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とらむのこべや ‐浪速軌道隊‐
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書庫住吉散歩

歴史が匂う街、住吉。
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住吉区の長居東に御鎮座する保利神社。
拝殿前におわす狛犬さんの土台にはこんな銘が入っています。

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「大阪行幸記念」
石の土台に入っている奉納者の銘板から、1929(昭和4)年の
昭和天皇大阪行幸の時に造られた物だと言う事が分ります。

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また、境内にある石燈籠にはこんな文字も・・・・

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「大阪市編入記念」、背面に「大正十四年四月」とあるので
12町村が大阪市に編入され、第一次住吉区が成立した時に
その記念として建立されたものです。
第一次住吉区は、阿倍野区・住吉区・東住吉区・平野区・住之江区を
合わせた広大な区域を持っており、初代の住吉区役所が置かれていたのは
現在の阿倍野区でした。後年に数回の分区を行い現在の区域になります。

とにかく古いんです。

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住吉大社の末社で、初辰まいりの巡拝社である種貸社。
「一寸法師」に出て来る神社が種貸社だと言われていますが
実は、種貸社って昔から住吉大社にあったのではないんですよ。
旧社名を「多米神社」と言い、長居に鎮座されていたのです。

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多米神社の御祭神は「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」。
創健年は不明ですが、延喜式にも名前が見られる古社でしたが
織田信長や豊臣秀吉が活躍した天正年間に兵火で焼失
明暦元年(1655年)に住吉大社へ合祀されたそうです。

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多米神社を創健したのは、「多米連(ためのむらじ)」と言う豪族。
「多米連」は、朝廷に供する米造りに関わっていたとされ
住吉大社の神饌にも預かっており、神事との関係も深かったそうです。

住吉大社に合祀され種貸社となった多米神社なんですが。
同じ長居に鎮座する式内社の神須牟地神社(かみすむじじんじゃ)へ
1908(明治41)年に合祀されて、この地に復活しました。
現在は神須牟地神社の境内外末社なんだそうです。

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昨日は1月10日、関西圏では「十日えびす」でした。
「えべっさん」と言えば、西宮神社や今宮戎神社が有名ですが
住吉大社にも「市戎・大国社」があるのを御存じでしょうか。
鎌倉時代には「江比須社」として存在していた歴史ある社で
1月10日の例祭は、「大阪最古のえびす祭り」なんだそうです。

ちなみに、今宮戎神社は、推古天皇8年(西暦600年)に
厩戸皇子(聖徳太子)による四天王寺建立の際に
西方の守護神として建てた神社で、京都の八坂神社の「蛭子社」から
分祀を受け、八坂神社の氏子が移住して祀ったのが始まりとされています。
西宮神社に至っては、「えびす宮の総本社」を名乗るだけの事はあり
神戸和田岬沖に出現した神像が、いつ御鎮座されたか不明と言う古社で
平安時代後期には、度々「戎」の名前が出て来るのだそう。

榎津寺跡

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住吉区の遠里小野3丁目に「榎津寺(朴津寺)」と言う大寺院が
7世紀後半から11世紀頃にかけて存在していました。
古代瓦が大量に見つかる事から、相当大きな寺院だったようですが
南北朝時代の兵火で焼失して、廃寺になったと言われており
その具体的な姿は、未だ明らかになっていません。
また、建立には奈良時代の僧「行基」が関わったとも言われていますし
遠里小野5丁目にある極楽寺に安置されている毘沙門天像は
榎津寺から戦火を逃れるために移されたと言われています。

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現在の遠里小野3丁目は、マンションなどが建ち並んでおり
そんな大寺院があったとは想像も出来ません。
また、「榎津千軒(榎津郷)」と言う村があったとも伝えられていて
平安時代の4頭の建物と井戸が発掘されています。

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住吉区山之内元町の迷路のような街の中
古風な木造の山之内元町会館横に
「我孫子鋳物師ゆかりの地」碑が
ひっそりと建っています。
室町時代の我孫子は鋳物製造が盛んで
「我孫子鋳物師」と呼ばれる職人集団が
我孫子・苅田・庭井・山内(山之内)で
鋳造をおこなっていたのだそうです。
1991(平成3)年の発掘調査では
鋳型や炉に使う粘土を採った穴や
不要になった鋳型や炉を捨てて
その穴を埋めた跡、フイゴ羽口、支脚
溶解炉片などが見つかっています。
高野山金剛峰寺の銅製燈台には「山内」
奈良長谷寺の鐘には「吾孫子」と
製造した所の名前が入っており
「我孫子鋳物師」を今に伝えています。

「鋳物師」と言えば、我孫子からそう遠くは無い堺市の東区や美原区など
昔で言う「河内郡丹南」に有名な「河内鋳物師」と言う職人集団が居ました。
「我孫子鋳物師」は、どうも「河内鋳物師」の流れを汲む一団だったようです。
時は織田信長の頃、信長の庇護を受けた今井宗久が遠里小野の代官となり
自らの支配地に「吹屋(鋳造所)」を集め「我孫子吹屋」をつくり
ここで堺の鉄砲製造を担わせ、全国の戦国大名に提供したと言う話があります。
「我孫子吹屋」が造られたのは1569(永禄12)年なので
室町時代ですから、我孫子で鋳物製造が盛んだった時代と一致します。
もしかしたら、織田軍の使った鉄砲は「我孫子製」だったのかも?

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