平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

拉致、誘拐

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成れの果て

 朝霞市で誘拐された女子中学生が、このたび、2年ぶりに脱出できた事件は、本当によかったと思います。

 このことについて、考えさせられることが多々あります。
 皆様にご質問です。よろしくお願いいたします。

 1、 この事件で、このまま、歳月を重ねたら、犯人はどんな手段をとるのでしょうか?
 2、この事件の被害者は中学生でしたので、自分の立場が分かっていますが、物心つかない幼児の場合はどうなったでしょうか?

 よろしくお願いいたします。

 小学校入る寸前の東亜子は、浅草・吉原の関係者に引き渡されるときに、その方は、「戸籍は済んでいるのでしょうね」と、ラッキーの第一妻に確認したと、私に言いました。

明治のころ

 ラッキーがどうして、白人様のマスクをしていたかというと祖母を襲った男(ブンとします)は、私もよく知っていてというより、一緒に寝ていたりしたこともありました。

 この男は飯塚で、人さらい稼業でした。もとより、表向きはブンの妻が駄菓子屋をやっていました。ブンは誰かについて、毎日出かけていきました。ちょうちんの戸籍上の父親です。だから、ちょうちんもこのおとこにさらわれたということです。

 祖母の兄は祖母と同じく阿波の生まれですが、若いころ北海道に行き、そこから、樺太などに行っていたそうです。日露戦争が起きて、当時ロシアにいた日本人は苦戦している日本軍に加わったそうです。寒さや勝手を知っているので、幾多の日本兵の窮地を助けたそうです。
 結局、日露戦争は日本の勝ち戦で終わり、祖母の兄は助けた日本兵とともに帰国します。その時に何人かのロシア人を連れてきたようです。
 東亜子がさらわれて、東京・江戸川で、引き渡された後、北海道を目指したのですが、その前に東北各地を引っ張りまされて、結局、秋田で終戦を迎えたのです。
 私は東亜子が殺害された後、この東北各地で、東亜子を迎えたところに伺いました。東亜子や私は、祖父母が四国で、生まれたのは九州でしたから、東北というのはなじみがありませんでした。
 なぜ、東北だったのか疑問でしたので、直接、なぜだか聞きました。
 「なんでも、うちのおじいちゃんが、軍隊で日露戦争で世話になったので、ずーっと、おつきあいしているのですよ」ということでした。

 祖母の兄は、祖母もそうでしたが、体力抜群で、喧嘩が強かったそうです。それで、九州に住んでいた頃はいわゆる川筋者の親分でした。その彼が連れてきたロシア人の子孫が白人様の容姿だったのです。
 もちろんブンも白人様のマスクでした。

 東亜子の周りを徘徊していたのもこれらの人物たちでした。

人種・・・2

 ラッキーが私をさらった理由として、ラッキーの戸籍上の父で私の祖父にラッキーは似ても似つかぬ男だったからとの推測いたしました。理由はたくさんあります。

 私は自分も含めて容姿のことは、ほとんど気にしなかった。でも、私が家族として過ごした二女や三女それに親であるちょうちんやラッキーとは似ても似つかぬものだった。顔はもちろん声や体格、性格など、どれをとっても誰と誰が似ているということはなかった。
 他人から見れば摩訶不思議な家族であった。

 結論から言うと、東亜子は一緒ではなかったので、除外して、二女は朝鮮人のような顔と性格であった。そして、三女は白人そのものであったが、胴長短足で頭が大きかったので、「Bettyちゃん」と二女や私は呼んでいた。

 私が祖父に似ているのを知ったのは、ちょうちんが残した祖父の写真を四国の知り合いに確かめてからだった。
 白人様のラッキーに似ていないのもあまり気にしていなかった。
 大学生のころだった。ある日、ラッキーが第三妻と一緒に生活しているアパートの訪ねていくと第三妻は、即座に「似てないわね!!」と、!!
 ラッキーはばつの悪そうに顔をそむける。話はそこで終わった。

 それから、何年かたって、私は妻と結婚するので、ラッキーに紹介するために三人であった。
 ラッキーは祖父母のことを話していた。
 「ばあさんは、美人であった。誰もが認めていたぁ・・・」
 やや、あって
 「じいさんは醜男だった」と、・・・

