平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

わが子のようにとうそをつく

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夫婦愛

 我が家がここに来てから、2,3年経った頃だった。ちょうちんは我が家にものをくれたことはなかった。それどころか、我が子を連れて江戸川の家に行って、幼い孫である娘が冷蔵庫の中に自分の好きなものを発見して、「食べたい」と、言ってもっちょうちんは決して食べさせはしなかった。その断る理由ふるっていた。
 「これはお姉ちゃん尾だから、だめだ」と言うのだ。『おねえちゃん』というのは三女のことである。成人して、結婚までしている娘のことを言っているのです。私の子はちょうちんにとって孫であるはずなのに・・・

 ここに越してきて、3年ほどした頃だった。
 犬を飼い始めて、最初の犬が野犬狩りにあった。その次にコリー犬の雌を飼い始めて1年もたたない頃、散歩途中に落とし穴にはまって、悪童どもに捕まり、私が発見したのは木の枝に後ろ足をロープで縛られ吊るされていたので、後ろ足が壊死して3本足になったので、相棒として雄のコリー犬を飼い始めた。
 つまり、新しい家族としてだ。犬を飼い始めてからはちょうちんも三女もあまり我が家に来なくなった。
 ちょうちんも三女も我が家の大人がいない時を狙ってきていた。ちょうちんも三女も我が家に電話など掛けてきたことはなかった。用事があれば、二女に命令して、二女から私の方に言わせるのであった。大概金の無心です。

 そうしたある日、「田んぼちゃん(二女の夫は農家の出身だった)のところから、お米を上げると言って、置いて行ったから、取りに来て」と言うことだった。

 翌日、取りに行った。
 市販のビニール袋に入っている大量の米をくれた。我が家の3人家族では、ほぼ、1か月の消費量だ。
 しばらく、買ってあった米を食べていて、ちょうちん経由できた二女の実家の米を食べようとしたのか少したってからだった。
 ところが、妻が洗米したところ異物が混入しているという。「なにか小さな粒々が入っていて、分離しようにもできないのよ。こんなに沢山あるのに全部に入っているのよ。どうしよう・・・・」
 
 かなり、長い間、考えてた。飢えを経験している私は捨てるという選択肢はなかったので、「大丈夫だろう」と言ったが、妻は長い間悩んでいたが、犬たちにやることになった。

 こうして、犬たちに豚のもつと一緒に煮てあげたら、喜んで食べた。

 「おいしそうに食べているから、よかったね」と、妻も言っていた。

 2歳と3歳のコリー犬の朝の散歩は私が自転車で2頭の犬は自転車について走っていた。

 ある朝、自転車の後ろについてきていた雌のダイアナが突然倒れて、こと切れた。

 私はダイアナの遺体を抱いて、自宅に戻った。呆然自失だった。
 そして、雄犬で2歳のチャールズは放心したように虚ろになって、食事をしなくなった。呆けたようになって、上を見ているだけだった。

 翌日、夕方、帰宅すると、チャールズは遺体になっていた。

 この話を近所や知り合いの皆さんにしたら、「チャーちゃんは、あんなにダイアナちゃんの食べ物を取ったりして、わがまま言っていたのに、ダイアナちゃんを愛していたのね。いなくなってショックだったのよ」と言って、みなさん、悲しんでくれた。

 そして、それから4,5日したら、ちょうちんから、2度目の電話があった。
 「どうしたの? こんなに朝早くから、いつも電話なんそしてきたことがないのに、何か用?」と言うと 「しばらく、連絡がないからどうしたのかと思った」と言って、狼狽している。

 
 




 

