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江戸川堤
昨日(9月19日)久しぶりに東京方面に行ってきた。
写真は千葉県と東京の境界になっている江戸川を東京方面から写したものです。
昭和20年3月頃、東亜子はラッキーの第一妻に攫われて、東京に連れられてきて、ラッキーの借金の形に吉原
関係者に引き渡される直前にここを行きつ戻りつしたそうです。
私がこの話を聞いたのは東亜子を受け取った本人からです。
浅草出身で、吉原の女郎屋経営者の娘です。いずれはおかみさんになるべき人です。東亜子が殺害された時
には80歳近くになっておりました。
私どもが東京に来た時から、お世話になっておりますし、ちょうちんはなにかというと相談に行っていたようで
す。斯く言う私も腹を空かせて昼飯をごちそうになったことは多々あります。
ラッキーんぽ第一妻が東亜子を福岡から東京に連れてくる様子は東亜子も書いていますが、引き渡されるとこ
ろは書いてありません。おそらく、借金の形に引き渡されるとは思いも及ばなかったことでしょう。
私も東亜子も祖父母のところにいたのに、その祖父母を襲って、学齢前の子を二人誘拐したのですね。
私は何もわかりませんでしたが、東湖は母に騙された様子を語っていました。
誘拐してしまえば戸籍はいかようにもなったのですね。
そして、最後は殺害ですね。
江戸川堤での様子を教えてくれたこの方は「老い先短いので、話しておかねばならない。せめて、洋ちゃんには
言っておかねばと、話してくれました。
ありがとうございます。
上の写真ですが、この場所は『男はつらいよ』で、渥美清さん演じる「寅さん』が、ここで写っています。
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被害者・藤田小女姫の真実
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占い師・藤田小女姫(フジタコトトメ)として、長い間、仕事をしてきた東亜子が残した写真は、押し入れにいっぱいあったそうです。私が成城の自宅を入った時にも、押し入れ半分くらいはありました。
管財人が選ばれて、東亜子の自宅と名古屋の別荘に入りました。ところが、女中とか秘書とか名乗る女性が事件後、ほぼ1年間、入り込んで、ロックアウトした状態で過ごしていました。その間、いろいろなものを外部に持ち出していたとのことでした。
裁判所により、管財人が派遣された日に、女中ないしは秘書の方は、遺族と顔を合わせることを避けて、早朝、マンションの管理人室に鍵を預けて消えました。
私は弁護士を通じて、立ち退きの要請を頻繁にしていました。
近所の方や東亜子の知り合いによれば、この女中さんは、どこかから、車でやってくる男に荷物を運び出させていたと、伝えられています。
成城の自宅にあった写真でも,私が驚くようなのがたくさんありましたが、ここではハワイからの裁判記録と共に手に入れた写真について書きます。
事件後、ハワイ州が、無遺言遺産は州のものと言い張り、東亜子の資産に食指を動かしたのは以前に書きました。
この件について、殺害されているのに、無遺言遺産云々とは、どうしても、納得いかないし、殺人事件でこういうことを言い出す非常識を弁護団で、非難しました。
そうしたら、いつの間にか立ち消えになりました。
ハワイからの裁判記録はA4の紙で、積み重ねると20センチくらいの高さになりました。もちろん、全部英文で書かれています。
写真の方は、主に遺体となった東亜子です。それと、事件現場の写真です。
裁判記録は翻訳をしました。
弁護士(福迫君側)や検察官とのやり取りを記録したものです。
私が注目したのは殺害方法です。事件当初、マスコミによって、流されたのは福迫君が拳銃によって、殺害したといわれてきました。
ところが、それを否定するかのように、
「太い腕が寝ているコトトメの首を絞めて・・・」というやりとりがありました。
そして、遺体の写真では、猿轡を咬まされた東亜子の顔写真がありました。つまり、太い腕で、首を絞められて東亜子は猿轡を咬まされたのです。
見るに堪えない写真でしたが、気力を振り絞って次を見ました。
猿轡をかまされて、東亜子は酷い暴行を受けていたのです。
描写するのはつらいですが、東亜子はの背中には釘状の者でジグザグにひっかかれた傷跡がついていました。
そして、全裸にされた遺体は、足の先が、焼かれて、炭化した焦げ跡がついています。このことは生活反応がないとかあるとか争われています。
こんな惨いことが、常夏の島ハワイで行われていたのですね。
私は犯人たちの予想はついています。
彼らに言いたい!!
