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ラッキーの第一妻はラッキーより一回り上です。つまり12歳年上です。
第二妻であるちょうちんはラッキーより一回り下です。つまり、12歳年下です。
ラッキーの第一妻と第二妻との年齢差は24歳です。
このことを東亜子が殺害された後、第一妻の長女ですから、戸籍上、私と同じ東亜子の相続人です。
東亜子の死によって、私は第一妻の長女と長男の存在を知り、長男とは面識を得ました。続いて長女の方に連絡を取ることができました。
その前に第一妻と第二妻であるちょうちんとの年齢差は24歳であることは知っていましたし、第一妻の長女がちょうちんと同い年であることも知っていました。
初めて、電話した時、
「○○さんは、ちょうちんさんと同い年だそうですね。・・・」と言うと、
「えっ まあ・・・」と言ったきり、絶句です。この言葉が彼女と交わした最後の言葉となりました。
その後、東亜子の周りにいて九州で一緒だった人物にも会いました。この人物によると、第一妻の長女は私のことを九州で見ていたし、彼も私のことを知っていたようです。
第一妻が東亜子を産んだとすれば48歳である。で、続いて私を産んだとすれば53歳です。
「戸籍とは、物語であるから・・・」とよく三女が言っていたことが本当になってしまうので、ラッキーは一回り下のちょうちんであったのでしょうね。
第一妻もラッキーも東亜子のときは借金の追われて、手ごろにできる戸籍だったのでしょうが、私の時は用意万端だったのでしょうか…
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ラッキーが東亜子を攫ったのは若いころ、東京で借金を作っていたことによるものだが、私を連れてきたことは、単なる馬鹿養子として金を奪うのが目的ではないと思う。
その前に、ラッキーが第一妻のところに行って、居候のようにしていたことを記します。
ラッキーは第一妻と初めて結婚した妻です。第一妻の容姿ははぼ白人だそうです。ラッキーも白人と言って言い容姿でした。
二人はかなり近い血縁関係でしょうね。
ラッキーは学校も行かずに福岡でぶらぶらしていた若いころ、突然、どこかから金を得て、それを東京への旅費にして東京に出て行ったそうです。このことは私に金の出所を言わすに、東京に出てきたことだけを言っていました。
どこに行ったとも言わないで、大学に入ったと言っていました。
第一妻は栃木県の出身で、ラッキーが東京に出てきたときにはすでに結婚していた。もちろん、ラッキーとではなく、Nと言う同郷の方と結婚していた。ラッキーが上京した時にすでに二人の子がいたそうです。
東亜子の死後、私は第一妻とNさんの息子さんにお目にかかりました。
ところが、ラッキーはNさん宅に行き、第一妻と懇ろになってしまいます。そして、二人は遊びにうつつを抜かし、借金を作ってしまいます。
借金に追われて、ラッキーは福岡に逃げ帰ります。ラッキーがいなくなって借金の取り立てが、第一妻にきたのでしょうか・・・
ラッキーが私に言うには「東京から、突然、福岡にあれがやってきたんだよ。しょうがないから一緒になったんだよ」と言っていました。
しかし、借金の取り立ては、やむものではなかったのでしょう。ほどなく、第一妻は東亜子を攫って、東京に行きました。
私は東亜子の自伝と東亜子を受け取った人のお話を聞いて、この話は本当であると思いました。
東亜子を受け取った方は「戸籍はちゃんとしたのね!」と、確認して小学校入学前の東亜子を受け取ったそうです。
いずれにしても人さらいです。
この時、東亜子を受け取った方は、もちろん、東亜子が第一妻とラッキーの子であるはずがないと知っていました。
時に、東亜子は小学校入学の1か月くらい前だそうです。
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ラッキーが東亜子と私を攫ったのは、どんな理由か考えるときに、彼の出生について記さなければならないと思います。
ラッキーはよく「四国に行くと村の古老に【ゲンさんの倅かよう似とるわ・・・】と、といわれる」と私に言っていた。
それを第3婦人に言うと、「そんなことないでしょう!だって、あの人は四国に行ったことがないのよ。馬鹿馬鹿しい」と言う。
東京に来てから、家にあった写真を整理すると言って、どこかに持って行った。
私の祖母(母方)は、四国の美人の里といわれる村落でも美人と言われた。東亜子が殺害された後、祖母の村に行って、祖母についてたすねると「きれいな人やったわぁ・・・」と、祖母を知る方に言われました。
その祖母が祖父と共に福岡に行って、祖父と新たに仕事を始めることになった。
福岡には祖母の兄がいて、川筋者の親分をやっていた。
そこに阿波の田舎から出てきた祖母が行ったのだ。祖母は川筋者の親分の妹である。しかし、美人の里で、美人の誉れ高い若き祖母は目立つ存在であったろう。
川筋者親分である兄の支配下には「人さらい」を生業にしているものも多くいた。その中で白人様の容姿で、知恵遅れのブンがいた。
親分の妹と知ってか知らずかわからないが、襲われた結果・・・だろう。
女性は悲しくて、憎むべき男に似た子がわが子になってしまうのだった。
その結果、祖母はラッキーを見ると蹴っていた。
この蹴られたことをラッキーは私にもよく言っていた。
このことを妻に言うと「そりゃそうよ。おばあちゃんかわいそうだったねぇ・・・憎むべき男に似た子を産んでしまうのよ。悲劇だよね。・・・それと同じようなことが満州からの引き上げの時もあったって言うよ・・・」と、
それより、祖母の兄は川筋者の親分なのに、配下の者が妹に対して、そういう狼藉を働いても何もしなかったとすれば、フンは祖母の兄の縁者なのだろうか?
