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少し前、こんなニュースをウェブで見つけました。 感想は「やっぱりね、、、」 >> コーヒーチェーンランクで最下位 ベローチェ、講談社提訴 2月14日8時2分配信 産経新聞 ■おとなの週末「ブランドに被害」 月刊誌「おとなの週末」に掲載されたコーヒーチェーンのランキングで名誉を傷付けられたとして、コーヒーチェーン「カフェ ベローチェ」を運営するシャノアール(本社・東京都豊島区)が、出版元の講談社(本社・東京都文京区)に1100万円の損害賠償と出版差し止めなどを求める訴訟を東京地裁に起こしていたことが13日、分かった。シャノアール側は「ブランドイメージに重大な影響を与えるもので被害は甚大」と主張している。 13日に開かれた第1回口頭弁論で、講談社側は争う姿勢を示した。 訴状によると、問題とされたのは昨年10月1日発行の「おとなの週末」10月号に掲載された「人気カフェチェーンランキング」。ベローチェなど主要なコーヒー11チェーンを「ドリンク」「食べ物」「雰囲気」「使い勝手」の4項目で採点し、順位を付けている。ベローチェは最下位となった。 シャノアール側は訴状で、ランキングが一般的評価に基づくものではなく、担当したライターの個人的感想に基づいていると指摘。このランキングについて、「個人の主観的評価であることを示す記載が目立たず、わかりにくい」と主張、「記事の内容が客観的事実であるかのような印象を読者に与えている」としている。 また、「店舗や作る人によって味にばらつきがあった」などの評価に対して、「マニュアルによる指導を徹底しており、そのようなことはないように努めている。表現は事実に反する」と反論している。 シャノアール側は訴訟に関して「一切お答えできない」としている。 一方、講談社側は「あくまで主観的な評価。意見・論評の範囲で、こうした記事を否定されれば、雑誌の存在意義はなくなる」とコメントした。 << 雑誌「おとなの週末」というのがあるんですが。 これがまあ、おそまつなもんでして(笑) 写真、レイアウトは汚いし(これは趣味の問題か?(笑))取材記事の、会話形式でなされる説明はまったく意味をなしていない、とボクは思います。 覆面取材、という言い方は結構ですが、その取材を行う記者のレベルがまあ、泣きたくなるほど、、、(笑) 今回の件も訴えられてもいた仕方なし、と思います。 何よりランキングもいいけれど、何のガイドラインもなくランキング、などというのは誹謗中傷にもつながる可能性は高いですね。 ネット上の飲食ガイド、特に個人の方でレベルが高い方は、どなたも再三「あくまでも私見」というメッセージを何度も出しては誤解を防ぐ努力をしていらっしゃいます。 またそういうサイトには良識ある方が集まるのも事実。 こういう問題は発信側の誠意と受けての理解、咀嚼力も問われると思います。 雑誌というのはネット以上に不特定多数の人が見るメディアです。 (ネットはコンピュータ、電話等のハードと接続環境が無ければ、という部分ですでにふるいにかけられます。本は街に出れば誰にでも手に取ることのできるメディアですよね。電車に乗れば吊り広告だっていやだっていっても目に飛び込む) 時流に引っ張られてそういう線引きができなくなっている出版、編集は筆を置くべきかと思います。 カレー特集のときに各方面(カレーブロガーさん)に衝撃が走り、皆さん大いにお怒りだったことが記憶に新しいです。 「おとなの週末」、なんてカッコつけた看板はおろしていただきたい。 |
食べるといふ事
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、、、あくまで個人的な気分なんですが。 カレー屋さんに通っていると、必ずぶちあたるあの問題。 「辛さ調整問題」 辛いものがカレーである、という意見には真っ向否定、なのですが。 でもある程度辛い物はいいよね、おいしいよね。 そして辛さの耐性は人それぞれです。 最近いろいろなところで(笑)xxx倍!とかの文章を目にするにつけ、、、 えー、それはいいんですよ。辛いものの好きな人は(代表者一人の顔が浮かんじゃって浮かんじゃって(爆))たくさんいますし人それぞれですから。 代表者の方(笑)とは仲良くさせてもらってますし。 何より彼は「旨辛」を追求しています。大変賛同します、「旨辛」。 で、思うのはあれです。 辛くするとお金がかかる。こういうシステムってどうも違和感を覚えるんですよね。 味の調整って本来お店の親父さんとお客さんの間でこそっととりおこなわれるおとなっぽいやりとり。 例えばね、ちょっと今日の味付け、塩きついよなあ、と思った帰りがけ、、、 「親父さん、うまかったよ。最近医者に止められててさ、しょっぱいもん。