平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

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 私は広いマンションを買うのをあきらめて、今の場所に土地を買った。

 しかし、土地だけでは住むことができないから、生活は相変わらず団地住まいであった。それならば、私

どもに「送金しろ!!」 「送金!」と言わないだろうと思っていたが、そうではなかった。

 二女を通じて、相変わらずであった。

 おまけに何をどういう考えでそうしていた分からないのだが、裁判所に行って私を告訴するというのだっ

た。私はラッキーに電話して「なんで、俺を訴えるのかわからないが、あそこの女どもと××(三女の夫)

が金を送らないと訴えるとわめいているんだ」というとラッキーは「あの馬鹿ども、裁判ごっこをやりたん

だ。三女のだんなは駄目な奴だろう。だけど、あそこに住んでもいいだろう?駄目か?」という。

 「そんなことできるわけがないよ。××の母親とちょうちんさんは虎と狼だよ」というと「それもそうだ

な」という。

 この時私は××の母親がラッキーと関係あるとは思わなかった。今思うに××の母親は第一妻の子である

ようだ。

 私は××の実家を訪ねて、事情を説明して、××に自分たちで独立するように助言してくださいとお願

いした。

 ××の祖父はもとよりあそこに行くのは反対であったそうだ。「青米3升持ったら、婿養子には行く

な!」と言って激しく反対したにもかかわらず、行ってしまったそうだ。「お兄さん、厳しく言って出し

てください」とのことだった。

 その旨、伝えたが、険悪な雰囲気は相変わらずであった。

 

 団地に住み始めて、住居もあんてして、私も子が出来て、仕事もやっとなんとかなるようになったので、

持ち家が欲しくなった。

 せめて、子が学校行くときには自宅から通わせてあげたいと思った。

 私に子が出来てほどなく三女が結婚して、江戸川の家に夫を連れてきた。江戸川の家は2軒あって、片方を

貸家にしていた。その貸家の方に三女夫妻が住んだ。

 それまでは貸家の家賃収入はちょうちんが取っていた。三女夫妻が入ってきたら、ちょうちんの家賃収入

はなくなった。

 私どもも持ち家が欲しくなった。マンションを購入しようとあちこち当たり始めて、かなり、広い物件を

見つけて、契約寸前までいったので、ちょうちんに見せておこうと思って、一緒に連れて行った。

 私はその時も、ちょうちんの子だと思っていたので、息子が自宅として、マンションを買うのを喜ぶだろ

うと思ったからだ。

 しかし、喜ばなかった。そして、三女に「あんちゃんは、運動会ができるような広いマンションを買う

からと言って。連れて行ってくれたよ」と、伝えた。

 そして、三女は「そのマンションは私が住んでやる」と言った。

 いかに間抜けな私でも、ふざけたことをいう女だと思った。「冗談ではない。なにを言っているのだ」

というと、その場はそれで収まったが、何日かすると二女を通して「この家と貸家を建て替えて、夫の母

親とちょうちんと一緒に住まわせて、母屋は三女たちが住むことにするので、私(二女)と、お兄ちゃん

(私のこと)とで、送金しろって言ってるのよ」と言う。

 「そんなのできるわけがないじゃあない!君だって、社宅にいるのにそんなことできるわけがないじゃ

ないか!!とんでもない!!」と、断った。

 それからは江戸川の家に行っても、二女の家に行っても険悪な雰囲気であった。叔父(本当の叔父です)

