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姉・藤田小女姫こと藤田東亜子が殺害されてから、もう、すぐ四半世紀が経とうとしています。
亡くなったものの年齢を数えても、仕方ないのですが、56歳になったばかりでした。もっとも戸籍は信用なりませんが…
私のブログも起こったことをつらつらと書いてきました。それと、戸籍など全く信用ならないと知ってから、自分の身分が知りたくていろいろ調べて全国を回りました。
結果、いろいろ分かりましたし、自分の実親も知ることができました。
事件については、姉・藤田東亜子と私は、両親同じの姉・弟です。
で、事件後東亜子の近くにいて親しかった方に、
「東亜子と私が一緒にいて協力し合えば事件は起こらなかったか?」と尋ねたところ・・・
「事件が起こらなかったかもしれないし、…・乃至は貴方も一緒に殺されたかもしれない。それほどr大変だったのよ」とのことでした。
私の方で起こったことを書いてきましたが、何しろ、長い間のことであれもこれもとわかりにくいので、かいつまんで、書きます。
残された時間も少ないので、・・・・
よろしくお願いいたします。
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私どもが子供の頃(太平洋戦争が終わって、いくらもしない頃)、は大人たちが、よくこんな言い方をしていました。
『そんに遅くまで遊んでいると、人さらいに攫われるから、、早くうちに帰りなさい』と、
もちろん、私の親のふりをしていたラッキーとチョウチンもよくこのセリフを吐いた。
私が所帯を持ってから、たまに妻と一緒にチョウチンのところに行くと妻にこういったそうだ。
「飯塚のブンさんは、いつも、こんな格好で、出かけるのよ」と、言って真似をした。
その姿は川筋者として、親分のあとについていくときの格好だ。
ブンと言うのはチョウチンの父親(おそらく違うのでしょうが…、戸籍上)で
になっている)であるが、ラッキーンー実の父である。白人様のマスクをした男であった。
後に、聞くと、少し、知恵遅れ風であって、川筋者の権蔵小屋に住んでいた。
つまり、出かけるというのは人攫いに出かけるのである。
ラッキーの父親は人さらい稼業であった。
私の最後の肉親である祖母は阿波の美人の里の出で、わけても美人で名が通っていた。阿波の大地主の娘で、西山の頂きに住んでいて、東山に住んでいた祖父と歯どうして知り合ったかはわからなかったが、この辺境の地から大都会である博多に来た時にブンに襲われて、ラッキーが出来たようであった。
強姦で生まれた子は、悲しいかな、母親に憎まれた。なぜなら、忌まわしい男に似ているからだろう・・・
こうして、ラッキーは祖父母の家には入ることができなかった。ところが、戸籍は祖父の子になった。
実際にはブンのところにたのだが・・・・
たまに、母親のところに行くと祖母は、ラッキーを蹴った。
このこと、ラッキーは私に事あるごとに言った。
妻にも言ったようだった。
妻は女性であるから、「そりゃあ、当たり前でしょう。憎むべき男に似ているんだから、なんでラッキーさんはブンさんを懲らしめてやらなかったの?」
「〈俺が懲らしめてやるから、・・・ね!)と言って、成敗してあげればよかったのよ、おばあちゃんかわいそう!!!、悔しかったろうね。日本が
敗戦で、満州から引き揚げてくるときに大変だったんで、そんな風にできた子がたくさんいたみたいなで、・・・女って悲しいよね。忌まわしい男の子が出来てしまうなんて・・・」と、
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