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最近、福迫君と連絡が取れなくなっています。
最初に、福迫君を見たのは、アメリカの送致するために東京高等裁判所で送致のための審判をすることになって、被害者の遺族として、審判を傍聴しました。
その時、その審判で印象に残った彼の証言は・・・・吾郎君(被害者)と僕とは、他の人に双子のように似ていると言われています・・・と、証言していたことです。
つまり、・・・双子のように似ていて、仲の良い両人なのになぜ吾郎を殺害する理由がないであろう・・・という主張でしょう。
私は故・藤田吾郎と福迫雷太両人にお目にかかったことがないのでわかりませんが、この歳月をかけて、彼の両親や親戚などにお目にかかったりしてみると、確かに故・藤田吾郎との関係が深いと思いました。
しかしながら、養母となっていた藤田東亜子は生前、・・・吾郎は実子ではないかといわれて・・・
・・・すこ〜〜しの血は繋がっているかもしれないが子供ではありません・・・と、すこと̪「し」間をなが〜くして、答えてそうです。
今、私も叔父かと言われば、同じに答えるでしょう。
つまり、ラッキーは福迫雷太君と藤田吾郎と、深い血縁関係であったということでしょう。
このこと、福迫君の近いご親戚の方も言っておられます。
つまり、ラッキーは故・藤田吾郎を藤田小女姫こと藤田東亜子の元に押し込んだというわけです。私にとっても甥なのですね。日本の戸籍って、なんだろう?
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藤田小女姫こと藤田東亜子の名前のいわれは、私どもの実の父が名付けたのだろうと思います。
実の父は労働運動をやっていて、何度か、逮捕されたりしていたようです。いわゆる大東亜共栄圏と騒がれていた頃、中国にわたっていたようです。
母とは単なる芸者とお客ではなくて親戚関係であったそうです。
東亜子の方は大東亜共栄圏からとったようです。
私の洋三は太平洋、大西洋、インド洋の三洋でしょう。
このいわれをラッキーは自分が考えたようにいつも話していましたが、そいういうことの思いつくような男ではなかった。
東亜子は亡き後、この事を知りました。東亜子の写真にもかなり残されています。東亜子もこの父の友人たちのおかげで、世に知られるところとなったのでしょう。
しかしながら、当時、母は日本人と言えば大概の方が知っていると言わる方の後沿いになっておりました。その方にご迷惑をかけてはとの思いから、辛らかったでしょう。
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