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「陰々滅々」と言う言葉が一番ふさわしい日々を送っていた。私は中学、一番下の三女は小学校に入学した。
私は知らなかったが、あとで、伝え聞くと、三女は学校には行っていなかったそうだ。朝、みんなと一緒に出かけていって、暫くして、家に帰ってきていたらしい。
たまにちょうちんに見つかったらしいが、ほとんど、ちょうちんは何処かに出かけていたから、何事もなく、家にいた日々であったそうだ。
そんなる日、学校から帰るとラッキーが珍しくいた。
「かあちゃんは、駅の近くの病院に入院した」という。
そして、例のMさんが、一緒に暮らすことになった。
その病院は駅裏の精神病院であった。現在でも同じ場所に営業している。別に見舞いに行ったわけでもないが、思い出す。
そういえば、不登校していた三女はMさんと一緒に錦糸町のラッキーが借りていた事務所に出かけていた。
「小岩、新小岩、・・・錦糸町」と、三女が錦糸町までの駅名を言うと、Mさんは「はい、よくできました」と、言って三女をほめる。
そんな雰囲気で、楽しい日々であった。
楽しい日々というのは長くは続かない。
ある日、学校から帰ってくると、ちょうちんが座っていた。
私も二女も三女もがっかりした。
このことを、後で、あの親切なおばさん(東亜子を買った家の人)に、ちょうちんはこう言ったそうだ。
「別にあの病院にいなくてもいいのだから、こどもたちを盗られてしまうので、、勝手に抜け出してきた」と言ったそうだ。
昨今、中国で、人さらいが横行して、多数のこどもを押し込んでいたのが手入れされた事件がありましたが、私どもはこの女にとって、物だったのですね。よく、『金づる』という言葉を使っていましたが、人質だったのですね。
もちろん、ラッキーとMさんは、この日から、帰ってこなかった。
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2012年05月17日
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