親父さん位の塩の加減、好きなんだけどさ、医者に免じて、今度はもう少し、薄塩で頼むよ」 なんてね。こういう粋な物言いができるようになりたいものです(人を傷つけない嘘、がボクの座右の銘です(笑)) 「辛くできますか?」(あれ、このセリフは、、、(笑)) 「激辛1倍につき20円、お客様だと、、2000円プラスですがよろしいですか?」 よろしくない(笑) でも、辛さを楽しむ、というスタンスで食事をしにいく人にとっては価値があるシステムなのかも知れませんね。 ボクも全然辛くないんじゃちょっとつまらない。 ベースになる味を完成させて、その上でプラスαの調味料を足していけば当然コスト高になってゆきますし、それで料金をとるということがアミューズメント性につながるというのもわかります。 ただね、、、 どこだかのスープカレー屋だかなんだかで、いかにも遊びで入りましたという風情のはしゃいだグループが「じゃあオレはxx倍!」とかなんとか口々に抜かして注文をして、やっぱり食べられない。それで文句を言ったり残したりしている。 こういうのを見ると嫌悪感を持たざるを得ません。 また、そういう風な人を煽るような雰囲気作りをするお店も、ボクは好きではない。 文句を言われて残されても自業自得です。 あ、あのグループのあの人たちは別ですな。 なにしろ、おめーらおかしーんじゃねーか!!(失礼(笑))というレベルの辛さを頼み、涼しい顔でいとも簡単に食べ切り、最後に「うまかった」って、そんな。。。(笑) ちゃんと食べ物に対しての価値や尊厳をわかっている人たちですから。オーケーです。 ただなんとなく、、、なんとなくねえ。どこの世界にもバカはいるよねってことで、、、 食いもんで遊ぶやつと食いもんで遊ぶやつを呼び込むシステムは、嫌いです。 お店もお店でちゃんとメッセージが欲しい。 人それぞれだから、表現は難しいとは思いますが「これくらいの辛さだとコク、うまみがギリギリわかります」とか「xxx倍くらいから汁気がなくなってきます」(恐(笑))とか、「残したらダメ」とか、ね。 あ、スープカレーに納得がいかないのってそこかも。 メディアの責任も大きいですが、どことなく「辛さ遊び」的浮ついたスタンスがついて回るんですよね、イメージに。 そう思うのはボクだけかなあ。 もちろんスープカレーというジャンルで道を究めようと日々努力を重ねていらっしゃるコックさんもたくさんいることも存じております。
そういう人たちがつらいおもいをせぬように、そんな空気を払拭できればね。 |
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昨今職人さんの腕の本当の価値や意味を軽視する傾向が見て取れる気がします。 いえね、そんなことはない、等ご意見もたくさんあると思うんですよ。でも、そうかなあ、ほんとうかなあ?ホントに? 「そんなことはないよ、わたしはわかっている」そういう人って有名なお寿司やさんの板前さんや高いレストランで腕を振るうコックさんのことを想像していたりするとおもうんでですが、違う? ボクの実家の家業は水道屋です。最近はちっとも稼ぎがないそうです。 それというのもウチの実家は昔ながらの水道屋。例えば新築の家にからむのなら、まず施工主が大工さんに「お家を建てたいんだが」と相談します。親方が図面引っぱったり左官やさん、電気やさん、それに水道屋さんなんかに声をかけて、、、 そういう流れは昨今まったくなくなって、工務店の下請けにぶら下がらねば仕事一つ回ってこないとか。 修理だって集合住宅は管理会社から一括で修理依頼が大手メーカーの回る。また集合住宅は一括で作るから変な仕様や規格外の部品が多く(集合住宅の)専門業者じゃないと難しい、とも。 そんな風らしいのですが、お店に1つ100円の蛇口のパッキンを買いにくる人がいます。 売りたくない時があります。ボクがガキの頃店番してた時にもそういう思いがあったこと、思い出すんです。 ガキのボクでもわかるんですよ「あ、こいつなんかじゃ直せねえだろうなあ、、、」 案の定なんですよ。 あとで「出来なかった」「やり方を教えろ」で、いやいや教えるわけです。 いやいやです。だって部品買って帰るんですよ、わかってて買うのが当たり前でしょう? で、やっぱり出来なくて修理を泣きついてくる。出向いて直して料金をいうと高いとかぬかす。 わかってました、こいつがそういう発言をすることは。 100円のパッキンを買いにきて直しかたを根掘り葉掘り聞くところからもう想像はついていたんです。 「カネが惜しい」 ただそれだけです。そりゃ結構。そんなのはかってですからね、自分のお金は大事にして下さい。 でもね、こういうやつに限って技術料をケチる。てめえで何も出来ないくせに、です。 この良い年したおっさんは自分の仕事、何をやってきたんでしょうね?何十年も積み上げてきて、人には出来ない技術ややり方を自分の手にしたことないんでしょうか? バカっていうか、粋じゃないよねえ。 