平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

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 この写真はビアフラの子です。イメージ 1
 
 
 かつての私の姿でもあります。
 昭和23年、福岡県小倉市の明治鉱業(株)の社宅で餓死した祖母とは、今の飯塚市で、遠賀川沿いのゴンゾウ小屋に一緒に閉じ込められていたそうです。
 戸籍上は叔父になるようですが? 台湾からの復員兵の叔父が二人を見たときの状態はこれより酷かったようです。
 この叔父は私がいわゆる仮性餓死であるから、駄目であろうと祖母だけを背負って、連れて行ったそうです。
 
 その後、ラッキーと提灯が私と祖母を社宅に連れて行ったのです。ゴンゾウ小屋の記憶が私の記憶の始まりです。
 東亜子の事件後,四国に行って調べたところ、これは祖父が事件か事故かわかりませんが、死亡した直後のようです。
 四国の疎開していた祖父母が戸畑の自宅に帰ってくるときの様子から、なにかあったようですが、これは後で記述します。
 
 上の写真ですが、私がこのような姿であったのは小学校終わる頃までです。
 
 何度も,書きましたが、このときの家族構成はラッキーと提灯、子供として,連れられてきた子が私と二女、ラッキーの子ではないが提灯の子である三女の5人でした。
 
 小学校の恩師に、40年ぶりにお目にかかりました。
 「おお・・・藤田君,元気だったか・・・こんなに逞しくなって」と、私の手をしげしげと眺めました。
 
 戦後、配給制度というものがありました。
 二女と私はこんな姿なのに三女は丸々と太っていました。私と二女には死なないくらいしか食べさせなかったようです。みんなで、一緒に食事をしたことはありません。
 このブログの「学ラン」の項で掲載した写真は大学の頃です。私の体型はがっちり型です。なのにこのようだったのです。
 
 提灯は私のような姿が写真に残っていてはまずいと思ったのか、私が成人した後
家においてあって写真等を焼却してしまいました。
 
 世間で「生みの親より,育ての親」などと言いますが、それはないでしょうね。
 飢餓状態の子から,配給の食糧をとって,我が子に与えるのが親でしょうね。それが自然の姿です。
 
 私はラッキーも提灯も最後まで自分の口から、私の親を言わなかったことは許せません。まして、自分たちが親であると言い張ったのですから・・
 
 元米軍情報将校、サイディンスッテカー氏はその著書「好きな日本、好きになれない日本」で、
 好きになれない点として・・・日本人は嘘に寛容であること・・・をあげています。
 
 こんな嘘を何でつくのでしょうね。こんな重大な嘘について、よその方は非常に寛容なのには,やりきれない思いです。

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