平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

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怯え

  例えどんな事情があろうとも分の子でもないのに戸籍に入籍して、成人してからも、真実を告知しなければ、それは連れてきた子を殺害したのと同じであると私は思っています。
 現に私どもの場合でも、何度か、ラッキーやちょうちんは私のみならず私の家族ぐるみ金に換えられればという思いがあったようです。

 私どもだけでなく、私の両親に対しても苦しい思いがあったようです。私に子が出来た時に、もちろん、私の子はラッキーやちょうちんには面影のかけらもなくて、それどころか私の両親によく似ていて、苦しい思いで見ていたようです。

 このこと、私の子は子供の時から気付いていて、ラッキーとちょうちんのことを「あの方たちは私の祖父母か?」と、疑っていたようです。

 このことに関していろいろありました。これから少しづつ・・・この項で

ヒント

 東京オリンピッの翌年(1865年)、横浜港からサンフランシスコに向けて豪華客船で友人2二人とともに渡米しました。この旅費を得るために朝は国鉄の押しや、夜は警備員と昼夜を問わずアルバイトでした。豪華客船と言ってもディーゼルエンジンの真上でした。
 この 2年後、帰国しましたが、この時は飛行機でした。復学して、学校を卒後yして、東京都に2年間勤めた後、再度、渡米した。この時は羽田から、飛行機でした。
 この時はアメリカに行く場合、船で行くことは考えられなくて、殆どは飛行機でした。輪すかの間に飛行機になっていました。
 この2年後、私が帰国するまでに日本では飛行機事故が何度か起こっていました。
 
 かなりの犠牲者を出していました。

 これにヒントを得たちょうちんは、私が渡米中にもかかわらず私に対して生命保険を掛けることを思いつきました。
 在米中、それは頻繁に金の無心をしてきていました。その都度、送金していました。
 そもそも、生命保険に加入するには身体検査があったようでしたが、それを別人にさせての生命保険への加入でした。
 あわよくば、私が帰国の時に飛行機が墜落するのを願ったのでしょう。ちょうちんにとって、私を金に換えるのには生命保険はいわゆる金づるだったのでしょうね。
 
 こんな風にされても、私はちょうちんが親だと信じていました。

 これから2年後、私は無事帰国しました。
 そして、所帯を持ちました。

 ところが、ちょうちんは私への生命保険の保険金を得るには、保険料を支払い続けなければなりません。
 妻は、この時、会社に勤めていました。
 1年後、妊娠して、出産のために、休んでいるときに、私どものアパートにやってきて、「洋ちゃんの生命保険なのよ。保険料を払ってくれない?後で、支払いの用紙を持ってくるから・・・」と、
 「まだ、生命保険には入りませんから・・・当面、子供ができるまでなにも考えませんから・・・」と、断った。

 しかし、二女から、しつこく私に「お兄ちゃんの生命保険料を払ってよ」と、行ってくる。
 私はこの時しつこいやつだなと思っていた。

 そして、満期なったらしかった。

 この時、私は誰が保険料を払っていたのか気にも留めなかった。

 ちょうちんが亡くなったその夜、病院の控室で・・・
 「あの女、金の亡者だったな・・・私に生命保険をかけて、受け取りを自分にして、早く死なないかなと思っていたんだよ」
 すると、二女は・・・
 「いいじゃない! あの保険料は私が払っていたのよ! ところであの保険は満期になったでしょう。どうしているのかな?」と

 その満期になった金はちょうちんの実子である三女に、家を建てるための土地を買ったのだそうだ。
 私がそれを知ったのはその土地買った後に、家を建てることができるか調べてきてほしいと兆人に頼まれて調査したからだった。
 もちろん、私への生命保険の満期金だったとは知らなかった


 
  私は日本国の戸籍を信じていたので、東亜子が殺害されて、自分の身分関係を調べて、戸籍上の父親になっていたラッキーと戸籍上の母親になっていたちょうちんとは何の関係もないとわかったが、幼少時代から小学6年まで過ごした福岡・笹栗の方たちは、皆さん、私がラッキーやちょうちんとは何の関係もないとご存知であった。
 しかしながら、誰も教えてはくれなかった。

 皆さん、そのことを教えるのが、いけないことのように思われていたのだろう。

 学生の頃、友人にお金を貸したことがあった。それを知ったちょうちんは、私の知らない間に、彼に返金を求めた。そのお金はもちろん私が稼いだものだった。
 かの友人はちょうちんのあまりのしつこさに負けて、全額をちょうちんに返金した。
 ところが、ちょうちんは金を受け取ったにもかかわらず、私にはそのことを言わなかった。
 私はそれから10年以上たって、所帯を持ってから妻に言ったが。妻は「もう、時効だからね」と言って、取り合わなかった。
 でも、私は時々思い出して、彼とは疎遠になって行った。
 今、自分が人の子の親になってみると、ちょうちんが親でないと痛いほどわかる。
 わが子はちょうちんが私の親でないことは子供のころから知っていて悩んでいた。

 皆さんは知り合いで、血縁関係のない親子がいて、子が騙されているような場合、教えてあげますか?
 

2月

 もうじき2月ですね。
 祖父、祖母、姉・東亜子・・・は、すべて2月20日前後に死亡しています。
 祖父については、四国に行ってその状況を調べてきました。四国徳島から戸畑の自宅に帰ってきた直後死亡しています。四国から祖父母を送っていった甥が、普通の̪死はないと言っていたようです。
 私の記憶の始まりは、祖父の死の直後からだと思います。あれが2月だったのでしょう。
 寒く、雨が強いのか掘っ立て小屋の外で、「馬糞紙では駄目だ!トタンにしろ!」と叫んでいる男の声が記憶の始まりです。
 この時の状況を知る人に確認すると、私は祖母と一緒にこの権蔵小屋に押し込められていたそうです。
 権蔵小屋とは遠賀川沿いで生活するゴンゾウたちの住まいである。現在・観光用に若松に権蔵小屋があった。
 3鵜畳ほどの広さで、特徴としては床がないことだった。
 ここで、私は祖母と一緒に閉じ込められていたそうだ。叔父がダイワンから帰還して祖母を官舎に連れて行って、私は権蔵小屋に残された。
 叔父は私が生きてはいないだろうと思って祖母だけ連れて行ったようだ。
 この事を私は恨んでいないが、私がラッキーとちょうちんの子でないことは伝えて欲しかった。

大河ドラマ

 今年の大河ドラマは幕末の鹿児島が舞台ですね。明治維新の勝ち組ですね。
 私どもの祖父母の出身地は四国ですから、土佐とはなにかと縁があったようです。
 明治になって、八幡製鉄に関係を持って、クラブの営業を任されたのも、こういうとこ    
ろからでしょう。
 祖母の兄は、北海道に渡り、その後、ロシアに行ったそうです。

 私は信じたくないのですが、祖母の祖父が土佐の…と言われて、いろいろ出かけていたので、祖母の父は京都で生まれて、今日の寺で、育って、そこから、婿養子に阿波来たとの伝えです。ですから、祖母の家は寺の隣です。
 日露戦争が始まって、ロシアにいた祖母の兄は苦戦していた日本軍に加勢して大活躍をしたそうです。
 東亜子が東京・江戸川から、東北に連れていかれのは、その時祖母の兄の世話になった方々だったそうです。
 このことは、東亜子亡き後、私は東北各県に伺い、いろいろ伺いました。
 

 

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