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2度目のロスでは、ガーディナーのボスになって、自分でお得意を獲得して、アシスタントを連れて、仕事 |

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こんにちは、ゲストさん
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2度目のロスでは、ガーディナーのボスになって、自分でお得意を獲得して、アシスタントを連れて、仕事 |
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先の東京オリンピックの翌年、私は片道切符で渡米した。別に何の目的もなく、ただ、行ってみたかっ |
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四女が亡くなった時にちょうちんに伝えたのは私だった。 |
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私が小学校5年か6年ののころだった。
西日本を中心に森永ドライミルクにヒ素が混入していて、多くの子供たちが被害を受けた。
その頃、私どもの家族となっていたラッキー、ちょうちん、私、二女、三女が住んでいた明治鉱業・高田鉱業所社宅にも、牛の模様がついた森永ドライミルクの缶がおけれていた。
私は小学校5年、二女は小学校1年であった。前にも紹介したようにラッキーの実子は誰もいなくて、ちょうちんの実子に三女がいた。
で、私と二女はがりがりに痩せていたのであるが、このドライミルクを飲ませてはもらえなかった。というより、お湯に溶いて飲むということも知らなかった。
でも、誰もいない時を見計らって、指に唾をつけて缶の中に入れると粉がついてきた。それをなめると旨いので、たまに指につけてなめた。でも、缶はすぐに空になっていた。
つまり、三女だけがお湯に溶いて、飲んでいたので、ミルクの缶は空になったのだ。
ちょうちんは三女だけに森永ドライミルクを飲ませていたのだ。
世間で、森永ヒ素ミルクとして騒がれても、三女に被害があったにもかかわらず、申し出なかった。私と二女に飲ませなかったので、二女と私には被害がなことを不審に思われるのがいやだったようだ。
二女はヒ素中毒の後遺症が出たのか、体が弱かったし、皮膚にできものができて、後年、ちょうちんに、「どうしてくれるのだ」と迫っていた。
私はこのブログの初めの方の写真にあるビアフラの子のように腹が出て、骨と皮ばかりになっていたのにミルクを飲むことはなかったし、二女も同じであった。幸か不幸かこのようなヒ素中毒の被害はなかった。
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私は、戸籍上、ラッキーとちょうちんの長男として、ほとんど、赤の他人の子として育ってきた。
ラッキーを筆頭者として、長女・東亞子(母親はラッキーの一番妻となっている)次が私、次に二女(ラッキーにもちょうちんにも無関係)、次が三女(これはラッキーの子ではないが、ちょうちんの子である)そして、四女(母親を違えてラッキーの子として記載されているが、全く、違うところから連れてきた)
私と一緒に生活したのは、私、二女、三女である。
ここで、血縁があるのはちょうちんは三女の母親である。そして、二女と私は無関係です。
しかし、三女はラッキーの子ではないが、ラッキーとは近い血縁関係です。
この書庫では、よく、血縁のない親子関係で、親となっていた方が、「我が子のように育てた」と、言われるが、はたして、そういうことがあるのか?
私が成長した過程では親子関係は先に書いたようにいろいろあるので、解ると思う。
はたして、人は自分の子と他人の子を同じように扱えるのでしょうか?
私はこの書庫名は彼らの偽善を示そうと・・・
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