死ぬまで生きよう!

秋の夜長は、長文ブログでも読んで・・・

家庭|教育

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全33ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

20代半ばで地元豊橋市内で英語塾を開設した磯村氏の学習法は、映画やビデオなどを教材に使いながら英語に慣れ親しむことを重視した。磯村氏一人に小学4年生ぐらいから高校3年生まで60人ぐらいの生徒がいた。1教室は10〜20人程度だが全教室は常に満員。塾を開設した直後から指導方法などが高く評価され、入塾希望者が絶えず入塾が難しかったという。

管理教育と称して生徒を枠にはめ込み、従わない生徒の頬をビンタで従わせるのがまかり通る時代だったが、磯村氏は生徒一人一人と向き合うことを大切にした。次男の和人氏は、強権・傲慢な姿勢に憤りを覚えた父の言葉として、「あんな教育に従ったら、自分で考える力が身につかない』と言っていたのを覚えている。教育に問題意識を持つ人の観点は同じものがある。

イメージ 1

皆が制服を着用し、同じことをしなければならない全体主義の学校にあって、親の指示とはいえ校則違反であることには変わりない。本人たちは多少なり肩身の狭さがあったと推察するが、当時のことを和人氏はこのように述べる。「兄と私は私服とはいえ黒色のブレザーを着ていました。髪の毛を染めることも、校内暴力を起こすこともない。毎日時間通りに通学し校則も守っていました。

成績もよかったし、教師に逆らうこともない。学校の秩序を乱すことは一切していない。こんな私たちの行動に理解をしてくれる教師や生徒もいましたが、立場上教師は私たち側に立つことはできなかった。ある方から聞いた話ですが、教師の中には私の兄が東大を受験するときに、試験に落ちることを願っている方もいたといいますが、事実ならば残念ですね」。

小1から1年間通ったピアノ教室を辞め、父子でピアノに取り組んだはいいが、教師はまさかこれほど上達するとは夢にも思っていなかったろう。毎年開催される、「中国ユースピアノコンクール」には発表会のつもりで参加したが、初出場の低学年の部でいきなり予選通過、本選で二位の成績を教師はどういう思いだったろう。ピアノ教室生徒で予選通過者は一人もいなかった。

これはピアノ教師の知識や技量というより、教え方や子どもの熱心さの差であろう。毎日の2時間練習は欠かさなかった。確かに練習は大事だが、練習を好きになることはもっと大事である。楽譜も読めずピアノも弾けない父はこれといった何かをしたわけではない。一緒にCDを聴きながら耳を肥やしたくらいだが、心当たりといえば、子どものそそのかしたことくらい。

イメージ 3

“そそのかす”というのは言葉が悪いが重要なこと。子どもに限らず女性をその気にさせるための話術と何ら変わらぬそそのかし術。「昔取った杵」ともいうが、そそのかしは受ける側からみると魅力となる。自分がやったことは、それくらいしか思い浮かばない。「子どもをやる気にさせる」のも、「女をやる気にさせる(別の意味)」のもそそのかし術といい切る。

そそのかしに大事なものは相手の腹を読むこと。有能なセールスマンも個々の顧客の腹を読むからこそ、その場に最もふさわしい口説き文句を発することができる。口説き文句は山ほどあるが、今この時点でこの相手に何が相応しい言葉であるかを読み取り、言葉に変える能力で、別の言葉で洞察力というが、自分の生徒が素人なんかに負ける筈がないと思っていただろう。

遂に認めざるを得なかったのか、ピアノ教師は長女の同級生四人を引き連れて最優秀記念演奏会に来た。どんな演奏、どんな技術、彼女自身の目で確かめたかったこともあろうし、父を認める必要などない、本人を認めればいいこと。男に女の自己顕示欲はなく、そそのかし役でしかない父からすれば一切は子どもの手柄であり、灘高〜東大三兄弟の母のように前には出ない。

磯村氏は管理教育への反発をどう現すか。学習塾経営者として中学卒業でも大学に行けるし、それも東大・京大といった難関大学であるからこそ説得力となる。管理教育批判=学習能力向上とはならぬが、目にみえない人格形成を周囲に示すことは出来ない。そういう自分も、「教師に習わずともピアノは弾ける」の意気込みで取り組み、気づいたら上達していた。

