死ぬまで生きよう!

秋の夜長は、長文ブログでも読んで・・・

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            娼婦に美人はいない。美人には引く手数多(あまた)の縁談があった

高校に入学してまもなく樋口さんという女性を見初めた。下の名はたしか「ときこ」という漢字三文字だったと思う。級友からは、「ぐっちゃん」という愛称で呼ばれていた。ただの一度も会話らしい会話をした記憶もなく、2年、3年は別のクラスとなり廊下ですれ違う程度だった。彼女は秀才だったが父子家庭という事情なのか、卒業後はあの佐久間ダムで馴染みの電源開発株式会社に就職した。その樋口さんと卒業年度の夏に一度だけデートしたことがある。

ハッキリは記憶にないが確か彼女から暑中見舞いハガキが届いたのがきっかけだったと思う。年賀状は高校の3年間は欠かさず届いたが、そういうものに疎い自分は賀状は親密な男友達数人に出すくらいで、女性に返事など書いたこともないし、書きたいと思ったことさえなかった。樋口さんとのデートは今思うとかなり怪しい感じだった。彼女の身体からは女のフェロモンが強い臭気となって香っていたからだ。

せせらぎの聞こえる野原の、古びた水車小屋の中に二人はいた。なぜそこに居たのかは不明、自分に何がしかの意図があったかというとそれはなく、ふたりにも何もなかった。口数少なくおとなしい彼女は、会話と言うよりもただ相槌を打つ、そういう目立たなさは変わっていなかった。しかし、その時の彼女の不思議な仕草や雰囲気、表情を後々想い出すことがある。

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                森の水車で、どんじゃらほい、ではなかったような・・・
 
気移り激しい自分とちがって、彼女はおそらく3年間自分のことを一途に想っていたのかも知れない。樋口さんとの恋が実らなかったのは、自分には東京に好きな女が居たからだろう。しかし高1の時に彼女から借りた樋口一葉の何編かの短編を、それも旧字旧仮名を、苦労して読んだ想い出がある。ただ借りたから義理で読んだに過ぎず、当時は乱歩や清張のミステリー作品に傾倒したせいもあって、一葉は正直つまらなかった。

イメージ 2そんな訳で、一葉を久々に読んだのは確か4〜5年前だった。5千円札に肖像が採用された直後。その時初めて、『たけくらべ』や『にごりえ』の素晴らしさを理解でき、感動することが出来た。高校の同級生の樋口さんの自宅を見た時に、その貧しさを理解できたと同様、一葉も大変な困窮生活を強いられ、あげく24歳にして病でこの世を去った。借金ばかりで生前お金とはあまり縁のなかった一葉が、高額紙幣の肖像となったのも皮肉な気がする。もし『たけくらべ』を思春期当時に理解して読んでいたなら、相当の影響を受けたかもしれない。半世紀を生き、感性が鈍化したこんにちでさえ戦慄が走った、それくらいの名作だし、読んで(存在を知って)得をしたという本の一冊である。いずれは遊女となり、客を取る宿命にある美登利は「切れ離れのよい気性」が評判の女、そんな凛とした美登利に読者は憧れるのだろう。同級生の樋口ときこさんが、一葉が好きな理由が判った気がした。『にごりえ』も同じように感銘を受けた。一葉はただ貧窮のために小説を書いただけだが、大勢の読者は彼女の才能にひれ伏すしかない。もともと文才はあったし、皇室を含めた上流夫人、その娘たちが通っていた中嶋歌子の歌塾である「萩の舎」に学んだ14歳のころにその兆しはあったようだ。

