平成の巌窟王・福迫雷太氏はなぜ獄に

1994年2月23日(ハワイ時間)姉・藤田小女姫(フジタコトトメと読みます)こと藤田東亜子はホノルルの自宅コンドミニアムで惨殺さ

養子・吾郎

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双子

 福迫君がアメリカに移送されるときに東京高等裁判所で移送の可否について審判が行われ、私も傍聴した。

 そこで、私が福迫君の父上を見かけた。マスコミの方が注目していたので、あぁ この方が福迫被告のご両親だなとわかったのだ。
 しかし、母上は初めてだったが、父上は以前に何回か会ったというより、見かけた。いずれもラッキーと一緒であった。言葉を交わしたことはなかったし、私ども見ているようだった。
 ラッキーは不動産の学校ごっこみたいなことをやっていて、この講師として福迫君の父上が来ていた。
 「あぁ〜そういうことだったのか」と思った。

 審判が始まって、福迫君が証言したことで、どういうことだと思ったのが、この証言だった。
 「僕は吾郎君とは親しくて、食事を作ってやったり、仲良くやっていたのに殺害するわけなないし、吾郎君と僕とは『双子の兄弟』と言われるくらい似ています」と、証言した。
 私はこの言葉に驚いた。
 私が被害者・吾郎を新聞やテレビで知った時、「なんとラッキーと似ていることだろう。どういうわけだろう」と思った。
 それに福迫君の父上と一緒にいる姿はまるで親子だった。私とラッキーが肩寄せあったことなどただの一度もないのに、あれは何なのだと思ったのに。

 吾郎も雷太君もラッキーも近い血族なのだろうか?

ファックス

 事件後、東亜子の自宅マンションには秘書と称する女性が入り込み、中からロックアウトの状態で、1年

近く過ぎた。

 その間、中の荷物などをその女性が持ち出していたそうだ。

 複雑極めた戸籍のために。多数の相続人がいた。つまり、ラッキーが3人の妻がいて、それぞれに子供た居

るので、多数の兄弟姉妹が出来てしまっていた。

 最初の妻はラッキーより、一回り年上で、その妻が最初に産んだ子はちょうちんと同じ年であった。私は

その第一妻の長女と会っていろいろ聞きたいと思って期待していた。東亜子が第一妻から生まれたのであれ

ば、当然、血縁であるから、どこか共通点がある筈であるが、私は最初から、そんなことは期待していな

かったのだった。第一妻の子供たちは、後、一人男性がいた。

 そして、第二妻のちょうちんの子となっている二女と三女がいるが、二人とも自分たちは、私や東亜子と

は何の関係もないことを早くから知っていたので、主に私が依頼した弁護士の呼びかけにも出てこなかっ

た。私は第一妻の長女はちょうちんと同い年と言うことで、いろいろ知っていると思っていたので、電話を

して会いたいと期待していると、伝えていたが、現れなかった。

 成城のマンションに入る当日に秘書と名乗る女性は誰にも会わずにいなくなっていた。

 しかし、第一妻の長男がやってきてくれたが、もちろん、人種が違うほど似ても似つかぬ容姿であっ

た。それは、別に驚きもしなかったが、幼かった彼らを捨てて、第一妻はラッキーのもとに走ったのに、

ラッキーのことを悪くは思っていないという。

 管財人同道で入った東亜子の自宅にはめぼしいのもはなにもなかったが、誰に送ったかわからなかった

が、ファックスで送られたであろう原稿があった。

 そには・・・一番寂しいのは吾郎ちゃんよ・・・と、あった。

 東亜子も私も肉親に恵まれなかったのだ。吾郎もまたそうなのだ。

暴力

 ラッキーやちょうちんが私の子に怯えるのは、「瓜の蔓に、なすびはならぬ」の諺のように、自分たちの

したことが悪いと承知していて、これを隠そうとして、さらに悪さを重ねるということでしょうが、これを

隠すために、自分たちの孫を東亜子の子として、入籍することを考えた。

 と言っても、昔と違って、東亜子の子として、入籍するには出生証明書がいる。ならば、養子として、入

籍してしまえば、世間の芽だけごまかせると思ったのだろう。

 もちろん、東亜子の遺産目当ても目的であっただろう。

 しかしながら、ラッキーには「数えきれないほど子供がいる」とちょうちんがいつも言っているように、

沢山の子供の中から、選ぶということは子供たちの間で争いがおこるということだった。

 この問題は後で、記述する。

 
 
