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子供や人を拉致誘拐するのは何が目的なのでしょう?
殆どは金銭目的でしょう。東亜子と私はほぼ同じに終戦まじかにラッキーによって連れ去られた。東亜子は第一妻が東京の吉原関係者にラッキー及びラッキーの第一妻の借金の形に・・・
私は福岡・飯塚の権蔵小屋に・・・・
東亜子は小学校に入る寸前の年齢で、私は2歳であった。私はこの時の記憶がないが、東亜子は私より5歳上であったので、この時の様子をはっきりと覚えていて、東京・大井町で占いをしていたときに母に発見されたときも母だとすぐにわかった。
そして、さらわれた時の様子を話していた。それから、50年後、東亜子が殺害された後、私はそのことを母から聞いた。
子供を誘拐した後、犯人たちはどうやって、金に換えることができるか考えだろう。
東亜子の方は、即、借金の形になった。
私の方は2歳だから、金に換えるのはどうすろかであった。私は祖父母のところにいたようだ。祖父は東亜子を連れた第一妻が東京に行くであろうことを予想して、追っ手をかけたようだった。
私の場合は飯塚のゴンゾウ小屋ということは、ゴンゾウとは何かというといわゆるその筋のものということで、うかつには手が出せなかった。それどころか、戸畑の自宅にいることさえ危険になった。
それで、祖父母は各々の実家がある四国・阿波に疎開することにした。
こうして、ラッキーたちは東亜子と私を連れ去った。東亜子を受け取った≪親切なおばさん≫が言うように戸籍をラッキーの実子としてから東亜子は東京から秋田に、私は飯塚・ゴンゾウ小屋へと別れ別れで・・・
東亜子は借金の帳消しということだが、私を金に換えるということは祖父母を脅すか、私自身から搾取するかであった。
時に私は2歳であるから、私からは年月がかかる。これから、10年後、私は豆腐売りをして、最初の金を得たのをちょうちんにが取った。
彼らはそんなことでは満足しなかった。幸か不幸か東亜子は桁違いの金を稼ぐようになった。
ラッキーの口癖だった「コトトメの財産はワシのもののようなものだ」と、
そして、私には生命保険を・・・・
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拉致、誘拐
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