死ぬまで生きよう!

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佐久間正英さん逝く

 
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佐久間正英の息子の音哉です。
 
悲しいお知らせをしなくてはならなくなりました。1月16日2時27分、佐久間正英は永眠しました。父は2013年4月にスキルス胃癌と診断され、音楽をまた作りたいという強い心で10ヶ月に渡る闘病生活を送ってまいりましたが、15日夜に容態が急変し、そのまま静かに息を引き取りました。享年六十一でした。
 
尚、葬儀は父の意思に従いまして、勝手ながら本日近親者のみでの密葬にて執り行いました。父の快復を祈り待ち続けてくださったファンの皆様、父と共に音楽を作ってくださったミュージシャン、スタッフの皆様、父のことを愛してくださった全ての皆様に、本人に代わり心より感謝いたします。ありがとうございました。
 
とても強く、楽しく、かわいらしい父でした。
 
平成26年1月20日  佐久間音哉
 
 
正直にいえば、近々このようなお知らせがあるのではないかと思っていたが、実際報に触れるとやはりというか、人の命の儚さを知る。人の命だけではない、生きとし生ける物すべての命は儚いものだが、自分が人であるが故に申し訳ないが、人の命の価値を高めてしまう。自分などが言うのはおこがましいが、佐久間さんは才能のある人だった。

世間的なそういう言い方は適切かどうなのか。才能の有無に関わらず、かけがえのない人の命である。「惜しい人を亡くした」というのは、才能や功績のある人に対する賛辞なのだろうが、もし佐久間さんに特別な才能がなくとも、彼の命は親族、友人にとってかけがえのないものである。が、彼の才能故に、彼と面識のない我々が彼の死を痛むことになる。
 
 
彼が自身の病状報告をしたのが昨年4月。このようにブログに書かれていた。「2013年4月上旬自分がスキルス胃ガンのステージVI になっている事を知る。今年から小学校の一人娘の入学式前日の出来事。発見段階で医師からはすでに手の施し様はあまりない事を聞き、手術や抗がん剤等積極的なアプローチにはリアリティを感じなかった。
 
かと言って、まるまる放置も釈然としないので、すぐに丸山ワクチンと中国漢方だけは始めてみた。しばらくすると丸山ワクチンの効果か漢方の効果か、それ以前と比べると格段に体調は良くなり気力も増した。それまで感じていた胃の不快感も弱まり、自分が末期癌だなどとは時折冗談のようにすら感じた。それでもひと月ちょっとの間に体重は10kg減っていた。
 
余命をリアルに考えはしなかったが、ごく近しい人達には状況は伝えた。この件は公にはすまい、と思った。何故ならこの話は救いの無い情報に過ぎないからだ。人に知られるのが困る訳でもイヤだった訳でも無い。ただ救いの無い情報が受け手に与える"力"が怖かった。当初の2週間近くは、さすがに落ち込みもしたし、無駄なほどにあれこれ考えもした。
 
寝ても覚めても癌のこと、治療のこと、家族含め接する人達のこと、今後の身辺整理等に頭を煩わせた。でもある日、それが無駄な時間の過ごし方であることに気づいた。同じ時間を過ごすなら少しでも楽しく有意義な時を送ろうと気持ちを切り替えるのにさほど時間はかからなかった。自分の中の癌と戦うことはすでに無意味に思えた。
 
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憎き癌細胞も自分の一部に過ぎない。自分で自分の肉体に戦いを挑む様なナンセンスなことに思えたのかも知れない。いつ死ぬかはわからない、でも確実にその死は一歩一歩近づいて来る …と思うと、実はそれは誰にでも当てはまる当たり前のことでしかない。自分の余命はそういう意味ではみんなとあまり変わりはない。そんな風にも考えた。
 
癌などと言う厄介な病気になってしまったが、冷静に思えば突発的病気や事故等に会うよりは、人生を振り返ったり改めて考えたり、大切な人たちの事を思ってみたり、身辺整理の時間を持てたり、感謝の心を育てられたり。案外悪くはないのかもしれない。そんな状況のくせに、やりたいこと、やらなければならないことは次々と新たに生まれて来る。
 
