|
ラッキーが我が家に来たことは1度だけです。 突然、電話があって、我が家の最寄りのJR駅まで、迎えに来てくれということだったので、時間に合わせて、駅まで出かけた。 駅に行くと、まだ来ていないのか姿が見えなかった。電話を掛けようにもそのころは携帯電話がなかったので辺りを見回しているだけだった。 ちょっとして、喫茶店から変な爺さんが出てきたと思ったら、ラッキーだった。道行く人たちが、ラッキーを見て笑っている。それもそうだろう。ラッキーの格好はちんどんやのようだったから・・・ 家に連れてきて、我が家の犬たちを見て「噛まない?咬まない?」と、言って怯えて居る。 「犬は嫌いなんですか?」と聞くと、「なに、わしはがきのころ犬と一緒に寝ていたんだよ」という。そのときは、「そうか」と思っていたら、そうではなくて、ラッキーが子供のころ板権蔵小屋は子供のラッキーを若い衆が追い出して、犬小屋に追いやっていたようだった。 こういうことも若松の権蔵小屋を見て、わかったのだから、調べなければいけないかったのだろう。この時も私はラッキーとちょうちんの子だと思っていた。 家について、昼飯に、ラッキーは四国の生まれだと言っていたので、うどんにした。四国と言えばうどんだから・・・ 「おやじさん、四国ではうどんをよく食うのでしょう」と、言っても返事もせず、がつがつと歯を鳴らして、食べている。 この時も私はラッキーが四国の生まれで、祖父の次男だと思っていた。 ところが、ラッキーの3番目の妻は、「あの人、四国に行ったことがないわよ」という。 事実、後に私が四国の祖父母の実家に行って、ラッキーのことを聞くと「えっ、男の子は竹さん一人でしょう」という、戸籍には子の祖父母の実家のいずれかも遠いところで入籍している。どうも別人が手続したようだった。 ほんと、日本の戸籍って、かの米軍情報将校が言われる通りです。 ラッキーはうどんを食べると帰りたいtぽ言い出した。その時も私は自分はラッキーの子だと思っていたので、「もう少しで、○子が帰ってくるから、会っていくといいよ」と、引き留めた。 でも、さらに帰りたいというので、車で送っていくことにした。 その時に、「最近の週刊誌で、ハワイから、なんだか、子供を連れてきたとか言っているけれど、あれはなんなの?」と言うと、びくっとして、靴を履きかけていたが、停まってしまった。 車に乗り込んでからも、押し黙ったままだった。 その時も私は孫に会いたかろうと、小学校の校門の前に車を止めて、校門から出てくる子供たちに「もう、帰りだよね」と言って、声をかけた。 ラッキーは「早く行こうよ」と言っている。「少し待てば出てくるから○子に会って行けばいいよ。時間は十分あるのだから…」と、のんびりしていた。 すると、私の運転席の椅子がガタガタと揺れ始まった。ラッキーが大きく震えているのだった。 実は、前に電話をかけてきたときに、ピアノの音をラッキーが聞いて「上手だなぁ〜、歌はヤラないんだろう?・・・」と言う。怯えは子のころからだったのか・・・ ちょうちんも、鳴り物の発表会などには必ず招待したのだが、出番が来る寸前に帰ってしまっていた。二人とも、なんで、孫の晴れ姿を喜ばないどころか怯えて居たるのはと、不思議だった。 人を攫った人間は、さらった当人の時はなんとか、頑張れるが孫になると耐え難いと言う識者がいる。 そして、養子・吾郎のことが世間に知れた時だった。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



