死ぬまで生きよう!

秋の夜長は、長文ブログでも読んで・・・

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「ホンネとタテマエ」は日本人向けの言葉でいい意味でいわれない。もっとも、世界中どの民族・人間であれ、服を纏って生きてる以上、タテマエ行動は当たり前である。ホンネだけで世の中を生きて行ける筈がないし、タテマエだけで生きれば自己分裂をきたすのではないだろうか。自分も若いころは、「偽善への反発」もあってか、ホンネ主義だけが正しいと考えていた。

しかし、年齢を重ねるにつれ、これまでホンネでどれだけ人を傷つけたかなどが思い出される。あの時もそうだった、あの場合もきっとそうだったと、当時は考えもしなかったことを考えるようになる。苦悩する人を見て、頼まれもしないのに、激励したりすることも多だあった。一茶に誰でも知るであろうこういう句がある。「痩せ蛙負けるな一茶これにあり」。

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どういうところから生まれた句かは知らぬが、痩せ細った蛙を見て、頑張れと応援する様子が伺える。おそらくこういうことを正しいという見方が一般的だろうが、別の見方をすれば、「正しいことをいういやらしさ」という感じもないではない。現に人から、「同情も応援もいらない。ほっといてくれないか」などの言葉を返されて、善意とは何かを感じた人もいるだろう。

アメリカのある黒人指導者はこういった。「腹の立つことは山ほどあるが、白人どもの慈善行為ほど腹の立つことはない。あれは信心ぶった偽善行為だ。彼らは『私は正しい信仰をもっているが、お前にそれはない。可哀そうだ。私は幸福だがお前は不幸だ。私は立派な人間だがお前はグレている』彼らは自分の立場、自分の優越と幸福と差別を実証し、それを楽しんでいる」。

そしてこう結んでいる。「おれたちは、あいつらの慈善行為とやつらの優越感を満足してやるための『贖罪のヤギ』――スケープ・ゴートじゃない。おれは自分で生きていくんだ」。なるほど、この言葉の真意が分かる人は幸福であろう。なぜなら、偽善に頼らぬ慈善を模索し行為するであろうから。愛とか正義とかは正しいことだが、正しいことをいういやらしさも現実にある。

同じように、ホンネはタテマエに勝るというが、すべてにおいてそうはならない。ホンネを言える人間が羨ましいという人はいる。なぜ言えないのかは、ホンネがいえる人間には分からぬが、憧れる以上は近づきたいのだろう。自分はむしろタテマエを述べるのは好きでないし得意でなかった。したがって、タテマエをキチンといえる人間になりたいと思うようになった。

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それもあってか、「ホンネとタテマエ」を自分はこのように解釈する。「ホンネのいえる人間はタテマエを、タテマエしかいえない人間はホンネを」。これを努力目標に掲げればいい。どれほどホンネに憧れる人間とはいえど、相手が自分にホンネでズキズキものをいえば嫌に決まっている。人が人にホンネをいうのは支持するが、自分がいわれるのは嫌、これは矛盾だ。

だから、ホンネが良くてタテマエが悪いということもない。一切は場に応じて頭で使い分ける必要がある。友人・知人は別にして、交友関係のない相手には滅多なことでホンネをいうべきでないと自分に課しているが、それほどに気をつけていないと自分はホンネを遠慮しない。人に嫌われ、それでもホンネは正しいと信じて生きてきたことで、そんな自分になったのだろう。

が、人間は人生の途上でいろいろ変わるものだ。昔いいと思ったことが良くないと思うこともある。食べ物の嗜好が変わるように考えも変わるものだろうが、絶対的に封印できるものなどない。全面善としたことが全面悪とならぬように、人間には臨機応変な生き方が求められる。タテマエを上手く使えるように努力目標を掲げながら時にホンネで怒るも大事である。

ホンネは怖ろしくもある。だから節度をもって使い分けるべき。自分にとってタテマエとは、ホンネを抑える大事なもの。ホンネという怒りを抑える重要なもの。人間はタテマエで怒ることはできないし、ホンネを排した怒りを怒りといわない。だから怒りはホンネであろうが、小さなことに怒ってばかりはいられない、だからタテマエの効用である。双方上手く使い分けることが求められる。

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私は逆でした。
若い時は目上の人に対する配慮(遠慮)からか、自分を抑える言動をして来たつもりです。もっとも同輩に言わせると「お前はハッキリものを言い過ぎる」との事ですが、いずれにしろ今よりずっと控え目?でした。
しかし段々年を経るにつれて思った事は誰であろうと、遠慮せず言うように心がけています。
歳を取って頑固にもなったのでしょうが、社会もテレビも私の周囲もタテマエばかりで息苦しくなったような気がしてなりません。
思った事を言えない事ほどストレスがたまる事はありませんね。
モチロン人としての常識は持っているつもりです。人も選べば(善悪の)最低限の場所も選んでいるつもりです。
hannshirouさんのブログもそれに近いような気がしてなりません。
どうせ残りの人生あとわずかです。怖いものも無いでしょう。ホンネで死ぬまで生きましょう!
(続く)

2019/2/14(木) 午前 11:11 [ seizo ] 返信する

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(続き)
27年前、都会育ちの私が田舎暮らしを始めた際、迎え入れた地元のお百姓さんたちは・・・ある人は「こんな過疎地にようこそ来てくれました」「あなたならやっていける、分らない事は何でも聞いて下さい」と言ってくれました。
他方で「夢を持って来たのだろうが、農業で生活していくのは無理だよ」「都会へ引き返すなら今の内だよ」との少数意見も!
結局今でも懇意にしているのは後者の方でした。

2019/2/14(木) 午前 11:13 [ seizo ] 返信する

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人はそれぞれ個々の道程があり、生き方やしがらみが各々の常識を含めた価値基準を作っていくのでしょう。しかしながら、常識は万人共通の御旗ではなく、老若や男女によっても常識は変わります。それでも人間として共有の常識がなければ、この世は滅茶苦茶でしょう。今回の論点は結局こういうことです。

仝朕妖な嗜好はどうあれ、賞の権威を汚すことは許されない。
他人の秘密を知り得たからと、公然と晒すべきではない。
新たに、0娶の批判はともかく、人格否定はすべきでない。

この程度の常識は人と共有したいもので、はともかくあなたは、TPOに関係なく正論を述べる希林さんを評価しました。記事は私なりの常識を述べたものですが、あなたの常識を疑いつつも、人物批判には至りません。

今回、「人としての常識は持っているつもり…」と仰せですが、彼女への一連の評価が変わることのないあなたの常識であるなら、これ以後この件に立ち入る気はありません。

2019/2/14(木) 午後 6:27 [ hanshirou ] 返信する

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