イメージ 2

事実はそれだけのこと。おそらく磯村氏も目的と行動と努力だけが主体で、結果は後からついてきたのかも知れない。学習技術は教えられるものかも知れぬが、ピアノの技術は教えるよりも訓練である。あとは音楽への感性である。コンクールや発表会で分かるのは、ピアノを弾くことだけに必死な子の演奏に何の感動もない。やはりピアノは音楽を表現するための楽器である。

体罰容認管理教育を好む者は、あきらかにコミュニケーション能力に自信がなく、威圧でいうことを聞かせようとするが、それを手っ取り早いと思うところが無能である。人と人には便利な言葉がある。鉄拳制裁を誇示した星野監督もそれが許された時代だった。今季11連敗の原因と目される広島緒方監督による野間選手への暴力行為だが、「お前のプレーはクソだ」というべきだった。

イメージ 1

ドラマは磯村家の奮闘を描いたもので、俳優の菅原文太や坂上忍が親子役となり、敵対する中学校の教師役として長塚京三さんが出演したらしいが、これを書くにあたるまで自分はそのドラマを知らないし観てもいない。連続ものというのがどうにも好きでないから、朝ドラや大河ドラマですら大義くなる。長塚京三が主演の『ザ・中学教師』という映画はビデオで観たが結構面白かった。

共依存の母子家庭親子に向け、「断ち切るために子ども出すかあなたが家出するしかない」といい切り、母親が数日間家出したのに笑った。あれから40年、現在中央大学教授の磯村和人氏(53歳)は、「管理教育と闘う父」をどう見ていたのか?父は、学校との闘いや息子への思いを「奇跡の対話教育―高校へ行かないで、東大・京大に合格するまでの記録」(光文社)に書きあげている。

懋氏の真の思いは、子どもの学びとは本来どうあるべきかを、磯村家での実体験をもとに訴えたのだった。同じような体験は自分にもある。町のピアノ教師の態度や方針に疑問を抱いた自分は、楽譜も読めないピアノも弾けないにもかかわらず、子どもの師を買って出たのは、何はともあれ教師への反動である。音大出のピアノ教師が何だというのか、楽器を弾けるのは習わなくたってできる。

自身の経験と信念に基づいて熱心に取り組んだ結果、それなりの技術を習得することが出来た。コンクールでピアノ教室の生徒たちの演奏を聴いても、こんなものか?と感じたのは自分の耳が肥えている証拠であり、音大出はただの暖簾でしかなかった。親と子とどちらが熱心かといえば子どもそっちのけで前者であった。懋氏の反骨心や男としてのロマンや熱意は手に取るようによくわかる。

イメージ 2

中卒で東大?京大?なんら不思議なことではないと思うのは、楽譜も読めないピアノも弾けない自分の熱意は、長女を小6、中1、高1の三度にわたって、中国地方のピアノコンクールの頂点に立つことができた。単純な比較はできないが、多くのピアノ教室の子たちがムキになって賞を狙うことを思えば、かなりの関門だったかも知れない。もう一度あれだけのことをやれる自信も気力もない。

あった事実だから決して自慢ではなく、「町の教師よ、今にみておれ」というバネや反骨心がなければ絶対にできなかったことで、それは磯村懋氏も同じであったろう。音楽を職業にする気は毛頭なく、子どもを犠牲にした悔いも覗いて唯一得るものがあったとするなら、どんなに難しいことでも一生懸命に取り組めば身につく。著名なギタリストもドラマーも技術とはそういうものである。

「父は意志が強くブレない人でした。明確な考えを持ち首尾一貫していたし、責任感や使命感も強く、「独立自尊」という言葉がふさわしい感じでした。一方でよく考え抜き、準備を抜かりなくして行動をとっていたのだろうと思います。あの頃(1970年代後半)、兄や私が通学していた中学校の管理教育への抵抗も、父としては決して思いつきや衝動的な行動ではなかったでしょう」と和人氏。

「今、会社に勤務されている方は、私の父のようにはならないほうがいいと思いますよ。もし、父のようになるとご本人もご家族も大変なことになるかもしれません。自分の考えや思いを大切にし、筋を通そうとすると敵が現われるかもしれませんね。そこで多くの人は、ある種の妥協をして生きていくのではないでしょうか。おそらく、父はそれができなかったのだろうと思います。

