平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

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 現在のところに越してきて、2,3か月くらいのときに、縁あって、雑種の犬を飼い始めた。

 その間、何度かちょうちんは私ども大人がいないときにやってきていた。子供だけが在宅の時を狙っていたよう

だった。

 「もう、江戸川のおばあぁを越させないで・・・だって、私を召使のように『お茶入れて』って、いろんなことを命令する

んだもん・・・それと、ダディちゃんや マミィちゃんの机やタンスをごそごそいじって感じ悪いんだもん!!」

 それなのに、娘はちょうちんにとって初孫だと思っていたから、江戸川の家にはよく連れて行っていた。

 ところが、ちょうちんは娘からは逃げ回っていたし、恐怖を感じていたようだ。そんなに嫌いな娘がいるときを狙っ

て、わざわざやって来る目的はなんだったのか私どもは気にしなかったが、ちょうちんの死後、江戸川の家を整理し

ていたら、我が家の家の権利証やら、土地登記簿やらが出てきた。

 ある日、仕事が早終わりして、家に帰ると、ちょうちんと、三女が子連れで来ていた。

 私どもの姿を見て、あわてて、帰ろうとする。

 「もう、帰るの?・・・ゆっくりしていけばいいよ。送っていくから」と言っても、三女は外に出た。仕方なく、我が家

一家で、駅まで送っていった。

 帰りの車の中で「もう、あの人たち、うちに越させないで・・・ほんとに私を召使みたいにして、ごそごそ民なんp机

やタンスなんかいじって感じ悪いんだから…」と言う。

 最初の雑種の犬が野犬狩りにあった後、コリー犬二頭が我が家族になった。

 こうして、2,3年経った頃だった。

江戸川堤

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江戸川堤

 昨日(9月19日)久しぶりに東京方面に行ってきた。

 写真は千葉県と東京の境界になっている江戸川を東京方面から写したものです。

 昭和20年3月頃、東亜子はラッキーの第一妻に攫われて、東京に連れられてきて、ラッキーの借金の形に吉原

関係者に引き渡される直前にここを行きつ戻りつしたそうです。

 私がこの話を聞いたのは東亜子を受け取った本人からです。

 浅草出身で、吉原の女郎屋経営者の娘です。いずれはおかみさんになるべき人です。東亜子が殺害された時

には80歳近くになっておりました。

 私どもが東京に来た時から、お世話になっておりますし、ちょうちんはなにかというと相談に行っていたようで

す。斯く言う私も腹を空かせて昼飯をごちそうになったことは多々あります。

 ラッキーんぽ第一妻が東亜子を福岡から東京に連れてくる様子は東亜子も書いていますが、引き渡されるとこ

ろは書いてありません。おそらく、借金の形に引き渡されるとは思いも及ばなかったことでしょう。

 私も東亜子も祖父母のところにいたのに、その祖父母を襲って、学齢前の子を二人誘拐したのですね。

 私は何もわかりませんでしたが、東湖は母に騙された様子を語っていました。

 誘拐してしまえば戸籍はいかようにもなったのですね。

 そして、最後は殺害ですね。

 江戸川堤での様子を教えてくれたこの方は「老い先短いので、話しておかねばならない。せめて、洋ちゃんには

言っておかねばと、話してくれました。

 ありがとうございます。

 上の写真ですが、この場所は『男はつらいよ』で、渥美清さん演じる「寅さん』が、ここで写っています。

生命保険

 ちょうちんは、私が在米中に私の死亡時にちょうちん受け取りの生命保険をかけていた。

