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乙武くんの不倫の反応の違いに視る根っこの問題
By たっき〜
乙武くんの不倫が報じられて以来、ネットでもさまざまな問題の捉え方や意見が出ているが、性を自己処理できない障害当事者としてまた婚外恋愛をも経験した者として、そこにある問題を多面的に提起してみたい。
私がある意味で違和感を持ったのは、乙武くんの不倫という問題でありながらそれに対する反応として各自の問題点とすることがそれぞれに違う、ということだった。
誰も問題に精通できていないというか、どこまでを問題にするかはそれぞれの捉え方や感じ方次第で、反応が異なっているということだ。それは誰もが、それぞれにわかるようにしか、他者の痛みは感じられないということだろう。
たとえば今回、不倫の是非と合わせて乙武くんが性を自己処理できないということで彼を責めるべきでないとする声もあるが、何故それが彼個人に限定的にしか問題視されないのか?ということを強く感じてしまったのだ。
と同時に、私には今回の件が不倫の是非だけではない問題を垣間見せてくれている気がするのだ。と言うのは、問題は不倫以前にあるのではないかと我が事のように感じてしまったのだ。これはおそらく私の体験を持ってしか把握できなかったかもしれない。だから私が書くのだ。
私に視えたもの
それは不倫や性欲以前に、彼がそれ以外にエクスタシーを得られるつながりや対象を持ちえなかったことが問題ではないかということだ。
考えてみてほしい。どれだけ有名であろうが、彼にはたとえばがんばれるスポーツや遊びがないんじゃないかな? もう少し障害が違えば車いすサッカーやバスケットかテニスかもできたかもしれないが、結果として彼には真に平等な友達もライバルも不在なのではなかろうか。そう思ってしまったのだ。もちろん彼には私の何倍もの理解者や友人や仲間と言える人の輪があるだろう。しかし、そこに障害を持ってなおかつ本音で話せる友人はいるだろうか?
彼は誰もが知る若くしての成功者だ。しかし、だからと言って彼の中に一抹の孤独や悩みがなかった訳ではないだろう。友人とは鏡になってくれる者であり、寄り添える者であり、本音を戦わせられる者だ。彼の友人らがそうであり、彼自身がそうであったのだろうか。こう思うのは、お互いに遠慮が入ったりしてそうでない場合が多いからだ。それであれば、彼は華やかな中で実は孤立していたとも言える。私には彼の不倫という問題の原因はそこにあるように感じられる。
障害を持つ者の苦悩は障害を持つ者にしか共有できない部分がある。何故、障害者というタグを障害者にだけ日常的に付けるのか、それを漢字を換えることでごまかそうとするのは何故か、私には未だにわからないし、わかりたくもない。健常者と呼ばれる、「障害の苦痛」に気づかなくていい世間様にはご理解いただけない鬱屈だろう。確かに障害者と付くことで社会保障はあるし、困れば手を貸してももらえる。しかし同時に、当事者にとっては痛みになる多くの差別を社会が気づかぬままに置き去りにしてきていることも事実なのである。いや、昨今の格差の中で若い世代にはその痛みを部分的に感じている人たちもいるが、それが永くつづいてきた障害者のそれと等質的であるとは実感されてはいないだろう。
私と彼を同等の状況で考える訳にはいかないが、彼がそれらを全面クリアした訳でもないだろう。また社会的に成功したとしても、それが個人の充足感を真に満たしていたかどうかに、私としては疑問を覚える。うがった見方かもしれないが、障害者としての人生と大学での講義等もやってきた経験を通して、そう推測されるのです。
では、それによって何が違うのかと言えば、障害者でありながら障害者蔑視の意識もどこかにあったのではないかということだ。いや、これ自体はあって当然だとも思う。正直、私にもある。ただそれは障害の違いを区別する意識という感じで、障害者全体を軽蔑するものではない。むしろ逆で、そうした無念なままに逝った先人たちへの同情を強く覚えるのだ。彼もその点では同様だろう。しかし彼の場合は自分が成功したことで、同時代の障害者にはどこかで自分は違うという意識を秘めているのではないだろうか。それは当然の満足ではあっても、同時に驕りとも言える。
そして不倫とは
そうした状況にあって彼は家庭をも得る訳だが、驕りがあれば家庭を持てたことにも真の充足感は得られていなかったかもしれない。また前述したように、スポーツ等での昇華的な満足感もない訳で、そうなると何で代償的な快感を得るかというなら婚外性交というパターンになる心理は、私の中ではある意味では自然な流れとして理解できる。何故なら、そうした心の動きは私自身の記憶にあるからだ。
私は性の自己処理ができなくなって十数年になる。恋多き男と言われながらも「結婚はしていない。幸か不幸かプロポーズされたことはあったが、したかった人にはできずにそのまま人生のトラブルを抱えてしまい、結果的に独り身できてしまった人生だった。そして、いつの間にか加齢等の筋力低下で自分のモノさえも扱えなくなってしまった。ついでに言えば、今はもう手では満足にキーが打てないため、舌を使っている。最強の舌使いと言う人もいるが、もし舌が自分のモノに届いたとしても、使う気はない(笑)