技術っていうもんを手にするのは大変なことです。お勉強して、練習して、失敗して、経験を積んで。一朝一夕で成せるものではありません。 誰でもそういう経験をしているはずなんだが、、、 ボクも一時期ではありますが「食」を生業としていたものなのでよくわかるのですが、食に限らず「職人さんの技術に対する代価を甘く見る人」が多すぎるとおもいます。 例えばクルマの修理3万円のうち2万5千円が技術料だったとするでしょう?みんな「高い」といいます。そういう発言のやつには5000円とって部品だけくれてやればいいとおもいます。自分でやってみろ、とね。20年かけて手にした技術分の価値を知ればいい、と。 ものの見方が浅すぎます。尊敬の念というものがない。想像力がきわめて貧困で、そのうえ礼儀を知らないとおもいます。 食堂に入ってメシ喰ってあれ?っておもった時、手を抜いているのか、自分の舌がダメなのか、他に何か理由があったのか、それがわからなかった時はその食堂のメシに対していろいろ言うのはやめておこう。そう自分で意識するように努力をしています。 「ものには理由があるのだ」ということを考えない、ともすればそんな風になりがちな、自分を戒めねばとおもいます。
ものをわかった上で行動する人ってのはその行動の一つ一つが「粋」に見えたりするもんです。 そうありたいねえ。 |
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ブログで、という小さな枠だけではなく、わりと難しいのは味の表現と共有です。 「感覚」というのはとても繊細で難しいもんでありまして。 ボクが若い頃、一時期絵の世界を目指してたりしてたころがありました。 その頃によく考えたのが、、、 ぼくがいるでしょ?であなたがいる。二人してカフェでお茶を飲んでいます。 紅茶のきれいな色をみて、二人で仲良く「きれいな赤だねえ」「素敵だねえ」と言い合っています。 でもね、そういうときにふと思うんですよ。彼女のみている「赤」とボクのみている「赤」って本当にいっしょの色の「赤」なのかなあ、、、 ボクの目と彼女の目を交換できるわけじゃないし、わからないけれど、もしかして、ボクが赤いねっていって彼女もそうだねって言ってくれいているこの色は、彼女にとってはボクのいうころの青だったり黒だったりするんじゃないかなあ。 なんてことを、ね。 それをいい始めたらきりがなくなってしまうのも事実ですが。 閑話休題 舌だって同じことがいえる気がします。 そこまで突き詰めなくても、その人がうまれて育った場所、あたえられた環境、目にしたもの、影響を受けたもの、そして育ててくれた人の嗜好によってずいぶん変わってきますよね、舌の嗜好。2つとして同じものはないはずです。 ワインの表現は符丁である、というのもきいたことがあります。こっちの方はまるっきり不案内なのですが、聞くと、ある程度の表現の形は決まっていて、それに何かニュアンスをもう少し乗っけるという方法で表現するそうですよ。 なるほどね。文法が決まっていて、それを共有していると、人に説明、理解してもらいやすくなると思います。 とはいえ「味」というもの、その人それぞれの「舌の基準」で論評を展開しているわけですよね。 歳を取って感覚や欲求が違ってくる。「昔のあの店の方がウマかった」いかにも店が、調理人が悪いようにいいますが、他の要素がいっぱいあるのに顧みない。食材の変化(同種でも味がちがう)、人々の嗜好(これに合わせなきゃプロではない)いろいろな要素があると思います。これでは論評になりません。 ボクの持論なのですが、今の世の中、お金を取ってメシを食わせる商売で「うわあ!まずい!!」などというお店、あまりない気がします。時代的に飽食を叫ばれる現代、いくら何でも最低ラインというのはありますよね。 いくら手抜きしても、冷凍食品を使った定食を出されても、冷凍食品や手間のかからない調味料等で昔より味の質が大きく底上げされているわけですから「食べられない!」というものはまずないのだと思います。 でも売れる店、売れない店があって、うまい、まずいが叫ばれる。 これはもう、うまい、まずいではなく、単純に「嗜好の違い」なのではないかと思うのです。 あとはそのお店の雰囲気、よくしてもらったこと(ホスピタリティ)、そういうものが舌に重なって、うまかった、よかった、もう一度いきたいという気持ちにつながるのかな。 ボクはなるべくそっちに重点を置いてみたいな、と思うのです。 で、それがあってなおかつ、ボクの舌と似た舌の感覚を持つ誰かと、ボクが書くこのブログで、共有体験が出来たら、しあわせだろうなあ、と思います。 口コミやその他のインターネット記事で特定のお店の味について、ものすごいひどいことを書かれている文章を見かけますが、ああいうのはなんだか気持ちがささくれ立ちますね。 そういうものは誰が何を基準にして書いているのかっちっとも見えてこないので、ボクはあまりきにしません。 いつでも自分で体験してみよう、自分の直感や育まれてきたものを信じて選ぶべきを選ぼう、と思うのです。 追記