イメージ 3

ただし、父は慎重なタイプですから、家族を養えるだけの経済的な基盤をきちんと固めたうえで行動をとっていました」。懋氏の長男が小学6年生のころに生徒指導の教師が、「我々は子どもが中学にいっても不良にならぬよう厳しく指導する」という言葉に対し、「あれが教師のいうことか!」と立腹していたようで、軍隊のような厳しい規律のある組織にも批判的だった。

ふと松下村塾の吉田松陰が過る。彼は塾の規律を書くには書いたが、机の引き出しにしまったままだった。その松陰はこんな言葉を残している。「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」。これ以外に松陰の印象的な言葉は、「諸君、狂いたまえ」。こんな言葉を吐く松陰は奇人である。

磯村懋氏もある種の奇人であったように自分も奇人であった。人と同じことをしないという意味において…。イチローの父も負けず劣らずの奇人である。イチローは、3歳〜7歳まで一年の半分を野球の練習に費やし、小学校低学年の時は放課後に父と毎日練習。小学校高学年になると毎日バッティングセンターに通い、イチロー専用のバッティングマシンが出来たという。

スティーブ・ジョブズも奇人で知られる。「Stay hungry, stay foolish」という言葉は常人にいえるものではない。経営者時代のジョブズは部下に対し、「お前の仕事はクソだ」と平気で口にしたという。こんな言葉を口に出していいわけないし、口先まで出かかっても理性で止める。いじめのようにもとれるし、「クソ」なんて言われて相手との信頼が築けるとは思えない。

イメージ 4

その言葉をあまりに頻繁に口にするジョブズにジャーナリストが尋ねた。「『お前の仕事はクソ』とはどういう意味か?」。「仕事がクソだって意味。でも、僕が正しいとは限らない」としながらも、「はっきり伝えて理由を説明し、本来の軌道に戻す。相手の能力を信じていることを伝えながら、解釈の余地を残さないよう指摘しないといけない。すごく難しいことだ」と説明する。

回りくどさより率直は大事。汚い言葉だがジョブズは感情的にならず、効率重視であった。「お前の仕事はクソだ」と言われたら大抵の人は自分の能力を疑われたと思う。上品とはいえず正当化される言葉ではないが、この言葉が見かけほど悪くない場合はいくつか考えられる。例えばすでに多くを達成したキャリアな人物には、その能力を認めるがゆえ容赦ない。

イメージ 2

  暴力や恫喝で相手を従わせることは根本治療とならない。自宅に帰ればそこには怖い校長はいない…


「戸塚ヨットスクール」が新聞や週刊誌などで叩かれたとき、戸塚宏校長は毅然たる態度で、「恐怖心を与えないと親や目上を舐めた人間は更生しない」と述べていた。同じ愛知県で起こった、「名古屋教育虐待殺人事件」では従順であり続けた子どもを刺殺した。反抗するから勢い余ってではなく、親が子どもを意のままにせんと関わり過ぎたことから起こった悲劇である。

1980年代から1990年代前半、「東の千葉、西の愛知」といわれた管理教育県にあって、愛知県豊橋市の私塾経営者の息子兄弟が親の意向で制服を着用しなかった。それが問題行動児とされ、内申書評価のある高校進学を断念、大学入学資格検定に挑戦、1982年に長男が東大医学部、1983年に次男が京大経済学部、1987年に長女が京大文学部に合格し話題になった。

人間には他の動物にはない格差意識がある。動物の「血統書」は動物たちの格差意識でなく、人間の見栄や欲を満たすもので、これらはペットをはじめ、多くの物品や出身校や職種にまで及び、そうした優越感が差別意識を助長する。「日本一の桃太郎を探す」触れ込みで始まった“健康優良児”は、昭和30年から始まったが、個人単位の表彰は1978年で廃止された。