筋力低下を明確に意識したのは、お風呂に入ろうとして服を脱ぐのに2時間かかったからだが、それで最初に思ったのは「ああ、これでもうナンパができんのんじゃなぁ」だった。他に悩むことはあるだろうが、私はそう想えた自分が好きだ。男性にとって、女性と愛し合えるかどうかは、レゾン・デートルにもかかわることだからだ。
つまりはそれこそが彼が性を強く求めた理由であると思うのだ。存在価値をどれだけ社会的に認められていようと、本能的に満足を求めつづける状態なら、まして万能感も五体不満足ながらにあれば、彼の合コン等での女性への発言等もわかる気がする。
ナンパが…と思った私だが、実際にそれほどできていた訳ではない。ただ女性という存在はそれぞれが芸術だと思い、また当たって砕けるだけの勇気を過剰に持ち合わせていたということだが、二十代の頃とかならともかく重度障害とされる人間は年齢と共にそうした機会からもどうしても遠ざかる。と言うより、世間一般で重度障害者とされる人間のほとんどが性愛を知ることなく逝くんじゃないのかな。4月に障害者差別解消法なんてのが施行されたけど、この現実は無視されるんだろうな。
さて、こうした話を出したのには理由がある。私が服が脱げなくなってしばらくして、初めて飲んだコにそれを話したら「たっき〜はすごい人なんだから、そんなに無理してがんばらなくていいよ」ということであっさり脱がしてお泊りしてくれ、その一夜から二人ともいきなり恋を始めてしまった過去からだ。
そういう経験がなければ今頃はもっとしょぼくれていただろう。あの短くても両想いでいられた日々のお蔭で、いつの間にか自分が「障害者」になってしまっていたことと『愛される人間だったこと』を想い出させてもらったのだ。その恋は数カ月で終わった。何故なら彼女は結婚していたからだ。駆け落ちをしようとも言われたし、ズルくやれば関係をつづけることはできたかもしれない。そう、不倫という形か、セックスフレンドとしてなら。しかし、彼女はいつも言っていた。「私たち不倫じゃないわよね」と。
結果的にはそう呼ばれても仕方のない終わり方になったが、彼女は生きることの扉を再び開いてくれたのだ。それだけは、誰が何と言おうと間違いではない。昨今は不倫と言えば即決で悪いことイコール謝罪すべきとされるが、一方では不倫こそが純愛であるとの意見も目にする。また文学等においてもしかりである。すべての不倫という行為を正当化する訳ではない。しかし、恋は人を生かし、命を目覚めさせる。そんな恋も確かにあったのだ。彼女が28歳、私は46歳だった。
それほどの喜びが障害者の人生には閉ざされたまま来た。いや、もう障害者だけではなく、格差という障害を余儀なくされている若い命たちもだ。それでいいのか!と声を大にして言いたいのだ!! 乙武くんの問題からは踏み出しているが、その奥にあるものとは関係しているはずだ。と言うより、この文の趣旨の一端は「何故、本人限定で他者へまで思いやりが広がらないのか?」ということにもある。
たとえば、現実としてこの国に「性的な介助や支援」は存在しない。ホワイトハンズなる射精サポートのNPOはあるが、それが果たして人間的と言えるかどうかである。欲しければ風俗でも頼めと思うだろうが、これがまた防犯とかの観点から現実的に困難なのだ。それに対して、北欧やオランダ、ドイツ等では性愛的な介護も人間的な権利の一端として制度化されている。こうしたことが同様には無理であっても、現状のような意識しない差別は解消されるべきである。そのための気づきになればと思う。
そして、みんなに生きてていいんだ…と感じてほしいのだ。一億総活躍という社会は上からの掛け声だけではなく、そうしたボトムアップされていく実感が醸成されてこそ形成されていくものではなかろうか? つ〜か、一億総活躍なんてできる訳ねえじゃん。だって、この国の現実は弱さを自己責任にしてんだもん。そんなんで踊れるかいな。と思うんやけど、みなさんどうでっしゃろな?
だってね、弱さが自己責任ってことは、乙くんだけは弱くても強いからマス搔けんでもエッチができるつ〜こととおんなじなんよな。わかってもらえるかなぁ。それなのに今回の不倫発覚後の反応は彼個人しか、思いやっていねえじゃんな訳。それっていいんスか〜な訳。彼のケースで、自分だったらガマンできないとか言うなら、そこから思いを広げてみてほしいのさ。
そうやって思いが広がっていかないから、いつまでも差別ゆうミゾがあるままなんとちゃいますやろか? 何も自分がやりたいとか、ええ思いをしとーて言うとんやおへん。それは「ええ想い」歓迎ですけどな。でも、それ以上に未来ではどんな命にもこうした無念や孤独を抱えて生きてほしくないんスわ。だから、これだけまとめて書けるというのは有り難い機会なのです。でなきゃ、こんだけ書きまへん(笑)
乙武くんへ
勝手な推論です。不愉快なのはお許しあれ。上記お汲み置きください。
さて麻痺系と欠損系という違いはありますが、私は四十代から筋力が低下しました。もし同じ状態になったりたとえば頸椎症を併発したりすれば、あなたの方が影響はあると思います。重々お備えください。そして仕合せであってください。
2016年4月吉日
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