平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

被害者・藤田小女姫の真実

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 「吾郎さん吾郎さん」と、いつまでも言う東亞子を見て、ラッキーはならば【吾郎】をと考えた。
 
 金貸しの息子の家業が倒産して、これ幸いと離婚手続きをした。金貸しの息子も再婚した。
 二枚目俳優も女優だった女性と結婚した。
 
 
 月日は流れ、東亞子は日本に豪華マンション、ハワイでは、支援者があって、高級コンドミニアムなど資産を持つようになった。
 
 しかし、相変わらず、「私の人生なかった。私の青春なかった」と言っていたようだ。この頃、、私も、所帯を持った。東亞子は独身で子なしということであった。
 ラッキーは大きな財産を持つ東亞子に目を付けないわけがなかった。それでなくても「馬鹿親父」と、生み散らした子ども達言われていた。
 
 私はラッキーとは、かなり接触が多かったので、ラッキーの口調まで分かる。
「コトトメの財産はわしのもののようなものだ」と言って、自分の戸籍に載せなかったラッキーの子達に・・・
 
 ラッキーはいつも金に困っていたし、私のところに無心にも来たし、アメリカに出稼ぎに行った私のところにも来たくらいだったから、東亞子のところにはどのくらい行ったのか・・・
 ある日こんなことも言っていた。「年末に行くと、何しに来たの?」と言って、けんもほろろに追い返される。
 どうやって金を取ろうかラッキーは、考えたのは【吾郎】であった。

【吾郎】へ・・・

 東亞子は元々もいわゆる「面くい」であった。そして、恋多き女と言われていた。ラッキーが襲撃されて金の工面をするために金貸しの息子徒党亜子を結婚させて、金貸しの息子から金を貪ろうとした。
 この金貸しとラッキーの第一妻は知り合いであったし、ラッキーももちろん知っていた。
 しかしその頃、、面食いのと雨亜子は本名【吾郎】の二枚目俳優に夢中だった。東亞子がさらわれてから、秋田、群馬などにつれていかれた過程で、東亞子に好意を寄せるものが多々いた。彼らは占いをしていた東亞子の周りに蠢いていた。
 二枚目俳優には、嫌がらせをして利していた。
 
 そんなところに金貸しの息子をと言うのであった。
 
 東亞子は拒絶した。
 
 ラッキーはなんとしても、金貸しの息子から金をせしめねばならなかった。
 
 金貸しの息子をその気にさせておいて、東亞子には「今まで通りで良いから・・・」と言っておいた。
 
 つまり、戸籍上だけでの結婚であった。
 
 結婚って、籍を入れることが結婚なのか?、一緒に生活することが結婚なのか?
 
 実態が亡い結婚だと気づいた金貸しの息子は、突然、東亞子に事務所にやってきて、ラッキーの第一妻を階段から突き落とした。
 
 後に、この金貸しの息子はさる雑誌に第一妻の金の汚さについて、
・・・・あの女は『百万円が百万円の女だから・・・』と書いている。
 
 その金は、ラッキーが自分を襲撃した親分に届けた。
 その時の様子を私は東亞子亡き後、聞いた。
 「ここの上がり框で、平伏して顔を上げないんだよ。入ってきて、帰るまで、ずーっとだよ」
 「何しに来たんですか?」
 「金を持ってきた」
 「どのくらいですか」
 「いくらだか、忘れた」・・・・・と、
 
 こうして、若い人たち愚弄した。後に金貸しはつぶれた。
 そして、二枚目俳優は自殺との報道があるが・・・
 
 東亞子は『吾郎さん、吾郎さん・・・私の人生なかった。私の青春なかった』と、

続【吾郎】へ

 ラッキーが、約束させられた金は、当時、雨漏りしていた家を立て替えるのと、生活費等であった。
 
 文無しのラッキーが頼るところと言えば東亞子の周りに徘徊していた第一妻である。第一妻は大井町の東亞子の事務所にいたが、人前には出てこなかった。
 事件後、そのことを聞いた。、
 おそらく、東亞子とはラッキーと同じように白人みたいで似ても似つかない容姿から出て行くことは見られてはまずいと思ったからだろう。大井町の事務所ではラッキーと第一妻とこの話を教えてくれて新聞記者だけで、一室にいた。
 
