|
もう、半世紀近くになるのですね。ベトナム戦争が、激しくなり、アメリカでも、戦死者や負傷者がでて、わつぃどものように市民権のない物でも、軍隊に行けばアメリカの市民権がもらえるということで、友人たちの中には、ベトナム戦線に出かけたのもおりましたが、私は帰国することにしました。
突然の帰国でしたが、所帯を持つことにしました。
もちろん、この時も、戸籍通りに、ラッキーが父でちょうちんが母だで、二女と三女は同腹のしまいだと思っていました。
現在の妻と結婚することは、滞米中に決めたことでした。
2度目の渡米の時に、彼女は羽田まで、見送りに来ていて、ラッキーとちょうちん会っていました。しかし、会ったというよりは、見た。と言うくらいでした。
押し迫った暮に、帰国して、勤めていた妻が正月休みにるるので、休みのうちに新しい住所に引っ越して、ささやかではあったのですが、いわゆる新婚生活に入りました。
この時は、ラッキーはちょうちんと離婚して、第3妻と一緒に生活していましたから主に、妻と顔を合わせるのはちょうちんでした。
今思うと、変なことばかりでした。悔やまれます。
ちょうちんは妻に、妙に遠慮しているというか、怖がっている風でした。
妻に言わせると、「なんででしょうね?○○子さん(三女のこと)が、あなたに電話すると、つないでくれなかったようなこともあったけれど、お義母さんは、そんなことはなかったのに・・・・ね?」と、
東亜子の死後、私は母に会いました。いろいろ探し回って、マスコミ関係者の皆さんや法律関係者の方のおかげで,母に会うことができました、
母は、さる著名人のあと沿いでした。
著名なジャーナリストの方は、私の物心ついて初めて会った時の情景を詳しく尋ねました。
そして、私が○○の奥さんとしか知らないので、フルネームを教えてくれました。
驚いたことに、妻の名前と全く同じでした。つまり、時を違えて、同姓同名でした。
ちょうちんは妻の名前に怖がっていたのだろうか・・・それとも、私が自分の母の名前を知っていたとでも思ったのだろうか?・・・
|
全体表示
[ リスト ]





