短歌 子さぼてんの歌会ブログ

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一首評

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英雄はたちまち生まれ若夏をあな四歳馬影も踏ませず

● 今野寿美歌集 『若夏記』より

この歌を目にした瞬間しびれてしまった。
私の外見から競馬狂かと思われるかも知れないが、競馬は全く知らないのだ。
だからこれがどのレースのどの馬であるのか全く知らない。
最近(?)知っているのは「ディープインパクト」と言う音のみである。
だからただ純粋にこの歌の美しさに感銘を受けただけなのである。

慌てて馬について調べてみると平均寿命は約25年とある。
サラブレッドの様に酷使される馬はもっと短いのかも知れない。
とすると四歳馬と言うのは若い馬である。
とするとこの馬のデビュー戦であろうか。

この歌の持つ生き生きと馬が創り出す風、夏草の香までも感じられる程のスピード感は一体どこから生れて来るのか。
まずこの歌を口ずさんでみると、歌自体上句から下句へと一気に流れる音として捉える事が出来、走り抜けてゆく映像と共にすっとそのまま脳に刻み込まれてしまう。

次に上の句から見てみる。私がここで注目したのは「たちまち」である。
思えば「たちまち」と言う言葉は最近ことに日常の会話の中では殆ど使われなくなった言葉である。
だからこうして使用されると改めてその韻の美しさと共に新鮮さが惹起される。
何の前触れも無く突然と現れた若き英雄の姿がありありと再現される。

そして下の句である。
「影も踏ませず」とは多分競馬関連の表現では常套句と思われる。
ではこれを常套句と思わせないものは何か。それは「あな」である。
これが例えば「ああ」など普通の感動詞にしてしまえばこの歌は死ぬのである。
作者の古典の知識に裏打ちされたこの「あな」以外の言葉はここには当て嵌まらない。
これが上下と続く一気に駆け抜ける新鮮さを生み出している。

更に「生まれ」「若夏」「四歳馬」と次々にたたみ掛ける言葉が生まれたての若さをこの歌に与えているのである。

私も作者の様に古語との融合を歌で表現してみたいものである。

ケーナ

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秋葉原駅頭にケーナ吹き終へて人するすると大空しまふ

●米川千嘉子歌集 「衝立の絵の乙女」より

私が常々「勝手に歌評」においても「おっ!」とか言っているものがこの歌には凝縮されている。
情景としては秋葉原駅においてケーナを演奏していた人がケーナを吹き終わってそれを仕舞って帰る場面である。
上句は場面描写であり、ここで注目すべきは下句「人するすると大空しまふ」なのである。
私も仕事帰り最寄駅においてインディオの方が「El Cóndor Pasa・コンドルは飛んでいく」を演奏しているのに出会った。楽器はケーナ、チャランゴ、ギターである。
思わず足を止めてそれに聴き入った。そしてその演奏が終わった時の感覚がまさにこれである。
ケーナの演奏が終わった時に仕舞われたのはケーナではない。その場面に足を止め引き込まれた音から想像の世界の映像が頭に展開され、東京の汚れきった夜空にコンドルが舞う美しい青空が見えていたのだ。
だから「人するすると大空しまふ」なのである。この「するする」というオノマトペもこの場面では生き生きとしている。
私も是非目指したい歌である。



最後に
私は覇王樹会員にこの様な潜在能力を秘めている方が沢山居ると思っている。
だから敢えてこの様な場を借りて私の様な新参者が発言する事で、奮発してその能力に目覚めて欲しいと思っているのである。

NHK全国短歌大会

河野裕子選 詠題「人」特選

「明日は、と言いさしのまま出でゆきてかえらぬ人となりて帰り来」  定行良子

ページを捲ってこの歌が目に入った時頭を不意に殴られた様な衝撃を受けた。
別れは何時訪れるか解らない。
言いさしのまま出て行った人は己もよもやこれが最後になろうとは思わなかったであろうし、それを聞いていた側も同じである。
だから「明日は、」と言う言葉は両者に当然訪れるであろう親密な時間を予測して残っていたに違いない。が、現実は違っていた。言いさしのまま出て行った人の時間は突然の終焉を迎えた。
「明日は、」の後に続く言葉は何であったのか。これは生涯残された側の人間に付き纏う。
この歌の密度から考えるに両者は恐らく家族であろうと思う。
家族であれば後に続く言葉の凡その見当も付くかも知れない。そうなると後に続く言葉を実現させてやりたかったと言う思いと、本当は何であったのかと少なくとも二つの思いに苛まれる。
これを考えるととても遣り切れなくなる。
私の父も私が3歳になる直前心筋梗塞で急逝した。
私は父が救急車に運び込まれる時の母、祖母の様子を鮮明に記憶している。
だからこの歌の力が余計に重く感じられるのだと思う。

現在の日本は家族という単位がが崩壊している。
また家族ばかりでは無い。友人、同僚、自身に係わりのある人々との別れが何時訪れるか予測出来ない。
自分自身もそうである。
だから一日一日大切に、人を思い遣って過さなければならないと再認識するのである。

風落ちて平たくなれるゆふぞらにぎんがみかざし子は切りはじむ

● 栗木京子歌集 『中庭(パティオ)』 「ぎんがみ」より

元は初句を「風死して」としていたものを後に推敲した。
風が止んだ夕空を「風落ちて平たくなれるゆふぞら」と表現している。
一見夕刻の一時の安らぎを表現している様にも取れる歌なのだが、これを映像として脳に再現した場合これは一変する。
「風落ちて」は昼の喧騒から解き放たれた一瞬、風は吹いている時は時として鬱陶しくも感じることもあるが、実際止んでしまうととても息苦しく又、嵐の前の静けさの様な不気味さも感じる。
夕とは昼から夜へと移ろいゆく時間の狭間。黄昏時とも取れる。黄昏時とは視覚からも一日の内で最も不透明な時間帯である。
夜から朝では無い。昼は光、夜は闇である。つまり明るく暖かな満ち足りた時間から闇の冷たい時間へと移行するのではないかという心中の言い知れえぬ不安を暗示している。
その不安の根源は「ゆふぞらにぎんがみかざし切りはじむ」子である。
「切る」という行為は子の成長を暗示し、翳す銀紙は子あるいは子に重ねる自分の夢である。
その銀紙を刻んでゆく。つまり夢を形にしてゆくのであるが、それが思い通りの形となるのか、あるいは形にもならず全て切り刻まれて無くなってしまうのかは不安そのものである。
今現在の世界情勢はまさにこんな感じであろうか。否、もう夜に踏み込んでいるのであろう。

皆様からのコメントをお待ちしております!!

参考資料 佐田公子著 「栗木京子の作品世界」 短歌新聞社

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