探し物

 現在のところに越してきて、2,3か月くらいのときに、縁あって、雑種の犬を飼い始めた。

 その間、何度かちょうちんは私ども大人がいないときにやってきていた。子供だけが在宅の時を狙っていたよう

だった。

 「もう、江戸川のおばあぁを越させないで・・・だって、私を召使のように『お茶入れて』って、いろんなことを命令する

んだもん・・・それと、ダディちゃんや マミィちゃんの机やタンスをごそごそいじって感じ悪いんだもん!!」

 それなのに、娘はちょうちんにとって初孫だと思っていたから、江戸川の家にはよく連れて行っていた。

 ところが、ちょうちんは娘からは逃げ回っていたし、恐怖を感じていたようだ。そんなに嫌いな娘がいるときを狙っ

て、わざわざやって来る目的はなんだったのか私どもは気にしなかったが、ちょうちんの死後、江戸川の家を整理し

ていたら、我が家の家の権利証やら、土地登記簿やらが出てきた。

 ある日、仕事が早終わりして、家に帰ると、ちょうちんと、三女が子連れで来ていた。

 私どもの姿を見て、あわてて、帰ろうとする。

 「もう、帰るの?・・・ゆっくりしていけばいいよ。送っていくから」と言っても、三女は外に出た。仕方なく、我が家

一家で、駅まで送っていった。

 帰りの車の中で「もう、あの人たち、うちに越させないで・・・ほんとに私を召使みたいにして、ごそごそ民なんp机

やタンスなんかいじって感じ悪いんだから…」と言う。

 最初の雑種の犬が野犬狩りにあった後、コリー犬二頭が我が家族になった。

 こうして、2,3年経った頃だった。

蛙の子

 Yと三女の一家は無事にYの会社の近くで一家水入らずで生活が始まった。ちょうちんもほっとしていた。

 三女は私に「あんちゃん!悪かったよう…・こっちに来てから、外で暮らすのはこんなに自由でいいものだとはし

らなかった!なんで、あんなところにこだわったのだろう?」という。

 「そんなことはこっちが聞きたいよ」と思ったが、「まぁ、いろいろ見てみるのもいいからね」と、答えた。

 
 山口 瞳氏の「血族」には、人を攫って本当の親子関係を隠して生きてきても、最初の子供のときまではなんと

か我慢しても、その次の世代になると苦しくて、耐えきれなくなるようだようだという意味のことが書かれているる

が、ちょうちんもラッキーも私に子が出来ると私の子つまり、彼らにとって孫になるのだが、やはり、苦しいものが

あったようだ。

 その前に、私が中学生くらいの時から、ラッキーは「芸者なんていうのは、とんでもないんだから、手足をちょい

ちょ いと動かす8だけで、政財界の大物たちと減らず口をたたいて、ふざけているんだから・・・」と言って、芸者な

どというのは下賤な職業であると、私にしきりに教えていた。別に私は芸者がどうのこうのと思ったことはなかった

し、まして、自分の親が芸者だとは夢にも思っていなかった。

 芸者とは何の仕事をするのか、考えてもいなかった。

 子供が幼稚園の年齢に達した時に、近くの幼稚園の申し込みに外れてしまった。で、しょうがないので、楽器会

社の「音楽教室」に通わせることにした。本人はそれを大変喜んだし、毎日いかなくてもいいので、こちらも楽で

あった。

 ところが、音楽教室の先生が「お宅ではどなたか、音楽をやっているか教えておられる方がいるのでしょうか?

