ヶ月後の7月に「西宮航空園」と改称します。
園内には「航空科学館」や、落下傘降下が体験できる「落下傘塔」などがあり
鹵獲したカーチスP40、ロッキード旅客機(L−10エレクトラか)など
実物の航空機が十数機展示されていたようです。
戦時下の子供たちにとっては、楽しい遊園地だった事でしょうね。
しかし、1945(昭和20)年の終戦と共に閉園します。
まぁ、軍がらみの「少年飛行兵養成施設」みたいなものでしたからね。
跡地は、1950(昭和25)年に「アメリカ博」の第2会場となり
今では、マンションの立ち並ぶ住宅地へと変貌しています。
「西宮航空園」について、もう少し知りたい人は⇒コチラ
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梅田にある曽根崎・梅田界隈の総鎮守「露天神社」
大阪では「お初天神」と言う方が通りがいいですね。
創健から1300年と言う長い歴史を持つ神社で
近松門左衛門作の人形浄瑠璃「曽根崎心中」で有名です。
最近は、外国人観光客の姿も多く見られます。
その境内に、こういう物が残っています。
戦争末期に、米軍機が残した12.7ミリの機銃痕です。
節分行事に使われた竹が立っていて見えませんが、石の注連縄柱が欠けています。
反対側の注連縄柱も、一部が大きく欠けてしまっています。
これだけ欠けると言う事は、かなり撃ち込まれたのでしょう。
この機銃痕を残した米軍機は、大阪駅の方から来たとの事。
ちょうど、大阪駅前第3ビルと第4ビルのある方向ですね。
その時に、ここに立っていたなら木の上に米軍機の姿が見えたでしょう。
この機銃掃射が何時行われたのかは不明ですが
梅田界隈に被害が出て、昼間に行われた大阪大空襲は
1945年6月1日の第2回空襲と6月7日の第3回空襲だけ。
第2回の時にはP−51マスタングが初飛来して機銃掃射を行っています。
第3回の時も長柄橋などへの機銃掃射が行われているのですが
飛来したのはグラマンでは無くて、やはりP−51らしいのです。
お初天神を掃射したのは「グラマン」なのか「P−51」なのか
まぁ、どちらであっても、二度と、こんな痕を残したくは無いですね。
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