生まれつき体格のいい子供が選ばれ、さらには生まれ育った環境が少なからず影響し、不要な優越感や劣等感を生むとの批判が強まり、学校単位の表彰も1996年廃止された。飽くなき人間のブランド志向は、「お受験」と揶揄され、名門幼稚園からはじまり、同小学校〜中学と狭き門の受験地獄に突入する。それは高校〜大学、さらには入社試験と人間の学力仕分けが続く。

イメージ 4
           社会で何の役にも立たぬ受験学力と知りつつも、それでも子どもを机に向かわせる親


これらが、「人間の価値は学力」という信仰を生んだ。人間の価値が学力だけで選別、判別されるというなら、出身校や成績を書いたネックストラップを下げていたらよかろう。そんなものに影響されることなく人は人と交流し、中卒や高卒であっても魅力ある人間はいくらでもいる。なのに子どもを持つ多くの親は、斯くも付け焼刃的学力を身につけさせんと奔走する。

「学力とは何か?」、「人間の本質的な頭の良さとは?」。こういう問題意識を持った親も少なからずいて、彼らは子どもの学力自慢をしない。こうした親の理解を得た子どもたちが、スポーツや文化・芸能の世界で花を咲かせる。学力のみに特化した人間に相応しい働き場はどこか?真に学問を愛す子どもは学者の道をゆけばいい。それはスポーツや芸能にもいえること。

「好きこそもののなんたれ」という。好きなことに邁進できるのは幸福である。上記した愛知県豊橋市の私塾経営者の息子兄弟のその後について調べてみた。豊橋市で英語塾を経営していた磯村懋 (つとむ) 氏 (2003年に67歳で他界) は、管理教育が子どもの正常な学習や学びを妨害すると考えていた。愛知県は全国でもなだたる管理教育県であった。

1970年代半ば〜80年代に吹き荒れた校内暴力は、特に公立中学で生徒の非行や犯罪が社会問題になった。それに呼応して文部省は全国の教育委員会などを通じて管理教育を徹底させる通達を出す。私立中学受験に拍車がかかったのはそういう事情もある。管理教育は生徒の髪形や制服、持ち物にまで徹底され、教師による体罰も、「指導」の名のもと、エスカレートしていく。

イメージ 1
    荒れる子どもたち、キレるこどもたちの要因は、家庭にも学校にも怖い存在がいなかったこともある。


ナイフなどを所持した子どもの凶悪事件の続発で、文部省は学校が子どもの、「所持品検査」の実施を容認した。教育現場では、「検査は不信感を生むだけ」、「本来は家庭で管理すべき問題」と戸惑いもあったが、家庭が子どもの管理機能を失っていた。当時の新聞社説を読むと、父親を粗大ごみ扱いした妻が、そのしわ寄せから荒れる子どもに対処できなくなってしまった。

そこで母親は学校に子どもの管理徹底を求めるしかなくなり、学校は親の要望を担おうとする。「何という家庭の無力さ」と、自分は所持品検査に真っ向反対だったが、これはもはや社会問題化していた。こうしたことから子どもの非行防止目的で、親は学習塾や習い事へ通わせ始める。「バカげたこと」としか言いようがないが、バカげたことしかやる手立てがなかったのだ。

豊橋の磯村氏は息子と話し合った末、私服で公立中学に3年間通学した。「制服は管理教育の象徴」とする父の教えだが、学校は内申書をちらつかせ、制服着用を命じるも2人が制服を着ることは1日たりもなかった。内申書の悪評価は想定済みで、2人は父と話し合った末に高校進学を止めた。これは内申書を人質にとったゲスな指導に対する異議・抵抗であった。

父は当時、世間ではあまり知られていなかった大検を奨め、息子はそれを承諾して受験をし、1年で合格した。その後、兄は1982年に東京大学理科Ⅲ類へ、弟和人は1983年に京都大学経済学部にそれぞれ現役入学した。磯村兄弟家族は、1984年に放送されたドラマ、「中卒・東大一直線 もう高校はいらない!」(TBS)のモデルとなり、ドラマは高視聴率をあげた。

イメージ 3
       右の表紙は実際の磯村家の子どもたち。左上長男、右上次男、真中長女、左下三男、右下次女


考えてみるに、親が子どもを育てるということは、親にとっても喜びであり、また子どもにとっても幸せなことであるはずだ。だから、鳥や野生の動物も、親はイキイキと子どもを育て、子どもは親に育てられることでイキイキと成長する。これはもう動物園の檻のなかのパンダであっても疑いのない事実。ところが人間の親子というのは、動物にはない諸問題に悩まされる。

