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「戸畑生まれ」様のコメントにもありましたように私の祖父母がやっておりました倶楽部と称した遊
郭は、私どもの祖祖父が八幡製鉄所の創立に関係したからだと思います。
明治維新は、土佐をはじめ四国は、いわゆる勝ち組であったと思います。
祖祖父は、早くから、四国を出ていろいろ出かけていたようです。八幡製鉄所の創立に関係したようで
す。どういういきさつかわかりませんが、八幡製鉄所で、社員の保養施設として、「クラブ」を作ることに
なって、長女と次男である祖父の姉を若松に呼び寄せて、慰安所としての「クラブ」の営業をさせたようで
す。
これが太平洋戦争が終わって、売春防止法ができるまで続いたようです。
山口 瞳氏が言われるように「この商売をしたものは子孫が滅びる」のでしょう。
なにしろ、付き合う人間は人さらいとか女衒とかが多かったのは必然であります。そして、福岡には筑
豊炭田がありますから、川筋者との接触もあります。
私がラッキーに攫われて。監禁されたのが遠賀川添いの権蔵小屋です。若松で観光用の権蔵小屋を見て
何とも言えませんでした。裏日本気候の2月、祖母と二人で床なしの3畳ほどの馬糞紙でできた権蔵小屋で
の記憶は、私の記憶の始まりです。
それと、東亜子や私の周りには白人様の面容をしたものが多いことも明治維新にさかのぼるのでしょ
う。それもこれらに関係あるのでしょう。この項で書きますのでよろしく…
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