終息に向かう生と新たな希望の誕生との不思議なバランスだった。そんな日常がさらに末期癌というリアリティを失わせた。自分の日々の気持ちを書き残しておこう、とEverNoteに「Last Days」という日記項目を追加。同時に最後になるであろうソロアルバムの構想も始めた。タイトルはもちろん「Last Days」。
 
 
この記述はショックだった。何にショックかといえば、人のことを自身に置き換えてみるからショックだった。ようするに彼が受けたと同じ宣告を自分が受けたら…というショックである。いきなり命の期限を言い渡されるのは、重罪を犯した罪人が死刑宣告されると同じである。自分は何も罪など犯してない。なぜに死刑宣告を受けるのか?
 
イメージ 7"発見段階で医師から手の施し様がない事を聞き"と、これがショックでなくて何であるか。ガンと言われただけで重苦しいのに、命の期限付きというおまけがついている。その後の行に佐久間さんの心情が読み取れ、遂には指折り数得て死期を待つという状況になっている。
 
彼はこの事実を世間に公表した。そのことで自分も事情を理解した。文中、「終息に向かう生と新たな希望の誕生との不思議なバランスだった。そんな日常がさらに末期癌というリアリティを失わせた。」
 
この言葉の意味は判りすぎるくらいに分かる。「終息に向かう生と新たな希望の誕生」、言わずもがな誰でも希望を持つし、持ちたくもなる。人は死の宣告を受けても、本当に死を実感として受け入れるのはいつだろう。臨終直前の意識のある段階で、人は何を思うのか。もはや疑いようのない死に向かって突き進んでいるのか?
 
一切の希望を捨て去って…。如何様な想像もできるが、実に難しい想像である。死を悟り、受け入れ、断定し、その瞬間を待つのか?それとも死についての一切に触れず、何か楽しいことや、過去の良い想い出に頭を巡らすのだろうか?人がどうかというよりも自分がどうするのか、サッパリ見えないし、読めないしだ。
 
人がガンを恐れるのはその痛みにあるという。ガンの痛みへの恐怖は誰もが知っている。が、実はすべてのガンに痛みが伴うのではなく、ガン患者でも最期まで痛みの出ない人は多いという。ガンの痛みは、ガンが神経や骨に浸潤・転移して初めて出るから、その前に亡くなる人は痛みがない。痛みの有無と死とは関連がない。
 
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ガンで死ぬという事はどういうことか。ガンは、正常でない細胞が無尽蔵に増殖し、正常な組織の機能を低下・障害する。ガンが進行すると、全身の細胞が必要とする栄養分をガン細胞が横取りする。全身の細胞に必要な栄養分を横取りされて免疫が落ちれば、肺炎が悪化して死に至ることもありるし、また、ガン細胞が全身転移すると多臓器不全に陥る。
 
肝臓ガンは、ガンが大きくなれば正常な肝臓細胞が少なくなり、必要な代謝を維持できなくなる。それによってタンパク質の生成が減ると、腹水や胸水がたまり、心臓や肺が圧迫されて呼吸機能が低下し、空気を吸いにくくなったら脳がダメージを受ける。また、アンモニアの解毒ができなくなると、肝性脳症とよばれる昏睡状態になる。
 
肝臓が悪化すると肝腎症候群とよばれる病態へとつながり、腎機能も悪化する。腎臓が働かないと全身の電解質バランスが崩れ、心臓も止まる。人間体内のすべての臓器は、バランスの上で成り立っている。即ちガンで死ぬということは、いずれかの臓器または心臓・肺・肝臓・腎象などの多数の臓器が機能不全になることだ。
 
佐久間さんの頬もゲッソリコケ落ち、末期ガン患者は一様に痩せコケるが、これはガンが増殖するのに細胞分裂を繰り返すが、細胞分裂のエネルギーが大量の栄養分を必要とするために基礎代謝が上がり、通常の栄養摂取では不足するためだ。ただし、顕著な体重減少はガンの種類にもより、進行の遅い「前立腺がん」などは体重の減少はない。
 
