短歌 子さぼてんの歌会ブログ

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ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺を行きつつ見べし
 
●原文
日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之
 
●読み方
ひぐらしの なきぬるときは おみなえし さきたるのべを ゆきつつみべし
 
●詠人
大目(だいさくわん)秦忌寸八千島(はだのいみきやちしま)又は(はたのいみきやちしま)
生没年不詳。大目(「だいさかん」と読む)は役職名
746(天平18)年、越中国守として赴任して間もない大伴家持の館で宴が催され、大伴池主・土師道良らと共にこれに参席、歌を詠む。この時大目(だいさかん。国司の四等官)とある。同じ頃、自邸に家持を招いて宴を開き、歌を作る。747(天平19)年4.20、正税帳使として入京する家持を送別する宴を自邸に催す。
 
●大意
 ひぐらしが鳴く時期には、女郎花(おみなえし)が咲いている野をめぐりながら眺めるのが良いものだ
 
●補足
女郎花:秋の七草の一つ
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万葉集 巻三・五百二

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夏野行く牡鹿の角の束の間も妹が心を忘れて思へや
 
●原文
夏野去 小<壮>鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉
 
●読み方
なつのゆく おじかのつのの つかのまも いもがこころを わすれておもえや
 
●詠人
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
660年年頃 - 720年頃の飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。
彼の経歴は『続日本紀』等の史書にも書かれていないことから定かではなく、『万葉集』の詠歌とそれに附随する題詞・左注などが唯一の資料である。一般には天武天皇9年(680年)には出仕していたとみられ、天武朝から歌人としての活動をはじめ、持統朝に花開いたとみられることが多い。ただし、近江朝に仕えた宮女の死を悼む挽歌を詠んでいることから、近江朝にも出仕していたとする見解もある
 
●大意
夏の野を行く牡鹿の角は短い、そんな短い間でも、妻の事を忘れておりません。いつも思っているのですから。
 
●補足
妹というと現在では兄妹であるが、この時代では妻をさす。
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夏山の木末の茂に霍公鳥鳴き響むなる声の遥けさ
なつやまのこぬれのしげにほととぎすなきとよむなるこゑのはるけさ
 
●原文
夏山之 木末乃繁尓 霍公鳥 鳴響奈流 聲之遥佐
 
●読み方
なつやまの こぬれのしげに ほととぎす なきとよむなる こえのはるけさ
 
●詠人
大伴家持(おおとものやかもち)
養老2年(718年)頃 - 延暦4年8月28日(785年10月5日)奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。
『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残す。天平の政争を生き延び、延暦年間には中納言まで昇った。
 
●大意
夏山の茂みの梢で時鳥が辺りに響き渡る声で啼いている。その声は遠くまで聞こえることよ。
 
●補足
 霍公鳥(ほととぎす)はカッコウ科の鳥。全長28センチくらい。全体に灰色で、胸から腹に横斑がある。アジア東部で繁殖し、冬は東南アジアに渡る。日本には初夏に渡来。キョキョキョと鋭く鳴き、「てっぺんかけたか」「ほぞんかけたか」「特許許可局」などと聞きなし、夜に鳴くこともある。自分の巣をもたず、ウグイス・ミソサザイなどの巣に托卵する。古くから春のウグイス、秋の雁(かり)とともに和歌に詠まれ、また冥土に往来する鳥ともいわれた。別名が多く、文目鳥(あやめどり)・妹背鳥(いもせどり)・黄昏鳥(たそがれどり)・偶鳥(たまさかどり)・卯月鳥(うづきどり)・早苗鳥・勧農鳥(かんのうちょう)・魂迎鳥(たまむかえどり)・死出田長(しでのたおさ)などがある。杜宇(とう)。蜀魂(しょっこん)。しき。とけん。《 夏》「―大竹藪をもる月夜/芭蕉」

万葉集 巻十・二千十

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夕星も 通ふ天道を いつまでか 仰ぎて待たむ 月人壮士
ゆふづつもかよふあまあぢをいつまでかあほぎてまたむつきひとをとこ
          ※「ゆふつづ」とも言う
 
●原文
夕星毛 徃来天道 及何時鹿 仰而将待 月人壮
 
●詠人
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
660年年頃 - 720年頃の飛鳥時代の歌人。名は「人麿」とも表記される。後世、山部赤人とともに歌聖と呼ばれ、称えられている。また三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることが多い。
彼の経歴は『続日本紀』等の史書にも書かれていないことから定かではなく、『万葉集』の詠歌とそれに附随する題詞・左注などが唯一の資料である。一般には天武天皇9年(680年)には出仕していたとみられ、天武朝から歌人としての活動をはじめ、持統朝に花開いたとみられることが多い。ただし、近江朝に仕えた宮女の死を悼む挽歌を詠んでいることから、近江朝にも出仕していたとする見解もある
 
●読み方
ゆうづつも かようあまじを いつまでか あおぎてまたん つきひとおとこ
 
●大意
宵の明星も通うこの天の道を、いつまで仰ぎ見て待てば良いのであろうかな、お月様よ。
 
●補足
七夕を詠んだ歌の一つであり、仰ぎ見て待っているのは彦星とされる。
なお、「月人壮士(つきひとをとこ)」は、月のことを擬人化した言い方。

万葉集 巻一・八

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熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
 
○原文
熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
 
○詠み人
額田王(ぬかたのおおきみ) 
生没年不詳。斉明朝から持統朝に活躍した、代表的女流万葉歌人であり、また、天武天皇の妃(一説に采女【うねめ】とされる)である。
 
○読み方
にきたつに ふなのりせんと つきまてば しおもかないぬ いまはこぎいでな
 
○大意
熟田津で船出をしようと月の出を待っていると、潮もちょうどよく満ちてきた。さあ、漕ぎ出そう。
 
○補足
熟田津は現在の愛媛県松山市、道後温泉のあたり

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