|
長い間の音信不通で心配していたが、福岡から、帰宅したら、彼からの手紙が届いていた。ほっとした。
2007年6月29日
○○様
又、しばし、ごぶさたしてしまいましたが、いつもお手紙、雑誌ありがとうございます。
先々月から、すこし、体調をくずしたり、風邪をひいたりしていますが、人種差別のひどいここRed Rock刑務所で悪戦苦闘しております。もう、ここのすぐ隣に新設した同じCCA社のセグアロ(Seguaro)刑務所がハワイ州の囚人約2,000人を収容開始しだしました。
今回、又、移されれば21回目の移動になりますが、ここのイヤな所長フランク ルナの元に置かれるよりは、まだ、過ごしやすいかと考え、移動のリクエストを提出いたしました。
さて、僕の近況というより心境なのですが、こうして、14年に入った拘束される日々ですが、僕もこの夏で、42才の本厄なりますが、この14年と言う年月は減税までの人生の1/3になります。
初めて海外に、留学に出されたのが、14才の時でした。
この事件に巻き込まれたのが28才の終わりでした。
そして、現在42才になるわけです。
この先、日本国かアメリカ連邦のいずれかが聞く耳持って、僕のこの巻き込まれた状態への再捜査が行われ自由を取り戻した時に、一体、どこの誰が、不当に奪われ過ごした人生を返してくれるのか、神様ですら、過ぎた時間を返せないのではないでしょうかと、この頃、とても切なく思います。
父が生きていてくれたなら、きっと、彼に助けを求め位、この頃、この奪われた人生の三分の一が悔しく思います。
僕のこの事件の公判、上訴、その他の裁判費用、弁護士代、そしてこの拘束中の僕の生活費等で、我が家もすべて失った母も今は年金のみで細々と生活しています。その中から時々、今も僕のこのなかでの生活費を工面してくれます。
アメリカの刑務所は囚人も電話を使用でき、テレホンカードみたいなIDナンバーがつかえ、僕も日本へ電話をかけることができます。父が生きていたころは弁護士との話し合い党も電話で行ってきましたが、今は、時々、年に数回母の声を聞くくらいです。
話が、又、ここの刑務所に戻りますが、一昨日前、又、ここで、ハワイの囚人同士がナイフで刺し合い重症になりました。ここの所長フランク ルナのでは、しょっちゅう起こる出来事です。
以前、いたアリゾナのフローレンス刑務所長時代の2000年〜2004年の4年間でも、彼のもとで約40人の囚人が命を失いました。昔、こちrの新聞記事を同封したから○○さんも覚えていて暮さると思います。が、まったくひどい所です。
話があっちこっちとなりましたが、近況です。
又、お手紙 アドバイスくださいませ。
ブログ上のご意見くださる方々も、ぜひ、又、お手紙下さいませ。
署 名
註、アリゾナのフローレンスの暴動の件、新聞のコピーを手紙の同封されていましたので、知っておりました。
私からも、皆様方のお手紙頂けますよう、お願い申しあげます。週刊誌で日本の文字を忘れないようにしているとのコメントが送られてきました。
よろしくお願い申し上げます。
|