 今はどうか知らないが、当時は生命保険に加入するときには被保険者の身体検査が必要だった。私が渡米

中に日本の医療機関で、私が身体検査ができる状況jにはなかった。

 しかし、私には生命保険が掛けられていた。

 ということは私に成りすました同年代の男が私に成り代わって身体検査を受けたか、医療機関が偽の証明

書を出したかであろうと思われる。

 いずれにじても不正が行われたのでしょう。

 今、思うに私に成り代わって身体検査を受けたものがいると思う。つまり、ちょうちんには私と同年代の

いて、彼に代理をさせたのでしょう。その男は私が旅行とかで不在になると江戸川の家にやってきていた。

 日本で大きな航空機事故があったのを見て、ちょうちんが私が死ねば保険金が手にはいると考えたので

しょう。

 私が帰国して、すぐに所帯を持って江戸川の家から出て行った。何か月かして、妻が妊娠した。切迫流産

の危険があって、絶対安静の妻のところにちょうちんが見舞いと称してやってきた。

 見舞いではなく、こういうことだった。

 「お義母さんは酷いよね! こんなトイレに行くのもままならない状態のところに来て、あなたにけけ

ている生命保険の保険料を私に支払えっていうの・・・で、どんな保険なんですか? って、聞くと、呆

れたわ! あなたが被保険者で受取人は誰だと思う?あの義母さんだって!!  普通はね。自分のかけ

て、子供たち受け取りにするのが一般的でしょう。なのに、年下の息子にかけて自分受け取りなのよ。ど

んな感覚をしているの??」

 つまり、ちょうちんは私の命が金に換えられないかといろいろやっていたのだろう・・・・

 『藤田小女姫殺害事件』も、同じ発想からだろうか・・・

土筆

  いろいろあったが、私の念願だったわが子の小学校入学を自分の家から通わせるという目標を達成できたの

で、子供の入学式には一家三人で出席した。

 ここで、思い出すのは私自身、戸籍上の親であるラッキーやちょうちんが私の入学式や父兄参観などには来た

ことがなかった。それどころか、結婚式など他人が集まる場所には二人とも出てきたことはなかった。

 ラッキーもちょうちんも私とは似ても似つかぬ容貌をしていたから・・・・

 ラッキーが私を攫った一番の理由は、私が祖父に似ていたことだろう。

 ラッキーは、どう見ても私の祖父の「ゲン」さんの子ではないのは一目瞭然だった。

 東亜子の死後、私は四国の藤田関係を戸籍謄本や、除籍謄本の資料を入手して、くまなく調べた。そして、こち

らの資料も全部持って、尋ね歩いた。

 四国に行くと自分によく似た方たちが多かったし、祖父のこともよく知っていた。

 驚いたことに母もそうであるが、母の兄(私にとって伯父にあたる)がよく四国の本家に来ていたことや祖母の実

家で生活していたことまで、話してくれました。

 私も50歳を超えて、祖父の年齢に近くなっていた。「ゲン叔父は、ようあんたに似っとったわぁ〜」と、

 そうなのだ。ラッキーが私を攫った最大の理由は私が祖父に似ていることだったのだ。

 明治鉱業の社宅にいるときに、他の大人たちは公然と私がラッキーやちょうちんの子ではないと言っていたそう

だ。見れば人種が違うほど似ていないのに私は気にしていなかった。

 ラッキーは大人であるから、気になったであろうから、父兄参観や入学式にも出てこなかったのだ。

 まして、結婚式など・・・

 
 我が家が引っ越して一か月も経たない頃、子供が学校から帰ってくると、玄関の前にちょうちんがいて、鍵っこ

だった娘が玄関のカギを開けると同時にちょうちんが我が物顔で入ってきて、家の中を阿智kポチ何か探していた

そうだ。

 そのことを、娘は「××のおばあぁ・・に、もう、来ないように言って・・・だってね家の仲やダディちゃん(私のこと)