 第一妻とラッキーは東亞子を二人の知り合いの金貸しの息子と結婚させて、そこから、金を工面するというのだった。
 
 ところが、東亞子は、当時、 二枚目俳優に思いを寄せていた。マスコミにも話題を提供していた。
 しかし、ラッキーと第一妻はあきらめなかった。
 
 その二枚目俳優の本名である【吾郎】さん、【吾郎】さんと、夢中であった。そこで、ラッキー達は、東亞子と二枚目俳優の仲をを裂くことにして、色々手立てを企てた。
 
 このことが、「私の人生なかった。私のッ青春なかった」と言い続けたと思う。
 
 これは二人はもちろん金貸しの息子をも傷つけた。決して、許されることではない。

【吾郎】へ

 こうやって上京したが、小学生だった私は学校へは行かなかった。
 
 ラッキーは後に三番目の妻になる女性と一緒にいて、家族となっている、ちょうちん、私、二女、三女の住んでいる家には帰ってこなかった。
 
 学齢に達していたのは私と二女(この子は年齢が不詳であるが戸籍上)であるが、学校には行っていないので、いつも、暇だった。
 
 ある日、ちょうちんと第三妻とは別のラッキーの女と一緒にみんなで、第三妻の留守宅に入り込んだ。もちろん、無断です。いわゆる不法侵入です。その時に第三妻の家具類などを見た。そして、不法侵入にも拘わらず、みんなで、お茶を入れて飲んだ。
 
 それから、何ヶ月か経った頃、私たちが住んでいた家に第三妻の家で見た家具や衣類、食器など生活用具が積み上げられていた。
 
 そして、その日、その夜、
 ラッキーはちょうちんを詰問しようと自宅への帰途、突然、何者かに襲撃された。真夜中だったので、子ども達は寝ていたのに、すぐに、みんな知っていた。
「ラッキーさん、散々だったよ。殴られて、眼鏡は吹っ飛んで、ネクタイで締められ、ワイシャツはぼろぼろにされたみたい」と、言っていた。
 後にラッキーは「人間、靴で頭を踏んづけられると、参ってしまうんだよ」と、
 
 つまり、ちょうちんはさる人に依頼して、第三妻の家財道具を奪い、怒って、やってくるラッキーを途中で待ち伏せて、襲撃してもらった。
 もちろん、これを無料でやってくれる人がいるわけはなかった。
 
 このとき、ラッキーは多額の金を要求されて、解放された。
 しかし、文無しのラッキーに金の目途つくわけはないが、なんとかしなければ許されないのだ。
 
 こうなると、藤田小乙姫(最初は乙でした)で、なんとかするしかなかったし、襲撃した人物もそのつもりだったろう。
 
 こうして、東亞子にとって「私の人生なかった。私の青春なかった」というような事態になる。
 
 
 
 

【吾郎】

 石炭産業が終わりの頃、東亞子は占い師「藤田小乙姫」として、世に出ていた。東京・大井町では門前列をなすようになったそうです。
 
 明治鉱業で、保養所と会社の連絡係みたいなことをやっていたラッキーは、藤田小乙姫一行が北九州を訪れたときに、鉱業所で、会社の拡声器で、選別所などの現場に放送したようだった。
 
 そのときから、何日もしないで、突然、会社にも自宅の社宅(みんなはそう言っていたが、世間では炭住と呼んでいた)からも姿を消した。
 小学生だった私などはほっとしていたが、社宅に家族を置きっ放しにしたことは大変なことだったようだ。
 
 それから、一年以上して、突然迎えにきた。
その間の事情は、後で知ったことだが、金がなくなったラッキーは東京支社に出かけて、月給をもらいに行ったようだ。それで、馘になって、社宅から家族を引き上げるように言われた。
 
 最近では子どもや家族を捨てて、蒸発するようなのが、多々、いるようだが、昭和30年代初めにもいた。
 
 このあと、東京へ家族を連れて行くのだが、・・・
 このことによって、東亞子が後に「私の人生なかった。私の青春なかった」と、言わしめるようなことがラッキーによって起こされた。
 私の青春とは、おそらく、本名・吾郎という名の東亞子の思い人だったのだろう・・・

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