○○子さんも、音楽は好きなようだし、向いていると思うので、本格的にやられてはいかがでしょうか・・・」と、言わ

れて、そんなものかと思っていたら、その音楽教室は楽器会社がやっていたので、当然、その会社のを勧められ

た。
 
 しかし、「そんなに本格的にやった方がいいのかな?」とも、考えて、妻に「そちらでは音楽をやったりするんpが

好きな人がいるか?」と、聞くと、「私も不思議だったのよ。○○子ちゃんは、小さなころから、踊ったり、鳴り物をし

たりするのが、ほんとに好きだったでしょう。私は音痴なのに変だと思っていたのよ。江戸川の方だって、いって

は悪いけれど音痴に近いでしょう」と言う。

 私は自分の子が一芸に秀でることは、うれしかったので、何とか、続けさせてやりたいと思った。

 団地住まいでは無理だし、家を用意すると言っても密集地ではだめだし、家自体も考えねばならなかった。

 それで、今の場所に、ピアノ補強をした家を作ることにした。時間も金もなかったが、なんとか引っ越すことがで

きた。我ながら頑張ったと思う。

 それにしても、人の実親を隠すことの罪の深さは許せないです。

 私の母が芸者であったと、わかった時にわが子は「私も三味線をやっておきたかった」と、

 内装抜きで、家具と言えば大きなピアノだけが目立つ家に引っ越した。

 でも、これがかちょうちんもラッキーも自分たちの犯した罪におののくものとは知らなかった。そして、三女はこの

家を狙った。

顛末

 Yは約束通り転居した。
 ところが三女は一緒についていかなかった。
 しかし、ちょうちんはほっとしたのか、大変喜んでいた。
 この状態を戸籍上ちょうちんの弟になっている叔父に言うと、「洋ちゃん、それはまずいよ。何か月もその状態が続くと後で、トラブルが起こるから、できるだけ早く、送っていかないととんでもないことになるから、なんだったら、俺が何とかしてあげるよ。▽▽家(ちょうちんの実家)の女は、騒いでもめたんだから…切ったはったになるよ」という。
 と、言うことで、叔父によろしくお願いした。

 かなり手間取って何か月か経った頃、叔父はやってきて、・・・
 「参ったけれど、なんとか、送っていったよ。あの男もしょうがないけれど、▽▽家の女はみんな無理難題をいうのだから、俺なんかも参ったよ!洋ちゃんもこれからも続くと思っていた方がいいよ。でも、あの男連れて行ったら、そりゃぁ、喜んだよ。あんなに嬉しそうにされて…俺でもたまにはいいことをするだろう…」と言った。

 後に三女にも感謝された。

 


 ちょうちんはYの母親が若いことに驚いていた。何かを知ったようだった。

 少し、時間が出来たので、江戸川の家に行って、彼に直接、話そうと思ったので、行くことにした。


 これもあとで知ったのだが、東亜子が「私の青春なかった。私の人生なかった!」というのはここから

始まったのだ。

 初夏というか、寒くはなかった。江戸川の家に行くときは殆ど車であったが、何があるかわからないの

で、電車で行くことにした。


 「こんばんは!」と言って、玄関から居間に入った。

 居間にはちゃぶ台があって、かなり大きなテレビがある。そこで、三女夫妻とちょうちんは食事を一緒

にするらしく、食事の用意を三女とちょうちんがしていた。

 私が入っていくと、三女はうさん臭げに見ている。別に私は夕飯を食べるわけではなかったので、見て

いるだけだった。

 三女は隣家に向かって「ごはん出来たようぉ・・・」と、叫んだ、

 ややあって、Yが玄関から入ってきた。

 ちゃぶ台の間に座っている私を見て、無視するかのように・・・

 テレビのスウィッチを入れた。

 私は無視のスウィッチをオンにしたと解釈した。

 「ずーっと、出て行ってくれる言っているのに何で無視すんdなだ」と言って、顎に軽く正拳を出した。

 普通だったら、ここはラッシュをかけるところだが、軽くけりを入れようとしたら、・・・

 ここは川筋の女のちょうちんが台所から走ってきて、私の足にしがみついた。

 三女は動転して「、110番!110番と言って、電話機の方に走った。

 この間にyは玄関に走っていった。

 「おい!待て」と言っても聞かないので、仕方なく私も追いかけるために靴を履いた。何があるかわか

らないので、スニーカーを履いてきていた。

 Yは、サンダル履きで全速力で走っていった。よほど急いでいるのか、履いていたサンダルが暮れかけた

空に高く上がった。

 ほどなく追いついたが、yは通りかかったおじいさんの周りをぐるぐると回り始めた。

 おじいさんは不審そうに見ているだけだった。

 私は「早く出て行ってくれよなぁ・・・」と、言うと「引っ越せばいいんでSづね」というので、「そう

してくれよな」と、言って駅の方に向かった。

 微かに家の方からパトカーのサイレンらしき音が聞こえてきていた。


 後で聞くと、家のある路地いっぱいにパトカーがきたそうだ。三女は何度も何度も110番するのでその都

度、1台づつ来るので、路地いっぱいになったそうだ。

 この件、後日、兄弟げんかに署にあるパトカーが出払うほど呼んだ三女は叱られたそうだ。

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