は「こんな風にしているのは教育上悪いからね」という。

 みんなが険悪な雰囲気であった。私は三女の夫に電話して「みんなが暗くなるし、お宅のお母さんやお

じいさんもおばあさんんも困ると言っていました。何とか、別の家で生活してほしいので、ここから出て

行って頂けないでしょうか?」と、お願いしました。

 二女を介して「せっかく来てやっているのに、とんでもない」との返事でした。

 おまけにちょうちんは孫であるはずの私の子に電話してきて毒づく始末でした。

 ケチが付いたマンションの購入はやめました。

クラブ

 「戸畑生まれ」様のコメントにもありましたように私の祖父母がやっておりました倶楽部と称した遊

郭は、私どもの祖祖父が八幡製鉄所の創立に関係したからだと思います。

 明治維新は、土佐をはじめ四国は、いわゆる勝ち組であったと思います。

 祖祖父は、早くから、四国を出ていろいろ出かけていたようです。八幡製鉄所の創立に関係したようで

す。どういういきさつかわかりませんが、八幡製鉄所で、社員の保養施設として、「クラブ」を作ることに

なって、長女と次男である祖父の姉を若松に呼び寄せて、慰安所としての「クラブ」の営業をさせたようで

す。

 これが太平洋戦争が終わって、売春防止法ができるまで続いたようです。

 山口 瞳氏が言われるように「この商売をしたものは子孫が滅びる」のでしょう。

 なにしろ、付き合う人間は人さらいとか女衒とかが多かったのは必然であります。そして、福岡には筑

豊炭田がありますから、川筋者との接触もあります。

 私がラッキーに攫われて。監禁されたのが遠賀川添いの権蔵小屋です。若松で観光用の権蔵小屋を見て

何とも言えませんでした。裏日本気候の2月、祖母と二人で床なしの3畳ほどの馬糞紙でできた権蔵小屋で

の記憶は、私の記憶の始まりです。


 それと、東亜子や私の周りには白人様の面容をしたものが多いことも明治維新にさかのぼるのでしょ

う。それもこれらに関係あるのでしょう。この項で書きますのでよろしく…

 

 帰国が秋も深まった11月頃であった。日本では仕事がなかったので、就職をしなけれた成らなかった。

 すぐに就職活動をして、不動産会社に決まった。12月から勤め始まった。仕事が決まったので。所帯を持

つことにした。で、翌年、正月休みに江戸川の家を出て、中野のアパートに引っ越した。引っ越しと言って

も彼女の車(普通の乗用車だった)で、2往復の荷物だった。

 最初は二人で勤めていた。結婚すれば、当然、子ができることを考えなければならなかった。そのために

は、住居を安定させなければならないので、公団住宅の抽選にいつも応募していた。

 私が勤めた不動産屋では、営業だったので、売り上げ成績で、給料も上がるし、役職にも登用されるシス

テムであった。いろいろな土地を売り歩くのですが、仕事には向いていたのか、12月に入って翌年4月に係長

になっていた。そんなときに公団住宅に当選した。会社に通勤することにはかなりの無理があった。

 少し、迷ったが、生まれてくる子のために、住居を安定させることにした。

 こうして、今の仕事に就いた。

 帰国してから、1年半後には、1児の父となった。

 
 生まれてきた子は、最初、誰に似ているかみんないろいろ言った。団地では、みなさん「お父さん似‥

ね!」と、言われた。

 そして、ちょうちんは誰とは言わなかったが、この乳児を見ることを嫌がった。私の叔父にあたる人が

「子供というのは、君や○子さんの父母や祖父母などのみんなの寄せ集めなんだよ。だから、みんなの合

作なんだよ」という。

 当然、ラッキーのロシア人様の顔かたちではなかったし、ちょうちんのようでもなかった。

 そして、二女は「お兄ちゃん、○子ちゃんが出来て、変わちゃったのね」という。

 私が子のために、仕事を変えても、住居を求めるのを言っているのだったが、当たり前だろうと思って

いた。

 2度目のロスでは、ガーディナーのボスになって、自分でお得意を獲得して、アシスタントを連れて、仕事

をした。

 しかし、アメリカ全体では、不景気であった。古くからの日系人などは「景気がいいのは教会だけだ」と

いうようになっていた。私どもと同じようにアメリカで仕事をしていた日本人も兵役に就くものが出てきた

りしていた。兵役に就くとアメリカ市民権がとれるので、私の知り合いでも何人か兵役についた。

 私はそんな気がなかった。

 そして、≫突然、帰国を決意した。

 帰国すると決めたら、できるだけ早くした方がよかったので、持っていた車や作業用の道具を売ったり、

得意を誰かに委譲しなければならなかった。

 それらすべてを終えるとすぐに帰国した。

 連絡なしであった。

 羽田に着いてそのまま江戸川の自宅に帰った。当時、ちょうちんと三女がいるだけであった。二女は結婚

して、夫の社宅に移っていた。

 自宅に着いたのは、昼過ぎであった。三女は学校は終わっていたが、仕事を持っていなかったし、ちょ

うちんは化粧品を売っていると言っていたが、その実、無職であったがいつも出かけていた。

 自宅に着くと、誰か中にいる様子であったが、ベルを押しても出てこない。

 隣家の方が、「あら、お兄ちゃん、帰ってきたの…○子ちゃん(二女の名前)中にいたわよ」という。

 仕方がないので、間をおいて、ベルを鳴らしていた。


 何度目かだった。中から、鍵を開ける様子があって、戸が開いた。

 二女が上がり框に、裸同然の姿で、「いつ帰ってきたの?」と・・・

 「2,30分前に…」言うと、困ったような顔をしている。続けて「おふくろは?」というと「旅行に行っ

ている」と、そんな話をしていると、二階から、見知らぬ若い男が洋服を着ながら出てきて、上がり框の

二人の横をすり抜けて出て行った。

 

 

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