|
ラッキーは最初東亜子をさらって、江戸川縁の吉原関係者に引き渡し,自身と第一妻の借金の形にした。
ところが終戦で吉原は焼け出された。
ラッキーは、まわりのものに脅されたせいもあるのだろうが、私ども親子をむさぼった。
これ写真は東亜子がベッドサイドに飾ってみていた物です。私は戦後に成長しましたから、この写真を見て、他人が差別的に思うとは考えられませんでした。だから、この写真は我が家の玄関を入ったところで、お客様を出迎えるように飾ってあります。
誇りにこそ思っています。
東亜子はその差別的のことばを投げかけられていたのでしょうか・・・ベッドサイドで、一人密かに思っていたのでしょう。
世間的に名を知られた母の夫のことを考えたら,何も言えなかったのでしょう。
|
全体表示
[ リスト ]




「名を知られた母の夫のことを考えたら,何も言えなかったのでしょう」、はい、きっとそうだったんでしょうねぇ。人の弱みにつけいることは卑劣な行為であり、場合によっては犯罪行為といえます。
2013/8/6(火) 午前 8:41
Mineさん、こんばんは!
姉の死後、お友達の方がおっしゃるには「いつも、○○(母の夫のニックネーム)には世話になった」と言っていたそうです。
ラッキーは私が彼らのことを親だと思っていたにもかかわらず、芸者を軽侮した言葉を私に、それこそ、耳にたこができるほど言いつのっていました。
報道の仕事をしている方は差別感を持って仕事をしてはいけないと思います。このことはちらちらと思わせぶりに報道されたこともありました。
私のような者は「それがどうした?」なんですが、気にする方もいるのですから・・・
コメントありがとうございます。
2013/8/6(火) 午後 9:24 [ hannreinakinisimo ]