 その話の前に、さんざん、どんなに祖父が貧乏であったかを妻に語り聞かせていた。いつも私にも祖父の貧乏話を口癖のように言っていた。

 そして、ラッキーと別れて、別のレストランに入った。
 そこで、妻は「へんよね。おばあちゃんは、超美人だったんでしょう!!なのによ、ほんとに不思議なんだけれど、今じゃあね!・・・家付き、カー付き、ババ抜き・・・っていうのよ。それなのに、おじいちゃんは貧乏でおまけに醜男なんでしょう。お金持ちだったら、醜男でも、美人と結婚できるかもしれないのに・・・ねぇ〜、お父さんは自分が醜男だから、おじいちゃんに似たと言いたかったのだね。私ね・・・それで、お父さんは醜男なんですね。おじいちゃんに似たのですね・・・って、危うく言いそうになったわよ」と、

 私がラッキーの子ではないと知ったときに、「あの時、感じたことを言えばよかった。でも、ちょっと言えなかった」

 

 

人種

 ラッキーが東亞子と私をさらった理由はなんであっただろうか・・・

 東亞子を掠った理由は・・・
 まず、江戸川沿いの自称「しんせつなおばさん」のところに東亞子を連れて行ったのは、ラッキーと第一妻が作った借金の形であろう。
 これは当の「しんせつなおばさん」の言葉でもあります。おそらく、東亞子を指名したと思う。母は長崎の売れっ子芸者であったら、女の子が生まれればと,狙っていたと思うわれる。

 しかし、ならば、男である私はいかなる理由であったろうか?
 これはラッキーの生まれに関係していると思う。ラッキーはブン(仮名)が、祖母を襲って生まれた子であるというのは祖母の口から嫌と言うほど聞かされていたし、憎しみを込めて蹴っていた。
 私は祖父に似ているという。戸籍上はラッキーの父となっている祖父の写真が一枚もない。それは私と私の家族に見られないように焼却したからだ。
 私が祖父であろうと思う男の写真を発見したのはちょうちん(私の戸籍上の母)が鞍替えの時の場面だと思われる写真に祖父が写っていたのを四国の祖父を知る人に確認したのだ。
 その人は「○○叔父!!こんなに抱えとったのぉ・・・!! あんたによう似とるわぁ・・・」と、感嘆の声を上げた。

 ラッキーは口癖のように「じいさんは貧乏だった」と、私に言っていた。その昭和12年に撮影された写真には祖父がベンツに乗っているものだった。
 私は祖母の実家では、「じいさんの仕事があんなのだったから、こんなふうになったのでしょう」と、言い訳いみたいに言うと、「それは、もう、歴史だから・・・」と、言ってくれた。
 祖母に実家には祖父共々,戸畑でなくなる寸前までいたので、孫の私を「よく似ている」という。

 四国ではいずれもラッキーの存在を知らなかった。
 
 ラッキーが強姦の子であったことを祖父母は秘匿していたようだ。ラッキーは祖父に似た子を自分の子として戸籍に入れたかったのだろうか・・・
 惨めな男だと私は思う。
 そして、戸籍は強姦の子に救ってあげられないのか・・・

 皆様、ご意見ください。
 強姦で生まれた子の戸籍はどうすれば,正しいものにできるのか、後いえkんをpください。

駅裏…転がし代

 駅裏でころがされてネクタイで締め上げられ、頭を踏みつけられたラッキーが約束させられた金の額は,家一軒+家一軒と同じくらいの転がし代であった。
 
 つまり、ちょうちんはラッキーを締め上げて貰って、福岡から越してきた頃から雨漏りしていた家を建て替えさせたかった。
 その前段階のラッキーの第3妻の荷物を運び出すことも一連の仕事として依頼していたのである。
 
 ラッキーを転がしたのは,東亜子が小学校入学寸前に、第一妻に手を日~江戸川堤を行きつ戻りつし、連れて行かれた先の家である。
 この頃は,東亜子は占い師として、世間に知られていた。それを攫って、自分のところに連れてきたと言うことを十分に知っていたのである。
 
 ラッキーはいつも文無しの男である。それに家2件分の金を持ってこさせるのであるから、・・・
 
 

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