寝ている老女を多人数で、こんなことをするのですね。翻訳した人は≪東亜子さん、悔しかったでしょうね。起きていれば、一人くらいは道連れにできたのに!!」と、
東亜子の周りの方がおしゃるには「コトトメちゃんは体力が凄かったのよ。あの年で、股割ができるのよ。そこで、みんなに見て!見て!と言って、やっていたのよ」と、
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ラッキーの第一妻の子供たちは私の親ほどの年齢が上である。そもそも、ラッキーと第一妻は一回り第一妻の方が上なのだから、そうなるのでしょう。
なぜ、弁護士を立てて、真相に迫るのかというと、藤田小女姫は沢山の資産もあったが、それと同じように負債もあるであろうと心配したからです。
おまけにハワイ州はいち早く「無遺言遺産は州のもの」と、言いだしていた。このことを聞いて、殆どの人は「無遺言?殺害されているのだよ。無遺言なのは当たり前でしょう」と、憤っていた。
結局、私は吾郎のこともあり、主力銀行と相談した結果、限定相続とした。しかし、事件の真相はハワイでの裁判によってしか、わからないので、私は裁判記録を手に入れた。
ほかの第一妻の関係者たちは、どうしてこうなったか、想像がついていたようだった。
裁判記録によれば、巷間、言われているようにピストルによって殺害されたものではなく、写真を見てもさるぐつわをかまされているのだった。そして、全裸の遺体で、釘状のもので,つけられたような傷がたくさんついていた。
東亜子は寝込みを襲われて、首を絞められ、さるぐつわをかまされたと・・・
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8月になりました。8月は終戦記念日があります。 |
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平成6年2月23日(ハワイ時間) 藤田小女姫こと藤田東亜子がハワイ・ホノルルの自宅で、殺害された。この時の私の思っていた身分関係は、藤田ラッキーを父として母を東亜子は第一妻で私と二女、三女を第二妻であるちょうちんを母として、四女は第三妻を母とした戸籍通りに信じていた。
ちょうちんが死んで、3か月ちょっとの事件直後、長く過ごした東京の家の近隣で、ちょうちんが話していたことを聞きまわった。
「ちょうちんさんは、我々のことを何か言っていませんでしたか?」と言って聞きまわった。
「あの人とは、よく、お風呂屋さんで一緒だったんだけれど、・・・こう言っていたわぁ・・・お兄ちゃんやお姉ちゃんは私の子ではないけれど○○子(三女)だけは私の子なのよって、みんなに言っていたわぁ・・・な! で、○○子の父親だという人が、よく、お宅に来ていたよ。2,3日前もうろうろしてたよ。隣にいたおばあちゃんにも聞きに行ってみようよ」と、言って、隣のおばあちゃんのところに行った。
連れて行ってくれた人が 「なっ!ちょうちんさんは、いつも、お兄ちゃんは違うけれど、○○子だけは自分の子だと言っていたわなぁ…」というと、
となりのおばあちゃんは曲がった腰をさらに折、笑い転げる。
そして、 「おにいちゃんは人がいいから・・・」と、言いつつ笑っている。
≪人がいいのは、 馬鹿のうち≫と、いうように私は馬鹿でした。
車で行ったのですが、帰途、どう、走ったか記憶にありませんでした。このことを言ってくれたおばあさんたちは私の第二の母です。
この時より、私は自分の身分を調べるために祖父母の故郷、明治鉱業・高田鉱業所などに行って聞きまわった。
東亜子もそうですが、祖父の実家、祖母の実家はいずれも何度も火をかけられていた。
特に、祖母の実家は当主が祖母の兄の孫であったが、≪俺の代になってからも、三回も放火された。母屋はあっちにあったんだよ≫と、
祖父の実家では≪白壁の塀を回した大きな家だったのに、火をつけられて・・・山の上は水が不便だから、こっちに来た≫と、
東亜子は世に言う≪有楽サウナ事件≫で、死者を出し、名義だけの経営者であった東亜子が経営責任を問われて、有罪になった。これも放火のうわさが絶えなかった。
不思議なことに有楽サウナ事件のことについて三女は目撃したと喜々として話す。
そして、最後のハワイ・ホノルル・自宅コンドミニアムで、殺害されたうえ放火されている。
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