イメージ 8もともと士族の血を引く一葉とて、「萩の舎」お歴々を周囲に見ては、底知れぬ気づかいはあったろうと思う。気風のいい美登利に比べて『にごりえ』のお力には、女の打算が垣間見える。朝之助には叶わぬ恋と諦めつつも「玉の輿」を密かに願っているあたりにそれが伺えた。朝之助を慕うお力、お力に恋慕する源七、源七の横恋慕に嫉妬する妻のお初。源七のような妻の内職に生活を支えられていながら、遊女にかまけるぐーたら亭主など、昔も今も変わりない。お力はそんな源七によって無理心中の刃にかかる。遊び人亭主に離縁され、遊女と心中という結末に子持ちのお初の悲しみ、憎悪がどれほど甚大であったか・・・。源七に殺されたお力よりも、残されたお初の明暗に心囚われる一編である。印象深いのは、お力が大湯呑で酒をあおり、朝之助に不幸な身の上を告白する場面。ところが、その話を聞いた朝之助に、「お前は出世を望むな」といわれてお力は驚く。朝之助の酷薄な一言で、お力の想いは絶望へと変わる。にも関わらず、お力は朝之助の下駄をかくし、強引に泊まらせる。この辺りの女心はやや理解に苦しむ。無念の胸中でありながらもなお切れぬ想い、心身ともに朝之助にすがる女のパッシブな心情?それとも、殺しても化けてでる女のしつこさ、したたかさの表れなのか。


イメージ 3借金を申し入れて断られたにも関わらず、再度申し入れをする一葉のしたたかな一面に類似するように思う。同じようなシーンが映画『サンダカン八番娼館』に見られる。ゴム園で小間使いとして働く18歳の竹内は、以前から娼婦のサキを見初めていた。ある日、路上でサキに腕を捉まれ、強引に館に連れ込まれた。金もない竹内はただサキを眺めていただけだった。「今夜は、ただあんたに逢いたかったんだ!」この竹内の新鮮な言葉の響きに、サキは女の情に火をともす。サキは金のない竹内に、「お金は要らんけん、ウチが持つから泊まって行って…」と懇願する。その時のサキと竹内のやり取り・・・


竹内 「なんで・・・」

サキ 「なしてか、自分でもようわからん。ウチは今日まで5年、男という動物にイジメられどうしで来た。自分から進んで寝たいと思ったことはいっぺんもなか。あんたが初めてばい。ウチは今まで、男ば連れ込んでも、ただごまかして金ばもらっとっただけたい。ウチは女であって、女でなか・・・、やけんウチは、今夜こそ、ほんなこつ(本当に)女になりたい。」

竹内 「・・・・・・」

サキ 「あんた…、おなご、今夜が初めてだろ?すっとぅ、ウチが最初のおなご、ウチもあんたが最初のおとこ・・・」


5年前、「外国さ連れて行ったる」と女衒に騙され、サンダカン(ボルネオ島)の娼婦の館に売られてきたサキは当時14歳だった。ここの映画書庫にも書いたが、この映画も自分の人生の中において、観ておいて(存在を知って)得をした一編だろう。貧困家庭や困窮する人々を見下すような心情はないし、そのような運命的な境遇に至った背景などを知ることで同化をする事もある。共感することもある。が、同情という点においては慎重な姿勢は持っている。
 
 http://blogs.yahoo.co.jp/hanshirou/13167434.html

「安易な同情に潜む己の尊大な心」そういうものが無意識下にあるといわれている。あるや否も含めて、無意識下では判断できない以上、同情は良しとしないと決めている。共感し、同化はすれど同情はしないということだ。この映画を通じて「からゆきさん」の実像を初めて知った。「日本の恥部」と隠匿されていた「からゆきさん」を、広く知らしめた山崎朋子の功績は大きい。実像を知ることでいろいろな考えや、自前の哲学が沸いてきたのは自負するところでもある。

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        頭(顔)を露出してはいるが、外国という蓑が拠り所だった、からゆきさんたち

食うためにやむなく身体を売るハメになった人達の悲哀を知ると、無性に腹が立つのは遊ぶための金を得るために身体を売る女たちだ。こういう奴にはビタ一文とて出したくない。過去、商売女とは露知らず、ホテルまで行き、支払いを済ませたのはいいが、あげく「実はわたし、商売なの!」といわれた途端、「ふざけるな!とっとと失せろ!」と追い出したこともある。「性交」を"食うため"ではなく、"手っ取り早い金儲け"の手段とする女に自分は稼がせな〜い!

