死ぬまで生きよう!

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爺放談

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いじめはなくせない。立ち向かうのみ…

子どもの虐待が問題になっている。無意識に我が子をいじめる親、意識してする親。どっちもどっちだ。前者を無知、後者を性悪、前者をボケ、後者をバカ。儒者は、「親は尊く敬え」といったが、バカを敬えなのか?儒教の教えは、教えに相応しい人間が存在していればこその前提。よって賢い子どもに求められるのは正しい親の見定めだが、学童・幼児は憐れ也。 安吾は実母に、「もらい子」といわれて速攻で喜んだが、自分は動揺した。ところが事あるごとにいわれ続けると、「バカの一つ覚え」と感じる。女親というのは卑怯者と子ども心に感じた。何がしか言葉が子どもに効き目があると分かると、奥の手といわんばかりに頻繁に持ち出すが、子どもとてバカじゃない。だんだん効き目がなくなるのは子どもが強くなるからだろう。 すべて表示すべて表示

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賢人の存在意義

2019/4/23(火) 午前 8:04

確かに加藤の言うとおり、"子どもは自分の世話をしてくれる他者を選べない"。親を断ち切ろうとするなら、自分のこと一切を自分でやればいい。「母には一切の頼み事をしなかった当時の心情はハッキリ覚えている。「この人は鬼だ」子ども心に感じたことだ。母親には何も望まない、要求しない、頼まない、口も利かない。鬼だと思えばそんなことは何も難しくなくやれた。 ...すべて表示すべて表示

賢人の存在意義

2019/4/22(月) 午前 7:58

我々愚者にとって賢者がなぜ必要であるかを、観念性を抜きに現実的に眺めて思考をすれば、賢者の影響を受けるのとそうでないのとでは、人間は大きく変わってくる。亀井勝一郎は自分が賢者の代表とする人物だが、普通の子どもに生まれ育った。彼はこんな言葉を置いている。「自分の半生を顧みて、なるほど、これが人生というものであろうかと、はっきり感じられたものはある。 ...すべて表示すべて表示

賢人の存在意義

2019/4/20(土) 午前 7:58

「自らの足で立つ」ことを若き日に自らに課した。が、自らの足で立つためには精神的な土台が必要となる。頑健な体をもっても精神が未熟では、「独活(うど)の大木」だ。柔らくて弱い材である独活の木は、大きくなっても建築資材に使えない。それを人間に例えて、「役立たず者」をいうようになった。だから賢人の著作を読むことで自己否 ...すべて表示すべて表示



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