の机や本棚をひっくり返したり、がちゃがちゃといじっているんだから・・・」  

 「もうすぐ、みんな帰ってくるから、みんなと一緒に何か食べようよ・・・って、言ったら、何って言ったと思う?」

 「なって言ったの?わかんないよ。・・・」

 「あの方ね  『そりゃぁ ヤバイ 早く帰らないと・・・駅まで送ってくれる?』っていうのよ。しょうがないから、駅ま

で行くことにしたよ。 途中に  ほら、 新しいお墓があるでしょう・・・あsぽこに 土筆が生えていたのよ。そした

ら、あのお墓広いでしょう。もう、夢中になって、土筆を採っているんだよ。随分長い間土筆を採っていたよ」

 「そんなに長い間採っていたら、いっぱいにになってだろう?」 

 「そうだよ。変な手提げを持ってきていたから、それにいれて、持って帰ったよ。もう、あの方。うちに越させない

で、やんなちゃうから・・・家の中はがちゃがちゃいじるし・・・」

 このことを、私は叔父に言って、意見を求めた。すると・・・

 「洋ちゃん、あの人たちは教育上、あまり、感心しないから‥‥ね。あまり、接触しない方がいいよ」と言う。

 接触するなと言われても、困ってしまった。

 

 

蛙の子

 Yと三女の一家は無事にYの会社の近くで一家水入らずで生活が始まった。ちょうちんもほっとしていた。

 三女は私に「あんちゃん!悪かったよう…・こっちに来てから、外で暮らすのはこんなに自由でいいものだとはし

らなかった!なんで、あんなところにこだわったのだろう?」という。

 「そんなことはこっちが聞きたいよ」と思ったが、「まぁ、いろいろ見てみるのもいいからね」と、答えた。

 
 山口 瞳氏の「血族」には、人を攫って本当の親子関係を隠して生きてきても、最初の子供のときまではなんと

か我慢しても、その次の世代になると苦しくて、耐えきれなくなるようだようだという意味のことが書かれているる

が、ちょうちんもラッキーも私に子が出来ると私の子つまり、彼らにとって孫になるのだが、やはり、苦しいものが

あったようだ。

 その前に、私が中学生くらいの時から、ラッキーは「芸者なんていうのは、とんでもないんだから、手足をちょい

ちょ いと動かす8だけで、政財界の大物たちと減らず口をたたいて、ふざけているんだから・・・」と言って、芸者な

どというのは下賤な職業であると、私にしきりに教えていた。別に私は芸者がどうのこうのと思ったことはなかった

し、まして、自分の親が芸者だとは夢にも思っていなかった。

 芸者とは何の仕事をするのか、考えてもいなかった。

 子供が幼稚園の年齢に達した時に、近くの幼稚園の申し込みに外れてしまった。で、しょうがないので、楽器会

社の「音楽教室」に通わせることにした。本人はそれを大変喜んだし、毎日いかなくてもいいので、こちらも楽で

あった。

 ところが、音楽教室の先生が「お宅ではどなたか、音楽をやっているか教えておられる方がいるのでしょうか?

○○子さんも、音楽は好きなようだし、向いていると思うので、本格的にやられてはいかがでしょうか・・・」と、言わ

れて、そんなものかと思っていたら、その音楽教室は楽器会社がやっていたので、当然、その会社のを勧められ

た。
 
 しかし、「そんなに本格的にやった方がいいのかな?」とも、考えて、妻に「そちらでは音楽をやったりするんpが

好きな人がいるか?」と、聞くと、「私も不思議だったのよ。○○子ちゃんは、小さなころから、踊ったり、鳴り物をし

たりするのが、ほんとに好きだったでしょう。私は音痴なのに変だと思っていたのよ。江戸川の方だって、いって

は悪いけれど音痴に近いでしょう」と言う。

 私は自分の子が一芸に秀でることは、うれしかったので、何とか、続けさせてやりたいと思った。

 団地住まいでは無理だし、家を用意すると言っても密集地ではだめだし、家自体も考えねばならなかった。

 それで、今の場所に、ピアノ補強をした家を作ることにした。時間も金もなかったが、なんとか引っ越すことがで

きた。我ながら頑張ったと思う。

 それにしても、人の実親を隠すことの罪の深さは許せないです。

 私の母が芸者であったと、わかった時にわが子は「私も三味線をやっておきたかった」と、

 内装抜きで、家具と言えば大きなピアノだけが目立つ家に引っ越した。

 でも、これがかちょうちんもラッキーも自分たちの犯した罪におののくものとは知らなかった。そして、三女はこの

家を狙った。

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