悩まされるのは親だけではなく、子どもですら親の事で苦悩する。「何で親のことでこんなに苦しまなければならないのか」。「どうして他人の親はあんなにやさしいのか」。そういう疑問が湧きあがった時、親で苦しまなないためにはどうすればよいかを考えたのは当然だった。誰でも苦しい時には、いかにその苦しみから逃れられるかを考えるし、それが自分にとっては親だった。

思考の末に出た結論は、「親を捨てる」ことだった。これ以外に親からの苦しみを逃れる方法は見つからなかった。というより、何度も何度もお願いをしてみたが、自分を苦しめないことを聞いてくれなかった。その理由は、親は自分を苦しめようなどとこれっぽっちも思っていないからだ。だから、こうして欲しい、こうして欲しくないといくら頼んでみても効果がなかった。

親とは母親のこと。母親は自分を完全なる支配下に置き、親の意のままに子どもを操ろうとの魂胆だった。今なら、「何でそこまでする?」と思うが、されている時はそんなに冷静に客観的に眺められない。だから自分から見た母親は悪魔としか思えなかった。小学低学年までは母親は怖いの一字だったが、自我が芽生えるころになると、自己防衛が働くようになる。

イメージ 1

すると、怖くても敵と見立てて抗おう、闘おうとする。誰にでも起こる反抗期というのは、自我の芽生えのなせる技。人間の親だけが我が子をダメにしてしまう、「悪魔の愛情を持つ動物」といわれるが、当時は、「愛情」などと感じるものはまったくなかった。しかし、あれほどのエネルギーをもって親に歯向かったのは、今に思えば自分を大切にしたいとの自己愛だったろう。

自分はこうしたい、ああしたい、それに協力してくれる親なら有難いが、すべてにおいて反対し、邪魔をする。恋路の邪魔をする親もいるというが、まさにそうであった。そんな親は正常人間と思えなかった。封書の開封や廃棄をするなど絶対に許せることではないし、親だからと許容できるものでもないが、不満ばかり言っても仕方ない。救いの道はそれをどう解決するかであった。

「するな」といっても止めない親には、されたら報復をする以外にない。が、封書が開封され破棄されるなどを自分が把握することは普通はできない。ところが自分には父という味方がいた。父はとばっちりを避けてか、母の行為を制止をしなかったが、差出人の名前だけは耳打ちしてくれた。その事実を母に突きつけて、母のタンスの中の一切の衣類を外にまき散らした。

片づけてもすぐにまき散らす。これが最も母親を困らせる方法と分かった。母は和服を多く所有する。和紙にくるまれキチンと畳まれた和服を外に放り投げるのは快感というより、悔しさの発露でしかなく、こんなことをさせない親であって欲しいとの切なる願いであった。母がその状況をどう感じたかは知らぬが、行為を咎めることをしなかった母は、その点において明晰な判断だった。

イメージ 2

もし、そうでなかったら、子は親を殺める以外に報復手段を見いだせなかったろう。我が子に葬られた親の多くはそこを見落とし、楽観していた事での悲劇であったろう。子どもの怒りに対して二の槍を投げる親は危険である。蟻ですら怒れば象に襲い掛かろうとする。明晰な親は子どもの怒りの度合いを推し量るべきである。でなければ親子という線引きが失われ、不幸が起こる。

親だから我慢するという子どもは少なくないが、我慢を超えればもう親ではなくなるところが怖い。子どもをそこまでした親は取り返しのつかないことになるが、制裁を加えられて分かったとしても、死んで分かることは何もない。「バカは死んでやっと直る」ということか。手のかからぬ育児、便利で都合の良い育児を好む、これが文明社会だが、かつて子育ては力仕事といわれていた。

確かに、「手のかからぬ大人しい良い子」を望む親は多く、できるならそのように持っていく。ところが、文明社会はそういう現象の裏にある屈折した心理を現すに至るようになる。「良い子の悲劇」というのが心理学的にとり上げられ、体系化されていくことで、親の子ども教育も一筋縄ではいかなくなった。押さえつければいいという教育が時代遅れということになった。