 吾郎が東亜子の前に現れたのは、ハワイであったそうだ。もちろん、戸籍は東亜子が知らない間に養子縁

組など、日本で、手続きが終わっていた。ラッキーの子である母親を秘匿しなければならなかった。

 その時の様子を、東亜子と一緒にハワイに行った方に詳しく聞いた。

 久しぶりにハワイの東亜子の別荘に行くと、ラッキーの第一妻と4,5歳くらいの吾郎がいた。そのときは

それだけであった。
 
 時がたって、変だと思ったのは,『吾郎』と言う名前は、東亜子が浮名流した二枚目俳優の本名である。

どういうことだろうと思って、その時は、東亜子と一緒に日本に帰ってきた。

 何か月かして、又、一緒にハワイの別荘に行った。

 その時だった。東亜子がラッキーの第一妻もろ共、吾郎を殴った。第一妻は吾郎をかばうために東亜子

に組み付いていくと東亜子は第一妻を突き飛ばすというよなことを目の当たりにした。

 学齢に達した吾郎が日本で、東亜子の家に来てからも、東亜子の暴力は止まらなかったそうです。

 そんな具合だったので、吾郎は東亜子の名古屋の別荘にいたそうです。事件の後、名古屋の別荘を引き

払うために、ここに出かけた私が近所の方に、いろいろ聞きまわった。「ここには吾郎さんがお母さんと

ご一緒でした」と、…・

 事件の後、東亜子の暴力を教えてくれた方は「いつも吾郎ちゃんが殴られていて、大きくなったら、今

度は吾郎ちゃんが先生を殴っていました。だから、最初にフジタコトトメ死亡のニュースを聞いたときに

は、吾郎ちゃんにやられたと思いましたが、ちょっとしたら、吾郎ちゃんも殺されていたと聞いたときど

うなったんだろうと思いました」と、

 
 私は、東亜子の辛さ、苦しさ、悔しさ、思うと・・・・

振動

 ラッキーが我が家に来たことは1度だけです。

 突然、電話があって、我が家の最寄りのJR駅まで、迎えに来てくれということだったので、時間に合わせて、駅まで出かけた。

 駅に行くと、まだ来ていないのか姿が見えなかった。電話を掛けようにもそのころは携帯電話がなかったので辺りを見回しているだけだった。
 ちょっとして、喫茶店から変な爺さんが出てきたと思ったら、ラッキーだった。道行く人たちが、ラッキーを見て笑っている。それもそうだろう。ラッキーの格好はちんどんやのようだったから・・・

 家に連れてきて、我が家の犬たちを見て「噛まない?咬まない?」と、言って怯えて居る。
 「犬は嫌いなんですか?」と聞くと、「なに、わしはがきのころ犬と一緒に寝ていたんだよ」という。そのときは、「そうか」と思っていたら、そうではなくて、ラッキーが子供のころ板権蔵小屋は子供のラッキーを若い衆が追い出して、犬小屋に追いやっていたようだった。
 こういうことも若松の権蔵小屋を見て、わかったのだから、調べなければいけないかったのだろう。この時も私はラッキーとちょうちんの子だと思っていた。

 家について、昼飯に、ラッキーは四国の生まれだと言っていたので、うどんにした。四国と言えばうどんだから・・・

 「おやじさん、四国ではうどんをよく食うのでしょう」と、言っても返事もせず、がつがつと歯を鳴らして、食べている。
 この時も私はラッキーが四国の生まれで、祖父の次男だと思っていた。

 ところが、ラッキーの3番目の妻は、「あの人、四国に行ったことがないわよ」という。
 事実、後に私が四国の祖父母の実家に行って、ラッキーのことを聞くと「えっ、男の子は竹さん一人でしょう」という、戸籍には子の祖父母の実家のいずれかも遠いところで入籍している。どうも別人が手続したようだった。
 ほんと、日本の戸籍って、かの米軍情報将校が言われる通りです。

 ラッキーはうどんを食べると帰りたいtぽ言い出した。その時も私は自分はラッキーの子だと思っていたので、「もう少しで、○子が帰ってくるから、会っていくといいよ」と、引き留めた。

 でも、さらに帰りたいというので、車で送っていくことにした。
 その時に、「最近の週刊誌で、ハワイから、なんだか、子供を連れてきたとか言っているけれど、あれはなんなの?」と言うと、びくっとして、靴を履きかけていたが、停まってしまった。
 
 車に乗り込んでからも、押し黙ったままだった。

 その時も私は孫に会いたかろうと、小学校の校門の前に車を止めて、校門から出てくる子供たちに「もう、帰りだよね」と言って、声をかけた。
 ラッキーは「早く行こうよ」と言っている。「少し待てば出てくるから○子に会って行けばいいよ。時間は十分あるのだから…」と、のんびりしていた。

 すると、私の運転席の椅子がガタガタと揺れ始まった。ラッキーが大きく震えているのだった。

 実は、前に電話をかけてきたときに、ピアノの音をラッキーが聞いて「上手だなぁ〜、歌はヤラないんだろう?・・・」と言う。怯えは子のころからだったのか・・・
 ちょうちんも、鳴り物の発表会などには必ず招待したのだが、出番が来る寸前に帰ってしまっていた。二人とも、なんで、孫の晴れ姿を喜ばないどころか怯えて居たるのはと、不思議だった。

 人を攫った人間は、さらった当人の時はなんとか、頑張れるが孫になると耐え難いと言う識者がいる。

 そして、養子・吾郎のことが世間に知れた時だった。
 

 
 いつまでも、二枚目俳優の「吾郎」を、「吾郎さん。吾郎さん」と言っている東亜子に対して、ラッキーは自責の念はなかったのだろうか…・

 時がたって、高利貸の息子との戸籍上だけの結婚も離婚という形で終止符を打った。いわゆる✖1となった。

 ラッキーの考えたことは・・・≪吾郎≫ならいいのだ。ならば、≪吾郎≫を東亜子のところにやろうという風だった。できることなら、自分の子孫をと考えた。
 つまり、その頃、東亜子はいろいろな支援者がいたので、かなりの資産があった。それをラッキーは入籍させなかった自分の子達の中から、東亜子のところに養子に出して、東亜子の資産を・・・と考えたのだろう。
 
 こうして、ラッキーは男の子を待っていた。数ある自分の子たちに声をかけた。

 いろいろ声をかけたらしく、何人か男の子が生まれた。

 事件後、私に、親しかった方々は・・・何人かの≪吾郎≫が東亜子の周りで遭遇した・・・と、教えてくれた。

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