|
子供への虐待があとをたたないようですね。
実は、ラッキーもちょうちんも私には暴力は奮いませんでした。ところが、食事で虐待しました。
私の最後の肉親である祖母は餓死でした。
祖母は起き上がれなくなってから、何日たったか、わかりませんが、寒い裏日本気候の福岡で、息絶えました。
そらから、何日もしないで、戸籍上叔父っている兄(これも東亜子が亡くなってから知った)が復員して、私の姿を見て、もうすぐ、死ぬであろうと思ったようです。彼は衛生兵でしたから、そういうのをよく見てきたのでしょう。
そして、私が笹栗の小学校に入学してからも、同じようでした。
同じ炭鉱に勤める社宅に皆さんはもちろん村中の方々は私がラッキーとチョウチンの子ではなくどこからか連れてきた子であることは知っていたようです。
このことも東亜子が殺されてから知ったのです。
私が住んでいたのは明治鉱業の社宅でしたが、今度、野田で虐待死も隣近所の皆さん知っていたのですね。
こういうことが続くのでしょうか....よそのお宅のことには口を出さないというのでしょうね。
今でも、私は東京の給食が命の恩人だと思っています。ありがとうございました。
|
全体表示
[ リスト ]






確かに私たちが少年の頃は、いや今でも「よそのお宅のことには口を出さない」ことが良いこととされてましたねぇ。
2019/2/12(火) 午前 7:44
> mineさん,今晩は!
そうでしたね。
でも、私の住んでいたところは炭鉱会社の社宅でした。でも、東京に来て、炭鉱の社宅のことを炭住と言うのを知りました。4県の家がくっつた長屋でした。だから、暴力は振るわなかったのでしょう。それで、食べ物で虐待していたのでしょうね。
そのことを、ちょうちんは心にひっ飼っていたようで、私が結婚してから、妻に言い訳でしょうか…「おとうさんが食べるのは働く人だけでいいんだから…というから、そうしたのよ」と、うるさいほど言っていたようです。
でも、
緒プチンの実子である三女は丸々と太っていました。
東京に来てからもそうでしたが、この様子を近所の方が教えてくれました。
私は東京に来てすぐと言ってもいいくらいの時からアルバイトをして買い食いをしました。
12歳から、死ぬまで働こうと思っています。
それと、ちょうちんが病気になって、面倒を見たのは妻でした。これには大分参ったようです。赤の他人である彼女の世話になって実子の三女は知らない顔をしていました。
コメントありがとうございました。
2019/2/12(火) 午後 8:47 [ hannreinakinisimo ]
「実子である三女は丸々と太っていました」とのこと、どうしてもこうなるもんなんでしょうねぇ。
2019/2/19(火) 午前 7:48
> mineさん,今晩は!
私は藤田小女姫殺害事件はこのようなことが原因だと思っています。ラッキーかっず多くの自分の戸籍に入れなかった子供たちに「コトトメの財産はわしのものようなものだ!!お前たち自由にしてもいいから…」と言っていたと思います。
現に、ささやかな私の家屋敷にもそういっていたようです。
2019/2/23(土) 午後 8:34 [ hannreinakinisimo ]
「『コトトメの財産はわしのものようなものだ!!お前たち自由にしてもいいから…』と言っていた」、ここが問題ですよねぇ。
2019/2/25(月) 午前 8:59
> mineさん,今晩は!
ご返事遅れましてすいません!!
この言葉は、口癖のように言っていました。
これと同じようにちょうちんは、私と妻に向かって
「あんたら、ラッキーさんを知らないだろうけれど、あの人には何人子供がいるんだかわからないんだから・・・数えきれないんだから…」と言いていました。
つまり、数えきれ杯ほどいるラッキーの子供たちに行っていたのでしょうが…
戸籍には記載されなくても彼らは母親から、「あの他の父親はラッキーさんよ」と、教えられていたのでしょう。
これは、彼の晩年「馬鹿親父と言われてまいっているんだよ」と、何度か言っていました。
事件の後、東亜子が親しくしていた方が、「そうりゃあ、大変だったのよ。金をせびりに来て、あなた(私のこと)がいたら、殺しはしなかったかあるいは一緒に殺したかだったわよ」と言われました。
2019/3/2(土) 午後 8:54 [ hannreinakinisimo ]
MIneさん、続きです。
私の中では実行犯は推測がついています。
で、その実行犯の母親が健在でしたから、訪ねて行きました。その方は私の実の母より5,6歳若い方でした。でも、80歳は過ぎておられると思いました。
私が名乗ると、下を向いたまま、動かなくなってしまいました。そして、小学校に入学した東亜子のと共に写っている車sんを見せると今にも泣き出しそうになりました。
息子さんの奥様がおられれて、「これ、おばあちゃんだよね。弟さんに何か、思い出でも・・・それにしてもここはどこなんですか?」と言ってくれましたが、下を向いたままでした。
2019/3/2(土) 午後 9:07 [ hannreinakinisimo ]
「今にも泣き出しそうになりました」、皆な辛い思いをしたんですねぇ。
2019/3/5(火) 午前 9:18
> mineさん、今晩は!
ラッキーとちょうちんをはじめいろいろな人が血が私(東亜子は私より5歳上でしたから十分知っていましたし、長崎の眼鏡橋付近で一緒に生活していたことも覚えているようでした)どもに真実の親子、兄弟などを知らせないということはさt人も同じと思っています。
彼らは東亜子に親兄弟がいないと思っていたようです。
2019/3/5(火) 午後 8:34 [ hannreinakinisimo ]
> mineさん、続きです。
小学校入学寸前の東亜子をラッキーが誘拐して借金の形に手渡された方が東亜子殺害後、私の近所に住んでいたので、その時の様子を話してくれました。
気になっていたようで、肩の荷が下りたようでした。
小学校入学寸前の東亜子はこのおばあさんのに引き渡されたそうです。その時の写真が残っていました。
事件後、東亜子はいつも親しい人に「私の人生なかった」と言っていたようです。
私だって、そうですが、私が事件後会った母にそっくりな我が子を見ると、私どもだけでなく母や私の父など皆を札がしたのと同じではないかと思います。父は母の親友で、いrぴrpmな著書がありますので、それをみんな読んだのと彼の著書も読みました。母とは従妹同士だったようです。
2019/3/5(火) 午後 8:45 [ hannreinakinisimo ]
MIne、さらに続きです。
こめんとありがとうございます。こんな事件がもう、内容に書いておかねばならないと思っています。ヤフーぶろぐがなくなるそうですが、dぽうしたらいいか???
2019/3/5(火) 午後 8:47 [ hannreinakinisimo ]
「ヤフーぶろぐがなくなるそうですが、どうしたらいいか」、5月にYahooから、Yahooのブログを他の会社のブログに移行する方法の連絡があるようですから、それをみて対応してはいかがでしょうか。
2019/3/12(火) 午前 8:03
> mineさん,今晩は!
そうなのですね。どうしようかと思っていたところです。よろしくご指導ください。
2019/3/12(火) 午後 8:58 [ hannreinakinisimo ]
「よろしくご指導ください」、いいえ、いいえ、当方はコンピュータというか、ネットなど技術的なことに不案内で、教えることなどはできませんが、色々とお話しし合いながら、より良い選択をしましょう。
2019/3/19(火) 午前 7:19