学校教育などのあらゆる教育現場で、「抑え込む」が否定され、愛の鞭という教育手法も一掃される時代となった。「愛の鞭」は、「ただの鞭」どころか、心に傷をのこすものという事になった。親や学校の手におえない問題児を矯正することで人気を博した愛知県の、「戸塚ヨットスクール」のような体罰重視で鍛える教育が正しいなどと誰も思わない時代である。

イメージ 3

ディランや中島みゆきではないが、『時代は変わる』のは自然界の摂理である。これまで正しいとされてきたものが間違い、間違いとされてきたものが正しい、そこが人間の英知であり進歩であると誇りをもっていえるのではないか。ガミガミいい、殴り、傷つけ、挙句は殺害などの加害行為をもってしてまで人を教育せねばならぬのか、そこに目を配せることになった。

学校はどんな理由があっても行くべきところ。そこに行かない、馴染めないのは本人に問題があり、そこは指導して変えていかねばならない。一見、正論に見えるが、集団を受け付けない子どももいるというのは、新しい考えである。「男勝りの女は女として問題がある」、「女装を好み、女言葉を使う男は男じゃない」。これらも医学的見地から間違いであった。

イメージ 1

人は生きるために生まれてくる。子どもが生きるのを支え、叶えてやるのが親の役目のはず。なのに、子どもにとって狼のような親もいる。「鬼親」という言葉も言われるが、子どもを殺すなら、赤ずきんちゃんの話にいう狼である。子どもはなぜに哀しいほどに弱く小さく愛くるしいのか?そうであるがゆえに大人や親がかわいがる。そのためだと、聞いたことがある。

言われてみるとそうかもしれない。おそらくそうであろう。なのに、どうしてこのような親がいるのだろうか?こういう親は上記したように、狼だからである。人間は人間にとって狼である。だからこそ人間を守るために何らかの制度化は必要となる。一般的に親子の愛は先験的なものとされ、制度とは関係なく親は子どもを守る。だから保護者と呼ばれている。

その親が子どもに鬼の仕打ちをし、狼のような振る舞いをし、ならばそういう親から子どもを守るために制度化されたものがある。警察や児童相談所がその任を負っている。危険な親から子を守るための制度はちゃんと存在するにも拘わらず、制度を機能させるのは人間である。彼らが今回、子どもを救えなかった自責を抱くなら、今後はさらに子どもたちを救って欲しい。

あまりに悲しい出来事といえ、情緒的になっても何も生まないばかりか、この親が結愛ちゃんにナニをしたカニをしたなどと書く気も起らない。幼い命を絶たれた結愛ちゃんに、生まれてきて楽しかったこともあっただろうと慰める以外に何もできない自分である。彼女の屈託のない笑顔をみて心は和むが、あまりに短き彼女の命に想いを寄せ、怒りをこらえるばかり…

イメージ 2

人はなぜ生まれる場所や両親を選べないのだろう。依存しなければ生きていくことすらできない子どもたちは、親を怨むことも憎しみを抱くこともできない。親から何をされようと、「じぶんがわるい」、「ゆるしてください」としか言えない子ども。そんな結愛ちゃんに悪の鉄槌を振り下ろす親。こういう親をどう裁いたらいいのか?罪に相応する罰に見合わぬものは多い。

人を殺せば殺人である。殺人なら殺人に罪を負うべきだろうが、過失致死という罪が存在する。人間が過ちを犯すものである以上、明確な殺意を争うのが正しい司法の在り方というが、そんなことでは死んで浮かばれたものなどいるハズがない。日本の司法制度は犯罪者に緩い。「死んだ者が浮かばれようが、浮かばれまいが、知ったことではない」と言わんばかりに聞こえる。

「パパ、ママいらん」、「でも帰りたい」、結愛ちゃんは児相でこのように語っていたというが、ヒドイ親であることすらも理解できず、言われるままに自らを責めながら、それでも必死に愛を求めて親にしがみつく子ども…。口ではうまく詫びれないから手紙を書いたという。体力は弱りこころ萎えた天使は、自らに相応しいところへ迎えられ召されていった。

イメージ 3

全33ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事