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藤田小女姫殺害事件と福迫君に関する放送があるそうです。よろしかったら、ご覧下さい。
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アメリカ・民営刑務所
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アリゾナからの手紙
2010年6月
○○様
お元気ですか?いつも週刊誌ありがとうございます。グラビアの季節の写真あっという間に冬・新年から梅・春・桜移り、もう、こちらは夏です。
又、一年の半分が過ぎたのに裁判所の手続きも、米移民局の方も、まだ、何も進んでおらず精神的にも少しまいってきました。
今年になって40年来の友達二人ともお付き合いを切られてしまい、友と言える人も少なくなりました。
しょせん人間、皆、自分が大事なのですが、○○さんには、本当にこの数年ずっと大切にしてしてくださってもらいうれしいです。
早く自由になってゆっくり色々とお話がしたいです。
この間、又、所内で囚人どうしの殺人事件が2月に続いて起きて、一旦、又、所内ロックダウンとされました。
ところで、この前もお手紙しましたが、ちゃんと届いていますでしょうか?あまり以前の様に頻繁にお手紙を下さらないので、届いているのか、又、お元気なのかと心配しています。
又、お手紙そしてブログの近況もお知らせいただければうれしいのですが、、、、
まだ、ブログは続いているのでしょうか?
皆様の言葉が自分を見つめ直すよい支えになり、とてもありがたく、いつもコピーを読ませていただいていただけにどうなっているのか気になり、淋しいです。
それから、そちらも何か、僕から聞きたいこと、話したいこと、又、、アドバイスがあれば手紙に又書いてきてください。
では、又、手紙しますが、どうか健康に気をつけて元気でいて下さい。
福迫 雷太
以上です。
ブログの現状は少し伝えてありますが、この手紙が来る少し前に詳しく伝えました。私も多忙なこともありますが、彼に心配を掛けてしまいました。
どうか、皆様、暖かい言葉を掛けてやってください。お願い申し上げます。
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相変わらず、無益なコピーペーストが続いております。
彼には連絡しました。ブログのコピーはこのところ記事の書き込みをしていないので、少なくなりました。
先日、アリゾナから、こちらを心配した手紙が来ました。仕事も忙しく、どこへも出かけられないので、近隣の四季の移り変わりなど、写真に撮って送ろうかと思います。
荒らしや嫌がらせ諸君にお願いいたします。皆さんがいかに思うかはご随意ですが、どうか、不快投稿をやめてください。
ここはそういう方たちの来るところではありません。
枯れ葉時、木の芽時と俗に言いますが、枯れ葉時も過ぎて、木の芽時がやってきました。
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かつて、私は心中を持ちかけられたことがあった。
ラッキーには、戸籍に入れた人数だけでも生涯3人の妻がいた。
女1・・・東亜子
私
ラッキー 女2・・・子A(女児)
子B(女児)
女3・・・子3(女児)
となっていたが、ラッキーの子は誰もいなかった。もちろん、ラッキーには、子供がいないわけがなかった。私が一緒に過ごした女2(提灯としておく)が言うには、「数え切れないほど」と、いつも言っていた。
ラッキーと女1は女1が一回り(つまり12歳)年上だ。東京で同棲していて、この女との間に何人も子がいたが、女1は夫がいて、ラッキーとの間に子ができたとしても、女1の戸籍に入籍する。しかし、それはまずいのでどこかに入籍するか闇から闇へとなるのでしょう。ラッキーより12歳年上と言うことの意味が重要だ。
女2は私と生活をともにした。いろいろありました。ラッキーより一回り年下でした。つまり、女1と女2とは24歳差でした。女1の長女と同い年だった。
日本の戸籍はでたらめのきわみではあるが、弁護士事務所などで、戸籍の問題を話すとき、女は何歳で出産可能だとか、男は何歳で可能だとかそんな話をする。
考えてみてください。女1の出生届が少し遅れて出されたとしたら、女1にはにはラッキーと同い年の子がいたとしても不思議ではないでしょう。
女3については後にして
私の下には女2が連れてきた子Aがいました。いつも、「後で、役に立つから・・・」と、口癖だったように、なにか利用するために連れてきたのでしょう。
そして、子Bは女2の子であった。これは確かです。しかし、ラッキーの子とは限りません。
ラッキーが子Bが自分の子ではないと知ったとき、
寒いときのことだった、真夜中、ごそごそ、なにか話し声が聞こえてきた。突然、ラッキーの声で「馬鹿!なにをする!」と言う声で、私は飛び起きた。
女2が子Bの首に手をかけた。子Bは6歳、泣き声はしなかったので気絶したのだと思う。でも、生涯、子Bはそのことを覚えていると思う。
念を押します。子Bは女2の実子です。
女2は「この子はがいなければいいんでしょう」とばかり、子Bの首に手をかけたと思う。人というのは自分の立場を守るためなら、自分の子にてをかけるんですね。
私はそれが人間だと思う。自分が食べなくても我が子にはというのはまだ余裕があるときだと思います。
その後、女2は江戸川に行ったので、私は追いかけて、江戸川の土手に行った。長い間、黙って歩き回っていた。なにか、考えている風だったが、突然、「○○ちゃん(私のこと)、一緒に死のう」と、言い出した。
冬の江戸川に飛び込めば、おそらく、おぼれるとかではなく死ぬでしょう。私が死ぬのは嫌だと考えている間に、人がやってきた。
酔っ払いだった。「よう、ねえーちゃん・・・」と声をかけてきた。
この酔っ払いがいなければ・・・女2の道連れになっていたのかと、
人間は自分が一番かわいいのです。切羽詰まったときの行動でした。
昨今、幼児の虐待死が起こっていますが、それは虐待する方に精神的、経済的に苦しいことや辛いことがあるのでしょう。
私のところのみならず、東亜子のところも同じだったんでしょう。そういえば、小学校も行っていなかった。
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アリゾナから便りです。 |





