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先日、父祖の地に行ってきました。もう、何回も行きました。
東亜子が秋田につれていかれたその頃、私はラッキーにより、福岡県飯塚のゴン蔵小屋に押し込められた。2歳であった。
私はハワイの事件後調べた。祖父母が提灯の実家に私を探しに来たようだった。同じ飯塚でもゴン蔵小屋のある遠賀川筋と繁華街では少し離れているのと、川筋者のゴン蔵小屋には近づけない。つまり、川筋者の本部に行くのだから、危険である。
時系列に整理すると、東亜子が東京に連行されたのは小学校入学前で、私がさらわれたのが4月になっていたと思う。
身に危険を感じた祖父母が上記の写真のところに避難するのであった。その時、祖母は飯塚に行ったのが原因かどうかわからないが足が不自由になっていた。
祖母の実家に行くのであるが、ここは四国の剣山系でごらんのように山険しく、谷深いところである。
これから、3年後、私はこの祖母と最後の肉親として過ごすのである。体格が良いとかとは感じなかったが、祖父がこの山を登るのは難儀したであろうと思う。現在のこの家の当主に依れば、戸板にのせたのでは…という。
こうして、昭和20年8月の終戦を迎えた。
なぜ、このタイトルを赤旗としたかというと、ここは平家の落人の里です。この写真の場所から少し行くと、平家屋敷があります。そこには畳1畳ほどの赤旗があります。赤地に文字が書かれています。本物の赤旗です。祖父もこの近くの出身です。
東亜子はここにきたことはないと思いますが、彼女の本には「鳥も通わぬ」と形容しています。阿波のここが父祖の地であると言うことは知っていたようです。実の母に聞いていたのでしょう。
ここで、終戦の年を過ごした祖父母は昭和21年になって福岡・戸畑の自宅に帰るのですが、これが今回のハワイの事件の原型になっていると思います。
次回、祖父の死を書きます。
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すこしづつ、事件の全容がつかめつつあります。
2011/12/8(木) 午前 3:26 [ 琵琶 ]
山深いところですね。
2011/12/8(木) 午前 5:41
琵琶さん、こんばんは!
歴史は繰り返すですね。おそらく、東亜子と私のために祖父母が命を落としたのでしょう。福迫君は「この件には関与していません」と、テレビで言っておりました。そうでしょうが、彼の考え方は真犯人たちの思想と同じように感じられるこの頃です。 コメントありがとうございました。
2011/12/8(木) 午後 8:33 [ hannreinakinisimo ]
PARKさん、こんばんは!
紅葉がきれいでした。冬は雪がかなり降ります。この近くに『かずら橋』があるのですが、話によると敵がきたら、橋を切り落とすそうです。
コメントありがとうございました。
2011/12/8(木) 午後 8:37 [ hannreinakinisimo ]
源平合戦に平家が勝っていたら日本の国旗は赤字に白丸の国旗に成っていたでしょうね。
2013/1/23(水) 午前 10:05 [ テラノ助 ]
テラノ助さん、こんばんは!
それもいいですね。平家屋敷にある赤旗は立派な物ですね。絹地なんでしょうか…重そうです。
祖谷に行くと,あの険しい山地でよくぞ頑張って生きたと,生きる気力を貰います。又、行きたいです。
2013/1/23(水) 午後 10:45 [ hannreinakinisimo ]