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もうじき2月ですね。
祖父、祖母、姉・東亜子・・・は、すべて2月20日前後に死亡しています。
祖父については、四国に行ってその状況を調べてきました。四国徳島から戸畑の自宅に帰ってきた直後死亡しています。四国から祖父母を送っていった甥が、普通の̪死はないと言っていたようです。
私の記憶の始まりは、祖父の死の直後からだと思います。あれが2月だったのでしょう。
寒く、雨が強いのか掘っ立て小屋の外で、「馬糞紙では駄目だ!トタンにしろ!」と叫んでいる男の声が記憶の始まりです。
この時の状況を知る人に確認すると、私は祖母と一緒にこの権蔵小屋に押し込められていたそうです。
権蔵小屋とは遠賀川沿いで生活するゴンゾウたちの住まいである。現在・観光用に若松に権蔵小屋があった。
3鵜畳ほどの広さで、特徴としては床がないことだった。
ここで、私は祖母と一緒に閉じ込められていたそうだ。叔父がダイワンから帰還して祖母を官舎に連れて行って、私は権蔵小屋に残された。
叔父は私が生きてはいないだろうと思って祖母だけ連れて行ったようだ。
この事を私は恨んでいないが、私がラッキーとちょうちんの子でないことは伝えて欲しかった。
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無題
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「叔父は私が生きてはいないだろうと思って祖母だけ連れて行ったようだ」、悲痛な出来事ですねぇ。
2018/1/30(火) 午前 8:08
> mineさん,今晩は!寒いですね。
実は戸籍上は叔父になっていますが、私にとって、兄です。もちろん父違いです。これは福岡に行って確認してきました。年齢は親子ほど違います。
生前の東亜子は、鹿児島まで行って、彼らの父にご自殺してきました。そして、東京を案内しました。
芸者が子を産むと、実家の両親の戸籍に入れるのがあの業界の習わしだったようですね。「でも、なぜ、見受けしてくれなかったのかな」と妻は疑問を投げかけます。
コメントありがとうございます。
2018/1/30(火) 午後 8:29 [ hannreinakinisimo ]