平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

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 母に会ったときに、最初に聞かれたのは「成城の自宅はどんなようすでしたか?」ということです。
 
 続いて「なんにもなかったでしょう?」と、まるで、そういう事例を知っているかのようでした。
 
 昭和21年2月、祖父が戸畑の自宅に帰着して、送っていった甥の栄一が四国に帰って、すぐ、祖父が消えて、祖母が私が監禁されていた飯塚のゴンゾウ小屋に押し込められたのは、そのすぐ後だった。
 
 そして、秀夫が台湾から帰還して、戸畑の家に行ったときのことを回想して、
・・・びっくりしたなぁ〜、もう、 なーんにもなかった・・・と、
 
 東亞子の殺害現場であるハワイ・ホノルルのコンドミニアムでの、写真を見ると、ものらしいものはなんにもなく、クローゼットに遺体が放り込まれていたにも拘わらず、
衣類がなんにもなかった。
 クローゼットに東亞子の衣類があったはずなのに皆無ということだった。
 
 祖父の死と東亞子の死には共通するものがあることを漠然と感じた。
 
 祖父のことをラッキーは貧乏であったと口癖のように言っていた。
 おまけに、私が結婚したときに若かった妻に問わず語りに祖父母のことを話していた。私も隣で聞いていたら・・・
 
 ラッキーは得意になって話していた。
「じいさんは醜男であったが、ばあさんは、美人であった。・・・それに貧乏であった」と、したり顔で話している。
 私にはいつも祖父が貧乏だったと言っていたから、何の不思議もなかったが、妻はその頃若い女性だったから、
 後で、私にこう言う。
 「なんだか、変よね。おばあちゃんは超美人だったっていうのに、おじいちゃんは醜男で貧乏なんでしょう?今はね、家付き、カー付き、ばばあ抜きっていうのよ。100%に近い女性はそんな男のところには、行かないよ」と、
 
 ちょうちんが亡くなって、若い頃の写真が出てきた。
 京都で撮影されたようで、昭和12年と裏に書いてあった。
 その写真は鞍替えの時のらしく、多くの若い女性と引率する人たちが写っていた。私はそれを持って、四国の祖父を知っている人を訪ねた。
 
 「こんなに抱えとったぁ〜!!」
 「これは源さんですか?」と、私は自分に似た男を指すと
 「源叔父は、よう、あんたに似とるわぁ〜」と、祖父の年代に近くなっていた私に言った。
 
 ラッキーがいつも貧乏だと言っていた祖父は昭和12年、ベンツに乗っていた。
 
 このブログに写真を載せている私が醜男だと言えばそうかもしれないが、昭和12年にベンツに乗っていた男が貧乏とは・・・よく言えた!!
 
 
 

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