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藤田小女姫こと藤田東亜子は、惚れっぽいというか、いろいろな人が好きになったそうです。
まわりにいた人によれば、二枚目とか今でいうイケメンが好きだったそうです。
私ども、肉親の間では東亜子には子がいたという風に思っております。ラッキーにさらわれた子がいたという共通の思いがあります。
ラッキーはよく、こういっていた。
「女は自分の腹を痛めた子は忘れられない」と、うそぶいていました。
私の母親からは、私を・・・東亜子からは四女をだしにしたとの思いがあります。
昔、トニー・谷さんのご子息が誘拐された事件の時、ラジオで、「助けてください」と、懇願しているトニー・谷さんの声に、ラッキーは「ふん、変な奴だ。俺なんか、お前たちがさらわれても、あっ、そうですかで、終わりだ」と、私、二女、三女を前に言い放っていた。
四女に初めて会ったのは、私が、大学に入ったばかりのころだった。四女は幼稚園くらいの年齢だったのですが、どこにも行っていなかった。
ラッキーは明治鉱業を辞めてからは、どこからも収入がなくて、文字通り文無しであった。
この四女に、私は夜昼別なくやっていたアルバイトのおかげで、少しの金を持っていた。
二女や三女には小遣いをやろうなどと思わないが、この四女には、小遣いをやっていた。喜んでくれました。
この四女は、私から言うのもなんですが、美人でした。
本人もラッキーと第三妻の子でないと早くから認識しておりました。
いろいろありました。思い出しております。
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「いろいろありました」、はい、記事から察しております。それにしてもラッキーさんの生き方は破天荒ですねぇ。
2016/4/26(火) 午前 7:38
> mineさん,今晩は!
学歴の詐称などもしていました。私はすっかり騙されて、九州に行ったときに恩師に「そんなんじゃあないでしょう」と言われて、そういえば、変だと気づいたのです。昔は大卒などというのは、血巨砲地方の片田舎には、いなかったので、みんな騙されていました。
あ〜ぁ、とため息が出ました。
コメントありがとうございます。
2016/4/26(火) 午後 9:34 [ hannreinakinisimo ]