食うためにやむなく身体を売る女がこんにち存在するのだろうか?「性」は動物生態学的にいって純粋な本能であり、したいもの同士がすればいいのであり、そこに本能以外の不純な物品が介在する余地はない。この徹底した考えを未だかつて論駁されたことはない。本能を否定する理由がないなら当たり前のことだと思う。理性は「法」や「規律」、「宗教」あるいは「道徳」などに置きかえて人間を縛る。本能を抑制することは秩序維持の上で大事なことで、やぶさかではない。

イメージ 7「衣・食・住」という基本本能でさえ、金によって売り買いされるが、それは社会の産業構造で、「餅は餅屋」という一種の便宜であり供与だろう。同じように性の商品化が多くの人間に貢献している。我々もその恩恵に預かる身分であるし、性の商品化を断罪する気はさらさらない。では、身体は買わないというのは拘りなのか?と、いうとそうではない。買って満足、喜ぶ人間もいるから、それは価値観の類だろう。ただ、「女の人が食うための前提外で安易に金で身体を売るのはよくないですよ!」そんなお行儀のいいことを言いたいのではない。それも人の勝手だ。自分の考えは、ヤリたいならヤリなさい。本能なんだから素直にヤレばいいとの単純な考えで、そこにお金が介在する余地がない、意味がないと思うだけ。男と女は互いにそういう趣向になればすればいいし、お金をくれとか不純だろ?少なくとも素人は銭を取るなということ。反面、「したくはないがお金くれるならさせてあげる!」という女がいるが、それも人の自由。ただし自分なら、「金を貰わなきゃしたくならないならするなよ!」というだろう。本能+金銭欲のダブル利得などの浅ましさは看過できないし、男の弱みに付け込み、多くを銭や物に換算するそんな心が自分には許しがたい。

からゆきさんに悲哀さ、切なさの感情を抱くのは当然だが、もっと遡って母親に対するトラウマ的な面もあるんだろう。母親に純粋な愛情を感じたことは一度もない。何かにつけ金や物で動かそうとする。その心の意図が見えたときに、猛烈な拒否反応を抱いた。

こんな無思慮なバカ女に、銭金で動かされてたまるかとの自負心が、母の醜態を見下した。この反抗精神はあってよかったと思っている。子供を姑息な手段で手なずけようとする母親に反旗を翻したことは、成人になっても生かされた。女でなくとも銭金では動かない自分だ。姑息な人間に迎合しないところが長所だと思っている。

イメージ 5女という存在の無価値観の歴史が、女郎、遊女、娼婦という職業を生んだ。それらは男中心社会の歴史の「負」の部分だろう。その一方で、大奥を始めとする花魁、太夫にお大尽などの絢爛さは、同じ男中心社会にあっても対等な大らかさを醸している。しかし、所詮はからゆきさん、慰安婦、女工哀史などの暗い影の残像もある。陰と陽、暗と明は表裏といえど、人間社会には性を一元的に語れない難しさがある。時に愛情でなく、時に好奇心、時に憎しみの発露、時に軽蔑から、時に接待、時に食うため、時に慰安のため、時に男の自己権力の誇示、あるいは所有欲・独占欲を満たすために、性(性行為)が存在することを考えると、性の問題を一筋縄で考えることはできない。語ってはみたところで、所詮は数億冊中の一編の詩のただの一行・・・、そんな気がしてならない。

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いわゆる「飲む・打つ・買う」は、品行方正な社会では規制されることでしょう。しかしながら誰しも、時には羽目を外したくなったりします。ちょいワルや不良っぽさが、ナニゲに魅力的に見えたりもします。ワイン、競馬、花街などは歴史を経て文化と見なされたりしますが、元を正せば「飲む・打つ・買う」に違いはありません。
「買う」に関しては、世の上流階級のオバサンには、それこそヒンシュクを買いますが、異性との出会いの機会が少ない庶民には、それ相応の楽しみとなっています。品質のよい賞品を売るビジネスは、生産業であっても反社会的ではない・・・そう考えたい、今日この頃です。その比較的収入のよいビジネスに、自ら率先して身を投ずる方もおります。そんな方ほど、洗練されたサービスで心地よい。
世に言う「夜鷹」の鳴き声は、夜の静寂(しじま)に心惹かれる何かを含んでいます。宮沢賢治の「よだかの星」にも通じる何かか・・・。

2009/9/18(金) 午後 1:01 [ 酒親父 ]

