平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

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同姓同名

  もう、半世紀近くになるのですね。ベトナム戦争が、激しくなり、アメリカでも、戦死者や負傷者がでて、わつぃどものように市民権のない物でも、軍隊に行けばアメリカの市民権がもらえるということで、友人たちの中には、ベトナム戦線に出かけたのもおりましたが、私は帰国することにしました。

 突然の帰国でしたが、所帯を持つことにしました。

 もちろん、この時も、戸籍通りに、ラッキーが父でちょうちんが母だで、二女と三女は同腹のしまいだと思っていました。
 現在の妻と結婚することは、滞米中に決めたことでした。

 2度目の渡米の時に、彼女は羽田まで、見送りに来ていて、ラッキーとちょうちん会っていました。しかし、会ったというよりは、見た。と言うくらいでした。

 押し迫った暮に、帰国して、勤めていた妻が正月休みにるるので、休みのうちに新しい住所に引っ越して、ささやかではあったのですが、いわゆる新婚生活に入りました。

 この時は、ラッキーはちょうちんと離婚して、第3妻と一緒に生活していましたから主に、妻と顔を合わせるのはちょうちんでした。

 今思うと、変なことばかりでした。悔やまれます。
 ちょうちんは妻に、妙に遠慮しているというか、怖がっている風でした。
 妻に言わせると、「なんででしょうね?○○子さん(三女のこと)が、あなたに電話すると、つないでくれなかったようなこともあったけれど、お義母さんは、そんなことはなかったのに・・・・ね?」と、

 東亜子の死後、私は母に会いました。いろいろ探し回って、マスコミ関係者の皆さんや法律関係者の方のおかげで,母に会うことができました、
 母は、さる著名人のあと沿いでした。

 著名なジャーナリストの方は、私の物心ついて初めて会った時の情景を詳しく尋ねました。
 そして、私が○○の奥さんとしか知らないので、フルネームを教えてくれました。

 驚いたことに、妻の名前と全く同じでした。つまり、時を違えて、同姓同名でした。
 ちょうちんは妻の名前に怖がっていたのだろうか・・・それとも、私が自分の母の名前を知っていたとでも思ったのだろうか?・・・
 

蹴り

 東亜子が殺害されるまでに、接した肉親は、小倉でラッキーとちょうちんにより、餓死させられた祖母です。

 裏日本気候の小倉の冬は寒く、暗かったです。5歳だった私は祖母と一緒に寝ていました。子供でしたから、その時は、わかりませんdねしたが、確認すると、昭和23年です。餓死させたことはちょうちんが気になっていたらしく、私どもが結婚した直後、妻に 「××(ラッキーのこと)さんは、,『働くものが食べるんだ』と、言って、食べていた」と、弁解がましく、祖母の配給を盗って食べたことを言っていたそうです。

 この祖母は、東亜子が殺害されて、実の母に会うまでに接した肉親です。
 
 アルバムを見ながら長崎・眼鏡橋の写真を指さし「五日、ここへ連れて行ってあげるからね」と言う言葉が忘れられません。

 これから程なく祖母は息絶えました。幼児と言ってもいいくらいの私はこの言葉から何日後であったからわかりませんでした。寒い冬でした。小倉の社宅には火鉢が一つで、寒かったことが記憶に残っています。

 四国の本家や祖母の実家ではラッキーの存在を知りませんでした。というのは、祖母は阿波の田舎から、福岡の都会に出てきて、祖母の兄だったヤクザのところに出かけて、そこで、襲われたのです。
 ですから、ラッキーは祖父の子ではないのです。
 
 ラッキーはこの祖母のことを私に何度も何度も愚痴めような、言い訳めいたように話しました。

 「ばあさんには、よく、蹴られた! おれを見ると、ものも言わずに蹴るんだよ。見るたびにそうなんだから・・・横になっているものなら、そりゃ・・やってらんかったよ」と、・・・
 つまり、祖母は、ラッキーを最初から嫌悪していた。

 このことを妻に話すと、先の戦争で、外地から引き揚げてきた話として、女性が襲われて、引き揚げてきてからの様子を聞いた話として、引き上げの途中で襲われて生まれた子のことを話した。
 「おばあちゃん、かわいそうだったわね。『女性は悲しくて、襲われて生まれた子が、憎むべき男の面影を写しのが生まれるんだよ』って、言っていたのよ。まさにその通りだわね」と、

 ラッキーは自分が蹴られたのを恨みに思ったのだろう。で、配給を奪ったのか?

 祖母は美人の里に生まれて、そんこでも評判の美人であったそうだ。田舎から出てきて何もわkらない祖母が物珍しくふらふらしていたら、人さらいを生業にしていたブン(ラッキーの父)が襲うのは成り行きだったのだろう。

 これが藤田小女姫殺害に至る最初の出来事だったような気がする。

 

真犯人像

 長らく、ブログを書いてきましたが、私の中では真犯人の面影は、私の身分を知ったころから、推測できました。

 事件後、東亜子の知り合いだった多くのジャーナリストの皆さんんのごい絵kンなど伺うと私の考えていたことと一致します。

 事件後、私は、四国の阿波を訪ねて、祖父と祖母のことをいろいろ教えていただきました。

 ラッキーは、自分の身分を隠すためだったか、写真などを隠していました。ちょうちんと別れて、荷物を新らしい住所に越していってからも、時々やってきては,、何か、持って行っていました。
 ですから、私は祖父母の写真を見たことがありませんでした。もちろん、どんな家に住んでいたのかも知りませんでした。

 晩年、病院をサロンのようにしていたラッキーが死んで、おっつけ、ちょうちんがガンになりました。

 ちょうちんのアルバムに祖父が映っていました。もちろん、私は写真の男が祖父であるとはわかりませんでしたが、妻が「この人、あなたに似ているわね。ひょっとしたら、おじいちゃんかもね?」と言うのです。
 次に「でも、変なのよね。だってお義父さん(ラッキーのこと)には、全然、にてないもの・・・人種が違うみたいだよ」と言う。
 しかし、その写真にはちょうちんも写っていた。

 四国の阿波や讃岐に行って、写真の男が、祖父であるかどうか確かめに行くことにした。

 四国には、祖父の姪がご健在であった。
 件の写真を見ていただき、「これは私のじいさんですか?」と質問したら、「そうや、○○おじやわ・・・あんたによう似っとたわぁ・・・」と、
 
 この写真は裏書に昭和12年撮影時されていた。大勢の女性に囲まれた祖父は車に乗ってきたらしく今でいうわが御社のような車で運転手が一緒だったのか、祖父よりは若い男性と並んでいた。

 私の大叔母にあたる方は「○○叔父は、なんで、あのときに九州に行ったのか、みんなで止めたのに、・・・あの時、行かなければよかったのにね・・・」と言って、残念がった。

 ラッキーの実の父親は、戸籍上、何にも記載されないで、祖父の子として、記載される日本の戸籍制度は???

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