でも、、、本当にものすごいきつい味のお店がないわけでは、、、ないか(笑) |
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食事をしに外に行きます。外食、です。 それこそピンからキリまで、その選択肢は星の数。 何を食べたいかな。きょうはどうしようかな。いろいろな思いが過ります。 いつも、どうやってお店を選ぶのでしょうね?どうやってますか? 「あそこのアレ!たまらないよね。アレが食べたい!アレでなけりゃいやだ」 「ほっとしたいなあ。あ、あそこなら広々してるし、のんびりできるし、あれが美味しいし」 「あのおみせのxxxさんによくしてもらってるんだよね。いい人なんだよね。顔みてないなあ、、」 「時間は40分しかないし、今xxxにいるでしょう。だったら、、あそこだ。料理出てくるの早いしね」 理由は様々。その人の状況、オフィシャルであるかオフなのか。美味しいものの為には多少犠牲を払うつもりなのか、時間が一番重要なのか。 そういう中での自分と、お店の関係が問われます。 「接客」というとちょっと違うかもしれない。 接客ってその行為を表すには便利な言葉ですが、もう少し、意味合いに於いて足りない、と思うことがあります。 コミュニケーション、、、うーん、ちょっと軽いかな。うん、信頼関係、でしょうか? 1 接客ってなにかな 「接客」などという言葉、存在しなくてもいいのかもしれません。 お店屋さんをやっているとします。何屋さんでもいいですよ。花屋さん、食堂、お肉屋さん、雑貨屋さん、、、 商品を並べて、お店の前を掃いて。 で、お客さんをまつ。お客さんがきてくれなけりゃ、どんなに準備をしたって意味がありません。 お客さんがきてくれるとうれしい。ありがたい。お店として成り立った、価値がうまれる瞬間です。 で、何かを買ってくれる、何かを食べてくれる。それと引き換えにお金をくれる。ごく当たり前のことですが、とても価値がある、うれしいことです。 そうしてくれるお客さんに、シンパシーを抱くのはごく当たり前のことです。よくぞ数あるお店の中からうちを選んでくれました!よくしてあげたい。親切にしてあげたい。 そういうお店屋さんの気持ちが形を変えて「接客」になるのかしら。 「よくしてくれるひとにやさしくしたい」ってことかしら。 2 対価を求めすぎる振り返らぬ人 でも単純じゃなかったりするのが世の中でして。 「まだこないのか!ぜんぜんでてこないじゃないか!」 いろんな人がいます。ほしがっているものも様々です。例えばですけど、、、 「なんでまだ出てこないんだろう?何か大変なのかな?」 こういう風に考え方、代えてみたらどうだろう。 アタリが強いだけでお店の人をいやな気持ちにしてなかったっけ。振り返って、自分が仕事をしている時に、客先や仕事の相手からキツく当たられて、いわないでもいいことやしないでもいいこと、した事無かったっけ、、、ああ、まずい。同じことしてるよ、、、 お店の人もね、 「ああ、ずいぶんまたせてるなあ。あやまって理由教えてあげなくちゃ、、、」 なんていう「よいループ」の中に飛び込めると、きっと楽しいんだけど。 「わたしはお客さんです。お金払っています。で、なんであんたのとことはこんななの?」 いますね、こういう態度の人。こういう人が正しい場面も多々ありますが、でもこれをそのままストレートに出すと、ころがるものもころがらない。スマートではありません。 それどころか、こういうことを言う人に限って、食べているものは「サービス定食500円」、とかね。いっぱい190円のコーヒーだったりします。 何か足りないのだったら、それがいやなのだったら、例えばきちんと自腹を切って、納得の行くクォリティが約束されているはずの帝国ホテルのラウンジで1食5000円のランチを食べるなり、190円のコーヒーなぞやめて、いっそ缶コーヒーにでもするなり、やり方があると思います。 カンタンにいうと「お前は何様なのだ」ということですね(笑) 3 礼節を知る 接客に文句を言う前に、考え忘れをしていないか? 自分のその日の気持ち、バイオリズム、体調や何やらはどうだったか? どんな時間帯に行ったのか? 何か店内の他の事象で普通ではないようなことはなかったのか? 偉大な王様のように、きびしく、そして寛容であるべきです。 自分に心の余裕がない時は、素直にそれを認めるべきです。誰に対して?そんなのはきまってます。「自分に対して」です。
だって貧しい気持ちで日々やっていると、本当に(金銭的な、とかいう低レベルの話しではなく)貧しい人になってしまう気がします。 ちがうかな? |