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すい臓ガンでなくなったスティーブ・ジョブズもかなり痩せコケていた。いかに資産家であってもガンの侵食を受けて肉体が蝕まれると、全財産を投じたところでガンに勝利することはできない。ハゲてもジョブズだが、大病にかかれば貧富の差に意味はない。豪華個室を数ヶ月陣取ることはできても、それが病巣改善に寄与することはない。不治の病の前に人は平等である。
 
生きること、生き続けること、生き続けられること…、言葉はいろいろだが、所詮人間は食物摂取によって肉体的に生かされているに過ぎない。人間関係やビジネスにおけるストレスや、アルコールやタバコ、ドラッグなどは肉体にも精神にも害を及ぼすし、薄々わかっていても、人間が嗜好品を手放せないのは、玩具を取り上げたら泣き喚く幼児と一緒である。
 
生あるものは必ず死ぬ。当たり前のことだが、死が現実にならない限り、人は肉体的にも精神的にも生きていれる。それが突然の医師の宣告によって、人は精神的に死んでしまうのだ。あとは肉体の死を待つだけで、生きながらえるというのは積極的な生ではない。しかし、ジョブズも佐久間さんも、多くの末期ガン患者は土壇場まで積極的な生を目指す。
 
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どうせ短い命なら、出来るだけの事をやるのは当然だろう。ニコルソンとフリーマン主演の映画『棺おけリスト』ではないが、此岸を堪能し尽くしたい、尽くすのは当たり前の心情だ。此岸とは欲や煩悩にまみれた世界ではあるが、どれほどの欲を以てしても命あっての物種である。Homulillyという此岸の魔女がいる。別名「くるみ割りの魔女」ともいう。
 
その性質は自己完結である。かつて数多くの種を砕いたその勇姿も壊れてしまっては仕様がない。他に価値など持たないこの魔女が最後に望むは自身の処刑。だが、首を刎ねる程度でこの魔女の罪は消えない。この愚かな魔女は永遠にこの此岸で処刑までの葬列を繰り返す。もちろんフィクションではあるが、自己完結とは正にガン細胞のことである。
 
健全な細胞の前に忽然と魔女のごとく現われ、当初は寄生であれ、力をつけてドンドンと細胞を自分の配下に変えて行く。そうして人間を完璧に自らの支配化に於いたガンは、人間の死と共に自己完結で自ら死に至る。前立腺ガンのように20年近くもいたぶり続ける奴もいれば、佐久間さんが罹患したスキルス胃ガンなどは、もって数ヶ月と進行が早い。
 
一見、進行の遅いガンの方が良性と見えるが(実際そのようにいわれもする)、ガンという奴から見れば、自分が死滅するのが嫌だから、少しづつ、少しづつ、人体をいたぶっているのかもしれない。癪にさわる奴だが、それでもこういう小汚いガンに軍配を上げるしかない。「もはや手のほどこしようがない」と宣告を受けた人たちの、何とも運の悪さよ。
 
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「運」という奴も貧富の差、地位・名誉を選ばない。善人、悪人という分別にても「運」の前に平等である。善人は善人であるがため多くのストレスを抱え、死路を早めるといわれる。先の15日は父の98回目の誕生日であった。肉体が消滅して早や31年であるけれども、未だ自らの中で生きている。佐久間さんの息子も同じ心情だろう。
 
「逝くものは悲しからず、残されたもののみぞ哀しかり」…、自らの体験から、ふとこんな言葉が浮かんだ。
 
 
 

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こんにちは。

最後の行のお言葉に、ええーっと考え込まされました。

2014/1/21(火) 午前 11:44 ロボット三等兵(rb)

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自然死も自殺も、逝くものは「死」によって一切が無となりますが、最愛の人に発たれたものの悲しみは長きにわたります。いつまでもそれではいけないので、気持ちを新たにしますが…

2014/1/21(火) 午後 0:29 [ hanshirou ]

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