ラッキーが祖父母の写真を始末してしまっていたが、ちょうちんの死後、ちょうちんが鞍替えの時の写真を発見したので、四国に持参して、祖父を確認した。
「これはゲン叔父やわぁ・・・あんたによう似とったわぁ・・・」と、
そもそも。戸籍は、こんな場合はどういうに記載されるのだろうか?
ラッキーは何歳だかわかりません。というのも戸籍に記載されたのは生まれて何年後だったかわからないからです。
祖母の実家にも祖父の実家にもラッキーの存在を知らせていなかったようです。
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我が家の愛犬ダイアナとチャールズが亡くなる前にラッキーが、無心にやってきた。
その頃、チャールズはまだ成犬ではなく仔犬といってもいいくらいでしたので、ラッキーにまとわりつきました。で、
ラッキーは異様に怖がったので、聞きました。
「おやじさん、犬は嫌いですか?」と、
「いや・・・嫌いじゃあないよ。 だって、わしはガキの頃、犬と一緒に寝ていたんだから・・・」と、
ラッキーはどこで生活していたか、全く言わなかったし、ちょうちんも言わない。それどころかラッキーに至っては、
いわゆる学歴詐称をしていた。
この項、追加します。
学歴詐称
普通に考えれば、昔ですから、小学校、高等小学校か旧制中学校から大学でしょう。
ラッキーは常々私どもに「わしはC大学卒業した」と言っていた。
私どもの小学校や中学校などで家庭調査書などがあって、親の学歴を書く欄があった。それにラッキーはC大
学卒業と記入していた。
東亜子殺害事件の後、私は福岡に小学校時代の恩師を訪ねて、いろいろ聞きました。
学歴のことについては「そんなんじゃあないでしょう」とみんな分かっていた。それよりも私を攫ってきたことも学
校の先生を含めて、明治鉱業の社宅に住んでいた全員が知っていたようだった。知らぬは私だけだった。
石炭採掘会社の社宅は「権蔵小屋」ではないが、2軒長屋ですが、権蔵小屋のようなものであった、
ちょうちんは女学校卒と言っていたが、小学校もろくに行かないで、お商売をしていたのだった。
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我が家がここに来てから、2,3年経った頃だった。ちょうちんは我が家にものをくれたことはなかった。それどころか、我が子を連れて江戸川の家に行って、幼い孫である娘が冷蔵庫の中に自分の好きなものを発見して、「食べたい」と、言ってもっちょうちんは決して食べさせはしなかった。その断る理由ふるっていた。
「これはお姉ちゃん尾だから、だめだ」と言うのだ。『おねえちゃん』というのは三女のことである。成人して、結婚までしている娘のことを言っているのです。私の子はちょうちんにとって孫であるはずなのに・・・
ここに越してきて、3年ほどした頃だった。
犬を飼い始めて、最初の犬が野犬狩りにあった。その次にコリー犬の雌を飼い始めて1年もたたない頃、散歩途中に落とし穴にはまって、悪童どもに捕まり、私が発見したのは木の枝に後ろ足をロープで縛られ吊るされていたので、後ろ足が壊死して3本足になったので、相棒として雄のコリー犬を飼い始めた。
つまり、新しい家族としてだ。犬を飼い始めてからはちょうちんも三女もあまり我が家に来なくなった。
ちょうちんも三女も我が家の大人がいない時を狙ってきていた。ちょうちんも三女も我が家に電話など掛けてきたことはなかった。用事があれば、二女に命令して、二女から私の方に言わせるのであった。大概金の無心です。
そうしたある日、「田んぼちゃん(二女の夫は農家の出身だった)のところから、お米を上げると言って、置いて行ったから、取りに来て」と言うことだった。
翌日、取りに行った。
市販のビニール袋に入っている大量の米をくれた。我が家の3人家族では、ほぼ、1か月の消費量だ。
しばらく、買ってあった米を食べていて、ちょうちん経由できた二女の実家の米を食べようとしたのか少したってからだった。
ところが、妻が洗米したところ異物が混入しているという。「なにか小さな粒々が入っていて、分離しようにもできないのよ。こんなに沢山あるのに全部に入っているのよ。どうしよう・・・・」
かなり、長い間、考えてた。飢えを経験している私は捨てるという選択肢はなかったので、「大丈夫だろう」と言ったが、妻は長い間悩んでいたが、犬たちにやることになった。
こうして、犬たちに豚のもつと一緒に煮てあげたら、喜んで食べた。
「おいしそうに食べているから、よかったね」と、妻も言っていた。
2歳と3歳のコリー犬の朝の散歩は私が自転車で2頭の犬は自転車について走っていた。
ある朝、自転車の後ろについてきていた雌のダイアナが突然倒れて、こと切れた。
私はダイアナの遺体を抱いて、自宅に戻った。呆然自失だった。
そして、雄犬で2歳のチャールズは放心したように虚ろになって、食事をしなくなった。呆けたようになって、上を見ているだけだった。
翌日、夕方、帰宅すると、チャールズは遺体になっていた。
この話を近所や知り合いの皆さんにしたら、「チャーちゃんは、あんなにダイアナちゃんの食べ物を取ったりして、わがまま言っていたのに、ダイアナちゃんを愛していたのね。いなくなってショックだったのよ」と言って、みなさん、悲しんでくれた。
そして、それから4,5日したら、ちょうちんから、2度目の電話があった。
「どうしたの? こんなに朝早くから、いつも電話なんそしてきたことがないのに、何か用?」と言うと 「しばらく、連絡がないからどうしたのかと思った」と言って、狼狽している。
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