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【追伸】
点検しないで投稿したので、誤字がありました。

品質のよい賞品 → 品質のよい商品

生産業であっても → 性産業であっても

さあ、明日から5連休か。温泉にでもつかって、一杯やるか(微笑)。

2009/9/18(金) 午後 1:18 [ 酒親父 ]

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いわゆる「飲む・打つ・買う」は、品行方正な社会では規制される

品行方正な社会というのが「アーミッシュ」のような特殊な宗派社会などの存在するのは知っておりますが、ここでは電気、自動車などの一切の現代文明さえ拒否されています。普通一般の世俗社会の中に品行方正な社会が存在するのかというのはちょっと信じられません。競馬・競輪場にだって、家族で訪れて楽しむ光景もみられるし、パチンコなども大衆に支えられているし、現代では「飲む・打つ・買う」はレジャーとして受け入れられていると思っています。それを考えると春を売るのもレジャーに近いものかも知れません。これを反社会的と封じるのは治安維持の為の単なる決め事であって、根拠のない学校の校則のようなものと考えるのがヒューマニズム思考でしょうね。「ダメだから守れ!」というものは、陰で楽しめと言ってるようなものです。雨にも負けづ、の宮沢賢治が「よだか」にそういう意味を持たせているとは考えにくいですが、どうなんでしょうかね〜

2009/9/19(土) 午前 11:18 [ hanshirou ]

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【前】
温泉で一杯やりながら考えた・・・わけでもありませんが、宮沢賢治の「よだかの星」の最初の文は、ナニゲにショッキングです。

よだかは、実にみにくい鳥です。
顔は、ところどころ、味噌(みそ)をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。
足は、まるでよぼよぼで、一間(いっけん)とも歩けません。
ほかの鳥は、もう、よだかの顔を見ただけでも、いやになってしまうという工合(ぐあい)でした。

2009/9/24(木) 午後 6:40 [ 酒親父 ]

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【後】

よだかの写真
http://yamasemim.exblog.jp/i151/

鳥の「よだか」も人間の「夜鷹」も、仲間や世間からは見下げられ、嫌われてきました。冷たいこの世の現実に、涙を浮かべながら遙かな真実と希望のある天空へと突き進み、そして赤く燃え尽きて美しい星となる・・・宮沢賢治は虐げられた者、弱者への温かな共感があります。
キョッ、キョッ、キョッ、キョッ と鳴く寂しげな声は夜の暗闇に、ほのかな灯りのような安らぎを感じさせます。青森県境の山間部の温泉近くで車中泊した際など、よくその声を耳にします。
かつての時代の、暗闇にかすかな灯りをまたたかせる「夜鷹」も、何か心惹かれるものがある。宮沢賢治の「よだかの星」に通じる何かが・・・こう思われる、風変わりの小生です。

2009/9/24(木) 午後 6:51 [ 酒親父 ]

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よだかって鳥を初めて目にしました。確かにこれはかなりのugly face.しかし、同じ種にすれば男前も醜女もなくていいのでしょう。普通の鳥からみても「よだかって、ぶっさいくだよなぁ」なんて思わないし、よだか本人(本鳥)も容姿で悩むこともないでしょうからね。だいたい、ガマの油売りが言うところの、「鏡を見せて己の醜さに汗タラタラ・・・」なんて人間様の脚色ですから。イヌ、サルあたりの高等哺乳類で、己の姿を鏡で見て、「オレもなかなかイケメンだな!」って思うものなんですかね〜。わたしにはそうは思えないですね。サルが自身を映した鏡を見てどう思ったか、正確な研究があれば知りたいかも、なんて風変わりな小生です。

2009/9/25(金) 午前 11:55 [ hanshirou ]

出世を望むな の「な」は禁止ではなく感嘆だということです

2012/11/27(火) 午後 4:05 [ rose ]

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「出世を望むな」が感嘆?
感嘆とは褒め讃えることですが、この場合の出世は妻になることだし、とすると「出世を望む気持ちがあるなら頑張りなはれ」というエールになりますね。へ〜、「感嘆」とは目からウロコ…

まぁ、roseさんは感嘆と簡単にいってますが、ちょっと混乱します。

2012/11/27(火) 午後 5:37 [ hanshirou ]


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